奇跡 番外編〜bye bye DIVA〜 さらば歌姫 (1)




 苔の惑星に、風が渡る。

 その昔、宇宙の海を旅する旅人をその蠱惑的な歌声で魅了し引きつけたという魔の惑星DIVA-1903——
 歌声とはその実、微弱な電磁波が醸す通信電波の乱れに過ぎなかったが、耳を澄ませば今でも…DIVAの歌声は風に乗って高く低くその大地に海に、流れているのだった。



         *       *       *



 重軽傷者53名、死亡者なし。
 当初行方不明だった、ポセイドン工作班の甲板作業員5名が海上に浮かんだ瓦礫から発見され、すべての乗組員の無事が確認された。

 ディーバ1903の“グラン・ブルー”の海には、ボラー艦の残骸が散在していた。カーネルの指揮のもと、動けるクルーが敵艦生存者の救出に乗り出したが、ボラー艦の生存者はどこにも見当たらなかった。もとより…生命反応を示す乗組員は、おそらく数名に過ぎなかったのだろう。大量の人型アンドロイドの部品が、艦艇の残骸に混じって海底に散乱しているのが発見されたが、生身の人間の遺体らしきものはついに見つからなかった。46ミリ砲3門に至近距離から撃ち抜かれ、ボラー艦は艦首と艦尾を残し、粉々に消し飛んだのである…。

 一方、大破したシグマに居合わせた負傷者を収容するのに、ポセイドン本艦とヤマトの病室だけではとてもベッド数が足りない状況だった。ほとんどの負傷者は建設中の地上施設に搬送され、基地は急ごしらえの野戦病院となった。佐渡、音無、ハイドフェルトの3人は休む間もなく診察と治療、即手術へと丸2日、睡眠も取らず文字通り夜通し負傷者の手当てに奔走したのだった。



「このバイタルコントロールシステムも、万全ではないわね…」
 地上施設の施術室。最後の患者の手当てを終えたグレイス・ハイドフェルトは溜め息まじりにそう呟いた。ナースアンドロイドが患者のストレッチャーを施術室から運び出すのを見送りつつ、
雪はグレイスを振り返る。
「……電波が届かない場所へ行ってしまうと、あのシステムったら即<死亡>って判断するんですもの。ガミラスの船の中や、ここの海水の中みたいな未知の条件次第では機能しない…」
 未知の条件…は事前にプログラミングしようがないのだから、仕方が無いこととは言え。心臓に悪いったらなかったわ。そうグレイスは肩を竦める。
 しかし、このシステムはその後の負傷者に対するトリアージには絶大な効果を発揮した。手術用の器具の消毒を終えトレイに片付けた森雪は、首を振ってグレイスに応える。
「…でも、これがあるとないのとでは本当に大違いだったわ」


 バイタルコントロールサインに従い、システムがある程度先にトリアージを決定してくれているおかげで、患者に相対した時には診断に必要な項目はすべて検査結果が出ている。患者の状況に応じた、必要な医療品の量が算出され、それが艦に積まれている在庫の何%に当たるのか、また同程度の負傷者をあと何名治療可能かといったことも即時判明した。
 そして、もっとも威力を発揮したのは、ちょっとした怪我にしか見えていなくても検査結果をみると重篤な症状である…、というケースに対してであった。このシステムのおかげで、一目では分からない、体内の奥深い瑕疵を看過せずに済むのである。
 雪も佐渡も、過去に幾度もそのケースで煮え湯を飲まされて来た。慎重を期さねばならない症状を見逃し、気付いた時には患者が死亡していたケースも多々あるのだ。中には、負傷した本人すら気付かず、まだ歩けるから、と他の者の治療を優先させた挙げ句重体に陥ったり死亡したケースもある。
  
 雪にとって、生涯忘れられない苦い思い出が島のケースだった。

 過去ディンギル戦において、銃撃戦で肝臓を損傷した島が、当初は自力で歩けたばかりに肝移植の必要を認識できず、雪も同様にそれを見逃した…という事態が起きている。歩けるのだから、と島自身が指のグリーン・タグを外してしまい、そばに居た雪までがそれに気付かなかった。当時もトリアージロボは現場に数体いたが、あくまでもそれは精密なTPRを計れるものではなかった。

 一方それに対し、心拍数、血圧、脳圧、血中酸素濃度、ヘモグロビン値等23項目をカバーするバイタルコントロールシステムは、それがあるだけで誰がどれほど急を要する状態なのかを一目で判断することが可能なのだ。
 限られた、それも少ない人数で、一時に大量の負傷者の治療の優先順位を決めるのは生易しいことではない。一人一人に対し通常以下の時間で的確な診断を下し、しかも即時治療にかからねばならないのである。医療品の数量にも限りがある…正直な話、大勢が一度に致命傷を負えばまず治療者の手が足りなくなり、次いで必要な医療品が順に不足して行く。薬や医療品の備蓄量は、ある程度戦闘下の混乱状態を念頭において想定されているが、一度に5名以上の患者の臓器移植や開頭手術は事実上不可能だ
。ドクターアンドロイドもいるが、それらももちろん万能ではない。

「…そうね。改良の余地はあるけど、いいシステムには変わりないわ…治療のペース配分も申し分ないしね…」
 文句を言ってはみたが、グレイスもバイタルコントロールシステムの有効性を認めないわけにはいかなかった。
 多数の負傷者の治療は、医師や看護師にとって、体力と精神力勝負の文字通り持久戦である。よく例えられるのは、ゴールの見えないトライアスロン、もしくは16ラウンドを終ってもなお全力でファイトしなくてはならないボクサー……。だが、このシステムのおかげでそういった出口の見えない疲労感はない。そして幸い、今回はヤマト、ポセイドン本艦、そしてシグマとラムダにも充分な医療品が積まれていた……そのおかげですべての負傷者に満足な手当てを施すことが出来、事態が収束した後に重篤な症状に陥るような者は一人も出なかった。

