奇跡  永遠(7)




 テレサははっきりと…思い出した。島を愛したために犯した、殺戮の事実を——。

 ガトランティス母艦から立ち昇る、幾万もの断末魔の声、命の途絶える無情な音。2度と犯すまいと誓ったはずの恐ろしい罪を、再び犯した己の手…。その手には金色の光の粒子が、殺戮と同時にただ一人…島の命だけを掬い上げた記憶と共に煌めき、零れ落ちていた。
 この重すぎる記憶を持ったまま、生きるのは無理だ。何をしていても耳には死者の吐く呪詛が聴こえ、見開いた眼には見えないはずの人々の血糊が見えてしまう……

「…くり…してください…」
「え?」
 テレサは掠れた声で島に訴えた。「ウォード博士のコンテナに…私を…隔離してください」
「テレサ…?」
「私は危険です。お分かりでしょう…?私はまた…反物質を使ってしまう」
 島は宥めるように、ベッドから降りようとするテレサを抱きとめた。
「……!」

 島は酷く狼狽えた…強張った身体を抱きしめた途端、テレサは小さく悲鳴をあげて身体を硬直させたのだ。

 昨日までの彼女ではなかった。

 むしろ…、ガルマン星で最初に会った時のテレサと、その様子は酷似している。
「…今、…グレイスに支度をしてもらっている。準備ができたらすぐに地上施設へ移ろう。…でも、どうしたんだ…?」甦った記憶は、そこまで過酷な体験だったのだろうか。

 

 テレサは苦渋に満ちた表情で目を伏せた。 

 ——私は、あなたに愛される資格がないわ…。殺戮の魔女、それだけではなくて…私に関われば、また…誰かの命が失われる。


「テレサ…」
君を…守りたい。何があっても

 自分の肩を抱いた島の、その全身から強く伝わる心情。
 だがそれが可能かどうかは、テレサには判り切ったことだった。島がどれほど強くそう願っても、自分ですら抗えない苛烈な運命を、彼が変えることなど出来るはずがない。

(…あなたには…わからない)テレパスを持った人間が、何十万もの人間の断末魔を臨場体験することの熾烈さは…誰にも分からないわ……

 


 ただ、島の気持ちは無性に嬉しかった。触れた彼の大きな手からは、ひたすら自分を愛しく思う気持が溢れている。

 ——ありがとう…島さん
 呼吸を、落ち着かせる。
 恐怖と不安を宥め、吐き出すように深呼吸した。



「…ごめんなさい…もう大丈夫です。そう、私…伝えたいことが」
 島は、グレイスから大体の事を聞いていた。だが、テレサの口から実際にあの異常パルスに付いて聞くと、やはり戦慄を抑えきれない。
「……確かなんだね…?」
 頷きながら思い出すように目を閉じ、テレサは続けた。
「ボラーの船の中にツカサ・カズヤという人が捕えられています。その人は意識を失ったり取り戻したりしていて……とても苦しそうで……まるで、拷問に遭っているような…」
「誰かが君を狙っている、という感覚についてはどうなんだ?それは、司のお兄さんを捕えているボラー星人が、君の事も狙っている、ということなのか?」
 自分のことよりも司の兄の事をしきりに心配するテレサを愛しく思いながら、島は彼女の両肩を支えながら訊いた。
「…それは、わかりません。…でも、あれは、何か…人ではない者のような…気がしました」急にテレサは悪寒が走ったかのように身体を震わせた。
「人ではない者?」


 この宇宙には、自分たちの知識を遥かに凌駕する未知の文明、未知の生態系がある……地球人型の宇宙人ばかりに出会って来たから、その他の生態系の高度な知的生命体について、なかなか思いを馳せる事ができないのは確かだ。しかし、地球よりはるかに進んだ文明を持っていたテレザートの人間でも、予想できないタイプの生命体なのだろうか。

 島は震え出したテレサをそっと抱きしめた。
「テレサ…、大丈夫だ。必ず僕たちが君を守る。上空でヤマトが24時間態勢で護衛してくれているし、5日でシグマの修理も終る。そうしたら少なくともボラー艦隊とは決着をつけなくてはならないだろう。…ただ…」
 島は躊躇した。救出作戦は、まだ保留中なのだ。
「…司のお兄さんを救出するかどうかは、まだ…検討中なんだ」
「なぜですか…?」
 テレサは驚いて顔を上げた。「…あのままでは、あの人…死んでしまうかもしれないのよ…?」
「僕たちには、ボラー艦隊の位置がわからない。それから、人質救出に際しては、白兵戦が必要になる。もちろんヤマトには専門の突撃兵も乗り組んでいるが、…相手の情報が全くない状態で突入する事はいずれにしてもとても危険だ」

