奇跡  永遠(4)




 ディーバ1903に、夜の帳が降りた。着陸してまだ数時間しか経っていないのに、青空は急に黒いインクでも流し込んだようにすっかり暗くなった。この星の自転が地球よりも早いために、つるべ落としもしくは「暗転」のような陽の落ち方をするのである。
 星の見えない漆黒の闇空から細かい雨粒がベールのようになって降りしきり、岸辺に煌めく工作班の基地建設の灯りを瞬かせていた。



 司はメイン操舵席に座り、ここまでの航海をデータ上で整理していた。これが終われば、やっと作業に一区切りが付けられる。
「あ……雨」
 手元のデスクライトで端末に報告データを入力していた司はその手を休め、キャノピーを見上げて呟いた。
「ホントだ」隣で同じく報告データの入力に勤しんでいた大越が顔を上げ、キャノピーに細かく降り注ぐ霧雨を見て同意する。
「降るんだ……、この星。いいね、環境は良さそうだ。恐竜みたいな大きな生き物もいないし、まだ植物が出始めたばっかり、って感じだもんな」
「そうね」



 外に出て、濡れてみたい、と唐突に思う。司は報告書の最後の一行を入力し終え、コントロール室に転送し……ふう、と座席の背もたれに深く沈み込んだ。今夜はこのまま、まだしばらく第一艦橋での当直勤務が続く。
 艦長席に、島の姿はなかった。
 島は副長カーネルとともにシグマの調査に行って、そのまま補給基地の建設予定地へコスモハウンドで飛んで行ったきりだ。ヤマトは100メートルほど上空に反重力バランサーを作動させた状態で浮いていた。非常警戒態勢のまま、非常にゆっくりと360度を警戒しながら回転するヤマトの艦首ソナー、停泊灯や翼先端部の航海灯が上空にきらきらと輝いて見え隠れしていた。

「……どこ行くんだ?」急に席を立った司を見て、レーダー席から片品が訊いた。
「ちょっと外まで」司は短く答えると、小走りに艦橋出口へ向う。
「外お?」一体何で、という顔で新字と鳥出も顔を見合わせる。

 第一艦橋から緊急退避用のエレベーターで下ると、上部甲板口に出る。地球のドックや港では、ポセイドンもヤマト同様船として海水に浮かぶ構造になっているので、甲板には主砲以外にコスモファルコン等の離着陸や戦闘機の修理作業等が出来る広いデッキスペースがあった。
 ディーバの大気は酸素濃度が低く、ヘルメットなしでは高山病になってしまう恐れがある、と聞かされていたが、司はヘルメットを持たずに来た。


(ほんの1、2分だから)
 司は自分にそう言い訳して、甲板出口の二重構造の内部ハッチを開けた。内部ハッチと外部エアロックとの間には、2畳ほどの空間が設けてあり、そこには船体の外の温度や湿度、空気中の含有物質等の測定機が設えてある。簡易宇宙服も数着備え付けてあるが、司はそれを無視した。
(空気中に有害物質はなし…風速、ゼロ。気圧890ヘクトパスカル…そっか、だから低酸素症になりやすいんだわ…)
 歌姫は不思議な星だった。地球よりも平均気圧が低いため酸素濃度が低い。どこもかしこもヒマラヤの山中にいるような気圧状態だということだ。それにも関わらず、湿度が異様に高い。水と思しき液体の比重も地球よりずっと重いのだった。それはこの星の重力特性とも関係があるらしい。
(気温18℃、湿度45%……か)
 良いお湿り、って感じかな? ううん、ちょっと寒いかも。
 やはり簡易宇宙服を着ようか、と一瞬思ったが、まあいいか…とそのまま外部に通じるエアロックを開ける。




 目の前に広がるポセイドンの甲板には作業員の転落防止のため両舷に磁力ワイヤが張ってある。床面には2メートル間隔程度で青色の常夜灯が埋込まれていて、それがずっと向こうまで裕に200メートルほど点々と続き、暗い甲板の淵を知らせていた。濡れた甲板は常夜灯の光をきれいに反射し、まるで、暗闇の中にどこまでも続く滑走路のように見える。左右を見渡すと、ポセイドンの照明が煌めきながら反射する真下の海以外は、真っ暗だった。まるで、星のない外宇宙の光景のようだ。
 視界が利くかぎりの夜空から、霧雨が薄いベールのように降り注ぐ。
(……案外、温かいな)
そして、不思議とそれほど息苦しくはなかった。 
司は目を閉じて、天を仰いだ。

(………お兄ちゃん)


 雨の中、兄とふたりで空き地に大の字に寝ていて、通りすがりの近所の人に怒られたっけ。
 司は、とすんと甲板に腰を下ろし、ついでぱた……と大の字になった。
 全身で霧のような雨を受け止める。
 ……しばらく、そのまま司は天を仰いでいた。

(お兄ちゃん…。生きてるよね……?)

