奇跡  永遠(20)




 唸りを上げ、<デルマ・ゾラ>が作動を始めた。

 司令艦橋の傾いた床には、背後から額を撃ち抜かれたアロイスの遺体が、ぼろ切れのように横たわっている……背中を撃ち抜かれたルトゥーも、操舵席の足元に踞って動かない。


「…お…王女様なんじゃないの?この人は…あなたの?どうして…こんなことを…?」
 花倫は、床に踞ったまま震える声でそう問うた……照明が吹き飛び、そこここで火花の散る無惨な司令艦橋に仁王立ちになったハガールは、その異形の頬に不気味な笑みを浮かべて司を見下ろした。
「…王女様…だと?…ふはは…、確かに…ベムラーゼ一族は広大な銀河の覇者として、長く居心地の良い宿主ではあった。だが…私は誰にも支配されぬ。この魂の寿命を延ばすためであれば、ボラーだろうがガルマンだろうが利用するまでだ。…この船とお前の言うところの『王女様』の首は、ガルマン帝国への良き手みやげになるであろうな…」
「……なんですって」
 血の気が引く。この化け物は、自分の君主をデスラーに差し出して、今度はガルマン・ガミラスに寄生しようとしているというの……!?
「……そしてお前は、用済みだ」
 足音も立てずにハガールはこちらに歩み寄り、…和也をぐいと引き起こす。
「よく生きているな……あっぱれだ」
「…がァッ……」
 ハガールは、乱暴に和也を引き倒した。和也の背中には、ひときわ大きな電極が差し込まれており、鈍い音とともにそれが外れた。血飛沫が上がり、剥がれた肉片がぼたりとその周囲に落ちる…
「お兄ちゃん!お兄ちゃん…!いやああああっっ」



 花倫の絶叫に、床に手を着いて朦朧としていたテレサは顔を上げた。
(……なんということを……)
 目の前に、血にまみれて倒れる司の兄が転がされた。堪らずその傷口に手を伸ばす。テレサの指先から放たれる柔らかな金色の光の筋が、和也の傷口を包み見る間に癒していった。
「——魔女よ」
 その様子を上からねめつけていたハガールがおもむろに口を開いた。背筋のぞっとする猫なで声に、司は身震いする…
「…おまえのその能力、待ちこがれておったぞ」



 遠くアンドロメダ星雲の彼方で、広大な周回軌道を持つ白色彗星帝国よりもたらされた、反物質を操る美しくも恐ろしい女の噂…。その女は、非常に強力な超能力を持ち、祈るだけで惑星を太陽と化すことすら出来るという———
 ハガールの生まれた銀河には精神科学の発達した高度な文明があった。そこでは生命体は必ずしも五体を揃えているわけではなく、人々は思い思いに自らの姿をメタモルフォーゼすることが出来たのだった。しかしそれは自然の姿ではなく、高度な科学が生命の理を陵辱して手に入れた、愚かな発達の結果であった。無思慮な発達文明の果てにあったのは、数百年の寿命と引き換えに美しい人類のフォルムを売り渡した、醜い異形の年老いた生命体の群れ——。反物質をコントロールし、その異種のパワーによって美しい不老不死の肉体を手に入れることがハガールの悲願であったのだ。



「…反物質の魔女、…いや、…テレザートのテレサよ。お前を手に入れた私は美しく若返り……さらに数百年の寿命を得るだろう…ふは…ははは…!」
 ハガールは満足げに甲高い笑いを漏らした。
「さあ……我が腕に抱かれよ、反物質を呼び出し、我が生命力に替えるのだ…」
 ハガールはそう言いながら、和也から抜き取った電極を逆手に持ち替え、テレサに向って踏み出した。

「何するつもりよ!?」

 こいつはテレサにあの禍々しいプラグを打ち込むつもりなのだ。…そう察した花倫は、叫ぶなり満身の力を込めて肩から白いマントに体当たりした。「この化け物っ!!テレサに触るな!!」
「司さん…!!」
「…何をする……!」
 突き飛ばされ、床に転がったハガールは血走った目で司を睨みつけた。血で赤黒く汚れた電極がその手から床に落ち、火花を散らす。

 和也の傍らに踞り、その上半身を抱き起こしてさらに傷口を癒し続けていたテレサは、毅然としてハガールを睨みつけ、静かに口を開いた。
「……悲しい生き物ですね…あなたは。けれど、私は反物質を2度と使いません。…例えこの命が尽きようとも」
 しかし、そう言いながらテレサがすでに立てないほど衰弱していることを、花倫は見てとった。後ろ手に縛られたままハガールを突き飛ばしたため、反動で自分も床に倒れたが、やにわに飛び起きテレサとハガールの間に立ちふさがる。
「司さん…!」
「あんたなんかに、テレサは渡さない!!」
 ハガールは舌打ちしながらゆらりと立ち上がった。
「その威勢の良さ、殺すには惜しいが…」その醜い眼が、相変わらず不気味な笑みを浮かべながら光る。ハガールはマントの下から別の銃を構えた手をゆっくりと振り上げた。

 

 



