奇跡  永遠(9)




「トリニティさんに敬礼」志村が大声でそう言った。


 3人の目の前には連絡艇から降り立ったテレサと、医療用の大きなカバンを持ったグレイス・ハイドフェルトがいた。
「護衛、ご苦労様です。よろしくね、皆さん」グレイスは3人を代わる代わる眺めて、きわめて慇懃に頷く。「こちらがテレサ・トリニティさんです。彼女は民間人なので、こちらで危険のないよう、滞在していただきます。……彼が志村さん、こちらが坂田さん、そして、土方さんよ、テレサ」
「……皆さん、よろしく。テレサです」

 借り物の士官用の長い上着を羽織ったテレサは、3人に軽くお辞儀をした。金色の髪が、流れるように肩からこぼれ落ちる。その髪を、華奢な白い手がさらりとうしろに撫で付ける様は、さながら女神のようだ。 
 ポーランド出身のグレイス医師も、ゴージャスな美人だったが、このテレサという人の美しさは、地球人離れしていた。和風に言えば天女、といった風情だろうか。ことに彼ら護衛班の3人は、テレサを間近に見た事がなかったので、しばらくポカンと口を開けて彼女に見とれる。
「……ちょっと?」
 眉間に皺を寄せて、グレイスが言った。「さっさと中へ案内してちょうだい。ほら、ボケっとしないの」
「はっ、はいっ」坂田が慌ててグレイスの荷物を受け取って、奥に向かって歩き出す。坂田にカバンを持たせ、台車にテレサの荷物を乗せて志村と土方に運ばせながら、グレイスは片手でテレサの肩を抱いてゆっくり歩き出した。
「…オレら、ベルボーイじゃねェんだけどな…」志村がゴニョゴニョ言ったが、なんか文句あるの?と言いたげなグレイスの視線に気圧されて黙る。
 一行は、ランダムに駐機してあるファルコンの足元をくぐるようにして、奥の通路へと向かった。




「ああ、テレサさん!お部屋の支度、ちょうど間に合ったわ!」
 艦載機の発進口から司令所、奥の詰め所を経て、階下へ向かうエレベーターで地下10階へ降りたところで、一同を森雪が出迎えた。
 そこはエレベーターのドアを出るとすぐに、大きな体育館のようなスペースになっている。

「……なんだ、ここ?…」
 志村は剥き出しの天井が、妙に頑丈に作られているのに驚いた。天井だけでなく、壁もだ。どう見てもコスモナイト合金で出来ている……宇宙船の駆動部や外壁に使われるほどの強度の合金を、なぜこんな場所に?


「…島艦長は?」雪は、一行の後ろをのぞいて島がいないことに首を傾げた。「自分でもお部屋を見ておかなくっちゃ、って言ってたのに…」
「艦長は、今ヤマトにいらっしゃってますわ。真田副長と古代艦長も一緒に、後から来られますよ」
「あら、そうなの…。さあ、…こっちよ」雪が一同を更に手招きした。その先には、さらに不思議なものがあった。



 大きな体育館の中央に、2段ほど高くなっているステージがあり、その上に見たこともない立方体が乗っていた。立方体の表面は、規則性のないパネルの寄せ集めのようになっていて、緑褐色の甲虫の鎧のようだ。
 それを一目見て、テレサは息を飲んだ。「……これは」
 雪が振り向いて微笑んだ。「ガミラスで、ウォード博士が作られたものよ。内部はテレザリアムから採取された金属でできているの…」
「……ウォード先生が…」テレサはその名を、懐かしむように繰り返した。しばらく前から、その医師の顔が思い出せるようになっていた。彼が、ガトランティスの末裔であることも……。
 テレサは右手の中指の指輪を無意識に触った。


 あの“叫び声”を脳裏に受けた直後。
 ずっと忘れていた記憶が甦った。…それは上潮が海から溢れるかのようにやって来て、しばしテレサの脳内を苦渋で満たしたのだった。
 ——島を愛したことと、あの彗星帝国母艦を壊滅させた記憶を切り離すことが出来なかったのと同様、あの黒髪の医師のことも次第に思い出されるようになって行った。