 はっと気がついたように、テレサは口をつぐんだ。抱かれた腕から、島の気持が流れ込んで来る。

「僕だって…司のお兄さんを助けに行けるものならそうしたい。でも、たった一人のために多くの犠牲を出すのを覚悟で、作戦を実行できるか、と言えば…それは…」
 言い淀んだ島を見上げる。島さん、なんて辛そうな…顔を。
「——だから、司には申し訳ないけれど、…お兄さんの事は…」
 とても皆まで言うことはできず、島はそのまま、黙り込んでしまった。

 ——諦めろと、自分の口から司に言うことを考えると身を切られるようだった。
 <バスカビル>で、<きりしま>の残骸を前に立ち尽くしていた司の姿…。お兄さんを探すために、自分もできるだけの事をするという約束をした。しかし、その約束を反古にしようとしている艦隊司令としての自分がいる。おそらく、そうすることで犠牲は最小限に抑えられるだろう。きっと自分個人はそのことでずっと後悔し続けるに違いないが、立場上それは、仕方の無いことだった。

「……知らせれば、……戦いは避けられない。戦って…死ねと部下に命じる事は、僕にはできないから…」
「…島さん…」
 苦渋に満ちた彼の心が、テレサの胸に突き刺さる。艦隊司令として、乗組員全体を危険にさらすわけにはいかないと、そう言い切った島の内心が酷く揺れていることはテレサにも否応無しに伝わった。



 司さんを…愛しいと思っていながら、あなたは。
 上に立つ者として、彼女の思いを踏みにじることも辞さないと。

 ……どんなにか…苦しいでしょうね…。



 テレサは島の手をそっと握った。労るようなその視線に、島は気付いて微笑んだ。
「心配してくれてるんだね。……君は…相変わらず。自分のことよりも」
 でも、と島は改めて彼女を抱きしめ、続けた。
「とにかく、君の身の安全を確保することが最優先だ。…地上施設に、真田さんが地下シェルターを作ってくれている。それが完成したらグレイスと一緒に、すぐにそっちへ移動して欲しい。…雪も、来てくれるそうだ。ヤマトとうちの艦載機隊も警戒に当たっているから、そう簡単には奴らも手が出せないさ」
「………」
「…司のお兄さんのことは…状況次第だ。君が心配する必要はない」 
 島はテレサを抱いていた腕を離し、その顔をじっと見つめた。
「サイコキネシスが戻って来ても、…『君が何かをしようとする必要はないんだ』。僕の言っていることの意味…判るね?」


 瞳の奥をまっすぐ見つめられ、テレサは言葉を失う。
「…もう、戦わなくていい。司のお兄さんの事は、…何とか方法を考えるつもりだが、もしかしたら…無理かもしれない。…それは…分かってくれ。君は、知らせてくれた…情報をくれた。それで充分なんだ。『君が戦う必要はまったくない』。自分を、大事にしてくれ。…いいね」



 ——島さん、…あなたは。…憶えていてくれたのね…?



「戦いたくない、…そう言っていたね。それなのに、君は…戦ってくれた、僕と…地球のために。……辛かっただろう」
 すまなかった。
 温かな胸の中で、そう静かに告げられ…。 押さえようとしても、駄目だった。嗚咽が漏れ、涙が止まらない。
 なんて……温かい…優しい声。
「2度と君に、辛い思いはさせない。約束だ」


(これで充分……私は…これ以上は何も…望まない)
 彼女の閉じた瞼から止めどなく涙がこぼれた——。




 ディーバ1903へ艦隊が着陸した2日後には、長期滞在用のドックも兼ねた船台が2基、そして滑走路が完成した。

 ただし、シグマの修理を行っているポセイドンは未だそのまま、浅瀬の海のプールに位置したまま動くことが出来ずにいた。水深が100メートルを越えるのはこの小さな直径1,000メートル程度の、隕石の落下跡とも思えるプールの中だけであり、ポセイドンがここから離陸するためには否が応でもシグマのエンジンの修理を完了する必要があったのだ。

 瞬間物質移送機のパーツは海上のポセイドンから陸上へ水揚げされ、その組み立てが始まっていた。

 観測班の調査で、海沿いの地層が期待以上に固く、地下シェルターを建設するのに理想的であることが判明したため、基地は当初予定されていた山間部にではなくポセイドンが停泊する海沿いに建設されている。作業班は滑走路に続き、シェルターのための縦坑を掘り進めて行った。