 施設のほとんどがベッドに埋め尽くされている地上施設の部屋から部屋へと移動しながら、雪とグレイスは手当ての状況をチェックしていった。すでに大方の負傷者の治療は終了しており、あとはナースアンドロイドの管理のもと、予後を観察すればいい、というところまでようやくこぎ着けたのだ。


 数日前まで、テレザリウムが置かれていた地下10階の部屋も、今では大きな病室である。ボラー艦から生還した司和也も、その階に設けられたにわか作りの一室に収容されていた。救出された時には心身ともにひどく衰弱していた和也だが、妹の献身的な介抱に、急速に回復の兆しを見せている。
「司さんのお兄さんはやっぱりタフね。…兄妹揃って驚くべき基礎身体能力だわ」和也の回復ぶりを見せつけられ、グレイスも雪も驚いていた。 
 妹の花倫の体力データを見ればさもありなんというところだが、さすがにその兄だけあって基礎体力が優れている。身体の表面に受けた無数の傷も塞がり、感染症を併発することもなく、救出から5日経った今日はもうすでに身体を起こせるようにもなっている。

 この大きなフロアに設えられたにわか仕立てのICUは、和也の部屋の他に5つほどあった。そのひとつはテレサの病室である。だが彼女の方はまだ昏睡状態にあり、予断を許さない状況だった。




「佐渡先生、…失礼します」
 二人は仕切りの中にそっと入る。テレサのベッドの脇には、佐渡と…そして島がいた。

(島くん…)

 沈んだ顔の島。重症を負ったテレサの意識はまだ戻らないのだ。雪は彼にどう慰めの言葉をかけたものかと思案した。
「おう、ユキ。グレイス先生も、ご苦労さんじゃったな」
「地下3階から10階まで、一通り診察を終えました。要観察の重症患者のみ、このフロアに集めてあります」
「…島艦長は、もう大丈夫ですか?」
 ああ、と頷き、島は精一杯笑顔を見せた。背中に深い裂傷を負ったテレサへの輸血を行うため、佐渡が島から通常の3倍以上の量の採血を行った。貧血状態が改善されるまで、島もしばらくこのフロアに押し込められていたのだ。
 テレサについては、ガルマン星の医師から引き継いだ彼女のカルテを元に治療が行なわれているが、いまだに容態は芳しくない。
 艦隊司令として、全体を監督しなければならないはずの島が、無気力にそこに座っているさまを見るのは雪やグレイスにとっても辛いことだった。ベッドの傍らに置かれたスツールに腰掛け、溜め息を吐きながら彼はテレサの寝顔を見つめていた。

 背中に傷を負っているテレサは側臥位で眠っている。弱々しく上下する細い肩も腕も包帯で覆われ、爆風で傷んだ金色の髪は、所々白く変色してしまっていた。生身のまま大気圏外へ跳躍できるほどのサイコキネシスを持つはずのテレサである…いくらでも身体の周囲にバリアを張れただろうに、どうして彼女がこれほど傷ついてしまったのか、皆理解できなかった。

 呼吸器をあてがわれている彼女の額に、うっすらと汗が滲んでいる。大量に失血した後に見られる発熱。それでも彼女の身体は、生きようと懸命に頑張っているのだ。
 雪が、入念に安全をチェックし、呼吸器をそっと外してテレサの額や頬に浮かぶ汗を清浄綿で拭った。
「…ありがとう、雪」
 島が重い口を開いた。
「…島くん、ちゃんと食べてる?」
 雪は精一杯優しい声音でそう話しかける。…あなたが参ってしまったら、艦隊はどうなるの? そう励ましたい所をぐっと堪え。
「…島。ワシらがついてるうちに、ちいとでも休んで来んか」
 佐渡も、優しくそう言った。テレサは心配ない。次期目を覚ますよ。
 だが島の顔には、(本当にそうだろうか)という表情が浮かんでいた。無理もないわね、と雪は思う……



 手を離したら。傍を離れたら、いつも。——彼女は彼の傍からいなくなってしまう。今まで幾度も、そうやってこの二人は引き裂かれて来た。島がテレサの傍を離れられない理由が、雪には痛いほど良くわかる……



 それでも、彼は艦隊司令だった。その重責に背中を押されてか、島は躊躇いがちに立ち上がる。
「あんまり心配なら、この部屋で寝起きします?」
 グレイスが真顔で言うのに、流石の島も苦笑した。「…いや、大丈夫」

 ——先生がた、テレサを…よろしくお願いします。
 そう言って、彼はドアの外へ出て行った。

 




 すべての予定と計画が、この大惨事で頓挫してしまった。そもそものスケジュールが大幅に前倒しになっているおかげで、全体の遅れはそれほど問題にならなかったが、本来なら病室でぼけっと座っている時間など艦隊司令の島にはあるはずもないのだ。
 休んで来いと言われたにもかかわらず、フロアに累々と連なるベッドを見てそうせずにはいられなくなり…53名の負傷者を、順に見舞う。
 数名は四肢の欠損など重症だった。多機能性人工幹細胞ブロックを使用し、欠損箇所をつなぎ止めてはいるが、一度切断された四肢が完全に繋がり機能を回復するまでには何ヶ月もかかる。
(…帰還のスケジュールが大幅に押すな。…仕方ないことだが…)
 一人一人に労いの言葉をかけながら、島はベッドの間を歩いて行った。

 と、向こうから大きなワゴンに様々な物を載せてやってくる小柄な姿が目に入った。


(…司)

 

 

 

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