 アレス・ウォード。私を…島さんの元へ還すために…闘ってくれた人。


『これは制御装置だ。このことは、誰にも言ってはいけないよ…。もちろん、島にも』
 右手の中指に光る指輪は、制御用のコンテナと対になって初めて、力を発揮する。アレスは、そう言っていた。かつてテレザートでそうしていたように……私は、アレスが作ってくれたあの小さな箱の中に、閉じこもらなくてはならない。2度と、あの呪われた力を放出することがあっては…ならないのだから。

 



「護衛班のみなさんは、ここまでで結構よ。何かあったら呼びますから上の司令所で待機していてください。あ、それから」グレイスが坂田からカバンを受け取って言った。「ここで見た事は、他言無用に願います。質問は受け付けません。よろしい?」
 3人はハイ、と返答したが、その直後にグレイスがしっしっ、というように彼らを手で追い払ったので、志村はムッとして呟いた。
「なんだよそりゃ……」
「まあまあ隊長、堪えて」坂田が苦笑いしながら志村を宥める。「ハイドフェルト先生は、何かあったら俺らの手足を縫い合わせて助けてくれるありがた〜い先生なんスから!」
「あら、それは褒め言葉?」にっこり笑うとグレイスは坂田にウインクした。「あなたが怪我して医務室に来た時は、うんとサービスしてあげるわね、坊や」
「えへへ…は、ハヒッ!!」でれでれしている坂田の尻を志村が思い切り蹴り上げたので、彼は飛び上がって舌を噛んだ。土方が思わずぶぶっと吹き出す。
「うふふふ……」彼らを見ていて、テレサが鈴を転がすような声で笑った。一緒に笑っているヤマトの生活班長、森雪も聞きしに勝る美女だったが、テレサの笑顔は志村でさえも釘付けにした。




「……奇麗なひとだったなあ…」
 土方が空の台車を転がしながら、呟いた。

 3人はグレイスに「戻れ」と言われたので、エレベーターで階上に戻る途中である。
「……あのオーストリア人か?」志村もちょっとボ〜ッとなったことは認めた。だが、坂田と土方のように鼻の下を伸ばしているわけではない。
(………航海長の方が、俺は)
 だが、坂田と土方の手前、そんなことは死んでも言えなかった。
(?…ん?まてよ……)
 あのテレサ・トリニティって女、……司の野郎になんだか似ていたな。
……ま、そんなこと…どうでもいいか。
(チェッ、なんでエ……あんな女がタイプだなんて、俺もヤキがまわったな。どうかしてるぜ)
 志村はフン、と鼻を鳴らして頭を掻いた。



                  *



 立方体の内部は、3メートル四方程度の狭い部屋になっていた。そこには収納が可能なベッドにテーブル、チェア、そして通信機の端末があった。
「…奥に、小さいけどシャワールームもあるの。一通り、生活できるようにはしたわ。でも、本当に狭くて…ごめんなさいね…」


 ベッドもテーブルも、使わないときは壁に収納できるように作られてはいたが、雪がベッドに、裾に襞のある白いサテンのカバーをかけてくれていた。テーブルには赤と白のギンガムチェックのテーブル掛け、そして壁のくぼみには花や観葉植物の鉢が全部で5つ、置いてある。床には白いムートンの絨毯が敷かれ、裸足でも寒くないようにと同じ白いムートンの室内履きが2足、ベッドの足元に揃えてあった。
 透明感のある青色のテレザリウムの壁は、ともすれば冷たい印象を与える。雪は一生懸命、そこに温かみを加えようと手を尽くしてくれていた。

「………まあ…」テレサは壁のくぼみに置かれた赤いポピーの鉢に目を止めた。「この花…どこかで」
 それはずっと以前、雪が花束にしてテレサへのメッセージのお礼、と言ってプレゼントしたものと同じ種類の花だ。
「……この花、覚えていてくれた?ヤマト農園でずっと栽培してるの」
 雪が微笑む。
「ええ。…ありがとうございます…」
 テレサは鉢を両手に抱き、赤いポピーの花びらにそっと頬擦りした。

 