「……赤石さん!!」
 ポセイドンの第一艦橋に、司の声が響く。
「赤石…」
「赤石!戻れてよかったな!」
 おずおずと第一艦橋へ足を踏み入れた赤石は、司の歓声やら、皆の笑顔やらにすっかり面食らっていた。

 彼女は事件後しばらくの間、問題を起こした責任をとって死のうと思い詰めていた。デスクの引き出しの中には、遺書も用意していた…だが、日に数回、謹慎中の赤石の部屋へ彼女を見舞い、励まし続けた司の熱意にほだされ、赤石は少しずつ思い直したのだった……この世界で、もう少し生きてみよう、と。赤石がそう決意し、遺書を破り捨てるのと、カーネルから第一艦橋へ復帰するようにと通達があったのとは、ほぼ同時だった。司は毎日、執拗に赤石の謹慎処分を解いてくれるよう、カーネルに迫ったのだそうだ。だが、一体自分は皆にどう顔向けしたらいいのだろう、と彼女はすっかり意気消沈していたのである。

「あの、…艦長は…」見回したが、島の姿はない。
「基地の方に降りてるか、ヤマトに行ってるかどっちかじゃないかな。俺たち、このところずっと留守番なんだ」新字が答えた。
「……そう…。内線で話しただけだったので、直接謝らなくてはと思っていたんだけど…」
「そんなの、いいんじゃない?」
 と言いながら、司が小走りに駆け寄って来たのを見て、赤石はまじまじと彼女の腹の辺りを見つめた。
「司さん……あなた、傷は…」

 それにしても、ピンピンしている司に驚く。たった数日前に、至近距離で司の腹を撃ち抜いてしまったのは、他ならぬ自分だったからだ。
「もう全然オッケなの!ちょっと痛い時があるけど、傷痕もないのよ。見る?」
「えっ」
 司が人なつこい笑顔でそばまでやって来て、艦内服の前のファスナーを勢いよく下ろしたので、赤石は慌てて止める。「よ、よしなさいよ」
「俺、見たいなあっ」鳥出が首を伸ばしてそう言った。司は慌ててファアスナーを上げ、鳥出に向かって「べエッ」と舌を出す。

「……本当に……ごめんなさい、司さん」
「いいのいいの、もう済んだ事なんだし。気にしてないですって。みんなも、ね?」
 鳥出、神崎、新字、坂入や渋谷も、一様に笑顔で頷いたり微笑んだりしている。赤石は、感極まって頭を下げた。
「……ありがとう………皆さん…。本当に、申し訳ありませんでした…」

「もういいってば〜〜」司は赤石の背中に手をかけて、朗らかに笑う。
 片品だけが、忙しく作業をしていてこちらを見ようともしなかった。
 赤石は、手元のコンソールパネルを操作し定時観測データを作製している片品のそばへ歩いて行った。


「……片品班長…、ご迷惑、おかけしました」
「……うん」
「あの人の形見、…返してくださって…ありがとう」
「礼なら艦長に言えよ。もう発射できないように細工したから、返してやってくれって…艦長が俺に言ったんだ。………柏木さんは、…俺の…訓練学校の先輩だった。…お前と、付き合ってたんだな」
 赤石は涙を堪えて頷いた。婚約者だった。
「………お前を責める奴は、誰も…いないだろ?…俺も、責めないよ」

 デスラーの目の前で、赤石のために土下座して許しを乞うた片品の姿を、他のメンバーも見ていた。片品が赤石につれないのは、照れているからだと言うことも、今では皆が知っている。
「…ったく、素直じゃねえなあ!!」鳥出がからかうように言った。「赤石、片品はな、お前がいないと困るんだと。ずぅっと一緒に居てやれ、もうこの際、な!」
「えっ……」赤石は思わず頬を赤らめる。
「うるせえよ、鳥出」片品は半ば怒ったように言い捨てた。「赤石…お前のせいで作業が滞ってしょうがないんだよ。さっさと手伝ってくれよ、突っ立ってないで」
「……はい」目尻を軽く拭うと、赤石は片品の隣の自席に座り、彼の作業を手伝い始めた。


 赤くなった頬を、立てた制服の襟に隠すようにして不機嫌そうに作業を再開した片品と、うれし涙を堪えながらその隣で片品を手伝う赤石を見ていて、司は急に寂しさを覚えた。


(……いいなあ……)
 艦長は釣り損ねちゃったもんな。

 …チェッ。


 ディーバの空は、今日も水色だった。からりと晴れても、底抜けに青い事など、きっとない星。
(あたしにお似合い、ってとこかな……)

 
 そう思い、司は唇を尖らせ、苦笑した。

 

 

 

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