 ——その時である。


「航海長!!伏せろっ!!」
 ハガールの背後から、志村の声が叫んだ。白いフードが、さっと振り向く。
 銃声が、ほぼ同時に2つ、響いた——


「…ぐぅほっ……」
 もんどりうって倒れたのは、白いマントだった。


 志村の声と同時にテレサの上に多い被さった花倫は、その白いフードが首のところから千切れ飛び、黄色い多量の液体とともにまるでスローモーションのように床にぶちまけられるのを見た。
「…うえっ」
 凄惨な光景から目をそらし、ふと痛みを感じて視線を落した先に、赤い血が飛び散っているのが見える……花倫は自分の右足のふくらはぎの辺りが銃弾で撃ち抜かれているのに気がついた。
「いったあああいい……」
 縛られた腕のまま、痛みのあまり床に転がる。
「…司さん!!」
 和也の上半身を抱いて血にまみれたテレサが、悲痛な声を上げた。
「航海長!!」
 轟音を立て始めた<デルマ・ゾラ>の背後から、志村とレオンが駆け出して来た。「大丈夫か!!?」

 

 司令艦橋内部を見回したレオンは、一目ですべてが終っていることを悟った。
「……おお……陛下……アロイス陛下ぁーーっ……!!」
 少し離れた床の上に、赤い残骸のように横たわるアロイスを見つけ、レオンは崩れるようにそのそばへひざまずく。全身がまるでボラーの旗に包まれたように真っ赤なアロイスの遺体を、レオンは嗚咽しながら胸にかきしだいた。彼が抱き上げているアロイスの額には、後頭部から撃ち抜かれたレーザーの傷痕がまるで赤い薔薇のように刻まれていた……

 志村は司のそばへ駆け寄る。
「怪我したか!!撃たれたのか?!お前、血だらけじゃねえか…!」司の両手を自由にしながら、彼は今にも泣き出しそうだった。「歩けるかっ?!」

「歩くしかないでしょ!それより…遅いよ、志村さん!!」素直にありがとう、と言えない自分が癪だった。苦笑だけが漏れる。
「すまねえ、…あのカニのバケモノにかなり手こずった。それより、なんだ……ここは…」
 あちこちで火花が上がり、まともに稼働している機器などすでにこの艦橋にはなさそうだった。
敵側で生きている人間も、もはやいないようだ。ただ一人、破壊の明滅の光芒に照らされた老将軍レオンだけが、真っ赤なアロイスの遺体にしがみつき、号泣していた……


「…爺さん……」
 志村は一瞬床に目を落して、ぐっと拳を握りしめる。…この人が、レオンの命に換えても守りたかった「アロイス陛下」だったのだろう………。

 だが、悲嘆に暮れている時間はない。司和也の上半身を肩に担ぎ、志村は彼を励ました。

「よし、まだ息があるな、大丈夫だ。もうすぐ助かるぞ!…航海長、もう時間がない!すぐにここから脱出するぞ。お前の兄さんは俺がファルコンで連れ出す。お前はその人を…」
 和也のそばに踞る、何ともこの場所に不似合いな青いドレスの女性を見て、志村は瞬きした。「おい、……あんた、補給基地の地下シェルターにいた……?」

「質問は後よ、時間がないって……何で?」志村の言葉を遮るように、司は問いかける。
「…ああ、そうだ。この船の中枢部に爆薬を仕掛けた、あと9分…いや、8分40秒で爆発する。神崎班長と坂田と土方が、この船の右舷横っ腹に来てる。俺らのファルコンは捨てて、そっちに乗るんだ。……爺さん、あんたも!!」
 司と志村がレオンを振り返ると、彼は床に座り込んだままアロイスを抱き締め、おもむろにかぶりを振った。
「……わしは、残る」
「何言ってんだよ爺さん!!あんたが死んじまったら、ボラーは本当に終わりだろう!!」
「かまわん…行け。お前たちこそ急げ」レオンは操舵席を指差した。
「…まもなくデルマ・ゾラが作動する。…見ろ、航法装置が狂っている…中枢に仕掛けた爆弾が爆発するよりあれの作動が早ければ、どこへどう移動するかわからん。下手をすれば異次元空間に突っ込んで消し飛ぶやもしれん。すぐにこの船を離れろ」
「えぇっ」
「…できる限り、制御してみる…だが、間に合わんかもしれん」
 レオンはアロイスを抱き上げ、そっと操縦席に横たえると、<デルマ・ゾラ>と呼ばれたその装置を操作し始めた。
「…何をしている、行けぇっ!!」
 レオンの絶叫を聞きながら、志村は涙を飲んで司和也を抱え上げた。
「畜生っ……」
 司もテレサを支え、片足を引きずりながら立ち上がる。
「こっちだ、航海長!!!」その志村の声を追って走り出した。

 



 どこかで誘爆が始まっている……、通路の壁から突然爆煙が吹き出した。振り向いた志村が血の気の引いた顔で叫んだ…「司ーーーっ!!」
「先に行って!!」


 志村の呼ぶ声が、爆発音に掻き消される……

 気がつくと、花倫はテレサと二人、爆発で天井と壁の崩れ落ちてきた通路に取り残されていた。

 

 

 

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