 ベッドサイドに置かれた小さな鏡台には、ガミラスでデスラーから贈られた、宝石の付いた華奢な手鏡とブラシを置く。雪に勧められ、青いドレスに着替えると、テレサは心なしかほっとした。隊員服は、やはりどうも落ち着かなかったからだ。
 テレサがバッグから出したもう一着の白いドレスも雪の目を引いた。それはまるで、ウエディングドレスのようだったからだ。
「……デスラー総統って、案外センスいいのね。なんだか意外。でも…島くんからは、何ももらってないの?」一通りバッグの中身をベッドの下の収納に入れてしまったテレサを見ていて、呆れたように雪が言った。

 雪とテレサとの会話を聞きながら、室内を見ていたグレイスが口を挟んだ。
「…ご自分で渡されないんですか、って私、お聞きしたんですけど……。艦長からこれを、テレサさんにと預かっているのよ」
 そういって彼女がカバンから出したのは、小さな黒いビロード張りの箱である。
 その中に入っていたのは指輪だった。シルバーの、一件何の変哲もないただのリングだ。

「これは、バイタルサイン管制用のリングね」
 雪がそのリングのダサさにイチャモンをつけようと、口を開くのと同時に、グレイスが笑いながらそう言った。
「バイタルサイン管制…」雪は思い当たった。ポセイドンで乗組員全員に義務づけている、発信器の事だ。「これが…」
 グレイスはにっこりすると、髪を耳にかけて左の耳たぶを見せた。「私はピアスでつけているの。医者ですから、指にはつけられませんし」


 他のクルーも思い思いに自由な場所に着けているらしかった。ボディピアスの者もいれば、肩や腕にタトゥーのように埋め込んでいる者(男性に多い)、ネックレスにしている者、指輪にしている者…など様々だ。
「そうか、島くん…これをあなたにって。あなたがどこにいても、分かるように…、だわ」
 グレイスからその大体の用途を聞いて、テレサは目を瞬いた。
「バイタルサインの管制は、万が一の有事の時だけ。もちろん普段はノーマークよ。戦闘に入った場合やこの間のシグマの事故のような時に、これが役に立つの。例えば艦載機で出ていて、通信が途絶えても、こっちのバイタルサインで安否を確認できる。素晴らしいシステムよ……島艦長の発案で作られたものなの。…一人も行方不明者を出したくない、っていう理由で」
 テレサは、無言で銀色のリングを手に取った。
「貸して?」
 グレイスが手を出した。言われるままに、テレサはその掌にリングを乗せる。
「この指に、しておきなさいな」グレイスは微笑みながら、テレサの左手の薬指にそれをはめた。「ほら…!やっぱり。ぴったりね」
 雪は思わず、リングをはめたテレサの指を覗き込んだ。


(……ハイドフェルト先生は…、島くんとテレサのこと……知っていて祝福してくれているんだわ)


 島が、直にテレサの世話係に選んだ女性である。不思議な事ではない。それにしても、他人にこんな深い意味のあるリングを託すなんて……島くんったら、ヤボなんだから。
 そう思って苦笑する。ただ、自分の左手の薬指には、何もつけていないのがちょっと悔しかった。そう言えば、この航海への出発前に、ニューヨークで進がしきりに「何か買ってやる」と言っていたのを思い出したが、今さら指輪なんて…と雪は笑って断わったのだった。
「でもね、艦長、もっと奇麗なのをちゃんと用意してらっしゃったみたいですよ。これはあくまでも通信機だから、って仰ってました……サイズはこの指でぴったりなんですけどねえ」
 グレイスはそう言って笑った。
「なあんだ……」
 雪は島の意外な朴念仁ぶりに驚いたが、そうではなかった事に安堵するとともに、一層テレサが羨ましくなる。島の事だから、そういうことにも手抜かりは無さそうだった。でも、一体どうやって「奇麗な指輪」を航海中に用意するんだろう?と不思議でしょうがない。


 テレサは、といえば、飾り気のない銀色のリングでも、嬉しそうに顔の前に手をかざしてみていた。その笑顔が、ふっと曇る。何事かを思い出したのか、彼女は終始無言だったが、指輪をはめた左手をそっと右手で覆い、胸に抱き寄せるようにした。

 

 

 

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