 ぎゅっ、と目をつぶる。ディーバの雨が、閉じた両目の瞼のはしから、玉になって転がり落ちた。
「…あ痛て…」
 雨に濡れて体温が下がったからか、左脇腹がずきん、と痛んだ。考えてみれば、この傷を負ってからまだいくらも経っていないのだ。普通ならまだ全然動けないはずだった。無茶をするなと言われても、傷は塞がっているし時々痛む程度だったから、司は自分の身体を庇う事なく動いていたのだ。だが、やっぱりまだ完全ではないのだろう。



 ふふ…奇跡の医学ね。
 ……奇跡……。


「奇跡は、本当に起きることがある……」

 島に言われたその言葉を、司はもう一度呟いた。

 ——奇跡か。

 ガミラスの観測センターで聞いた、ボラーの残存兵の声。ツカサ、という人物がそこにいるだろう事実。
「……どこにいるのよ…」
 最初はあの次元断層で。
 そしてガミラス上空に。
 ……手がかりは、掴もうとするとするりと逃げてしまう。
 ——そして、……幸せも。
「奇跡なんか、起こりっこないじゃん…」
 片腕を両眼の上に乗せた。涙が熱く滲み込む。
 ……それを袖で、ぐい、と拭いた。
 
 

                        *



「あ、戻ってきた」大越がオートドアの開く音に気付いて、呟いた。
「一体デッキで何してたんだ?…そんなに濡れちゃって」鳥出が呆れ顔で肩をすぼめる。
「あ…えっと…えへへ…」司は答えに窮したが、まあ元々何をしてたわけでもないのは事実だ。そのまま、その通りに答えるしかない。「なにも。ただひっくり返ってただけよ」
「ただひっくり返ってた…って…あーた…」鳥出にはその行動自体が解せない。
「だって、なんか気持ちよかったんだもん……」

「苦しくなかったですか?外」大越が苦笑しながら聞いた。
 ディーバの外気に触れたのは、司が初めてでもあったしおそらく自分はこの先も直接この惑星の外気に触れる事はそうそうないだろうと思っての質問である。
「そうでもなかったよ。それに気温18℃の割にはあったかかった」
「雨の中にどういう成分が入ってるか分かったもんじゃないんだぞ!まったく軽卒だな!」レーダー席から片品が口を挟む。
 司はペロっと舌を出して言った。
「酸性雨じゃなかったけど?」
「なめたのか?!雨を?!測定不可能な放射能でも入ってたらどうすんだ!」
「ええ〜〜…マジやだ、怖い事言わないでよお…」
 片品が真面目な顔で司をたしなめたので、鳥出が声を立てて笑う。
「まあ、元気そうだし…毒は無いようですね、ここの雨は」と、神崎がタオルをどこからか出して来て司に投げかけてくれた。「でも、着替えた方がいいんじゃないですか?」
「ありがと〜〜、神崎く〜ん」
 ベエエ〜〜ッ、と片品と鳥出にアッカンベエをしながら、司は神崎の寄越したタオルでバサバサと頭を拭いた。

「結局、徹夜で工事するのかな……あっち」
 新字が立ち上がり、左側のサブ操舵席の背に凭れてそう呟いた。キャノピー越しに見える地上施設の作業灯が、忙しくちらちらと瞬きながら動いているのがここからでも見えるのだ。
「俺たちだって徹夜みたいなもんだろ。…シグマの方だってひっちゃかめっちゃかだし。ヒマならこっち手伝ってくれよ」片品はまだ観測データの分類と整理に追われている。赤石がいないので、その分彼がデータの集積を行っているのだった。

「…そういえば、…赤石さん、いつまで謹慎なの?」
 司は片品の席に歩み寄り、そう聞いた。
「…艦長次第だよ」片品は溜め息まじりに応える。「…あいつのやった事は許される事じゃないけど……俺は、責められない、と思った。司…」
 言いにくそうに、片品は上目遣いで司に視線を移し。「……赤石を、許してやってくれないか。俺からもお願いするよ。あんたが一番、割を食ったんだもんな…」
「あたしはもう平気よ?!…あたしだって、もしも……」司は口籠った。「もしも、大好きな人を殺した相手が目の前にいたら。…赤石さんみたいにならないとは限らないもの……」
 第一艦橋のメンバーは、大体の事情を島から説明されていた。だから、赤石を責める者は一人もいなかったのだ。
「あたし、艦長に赤石さんの謹慎解いてください、って頼んでみるね」
「そうだな。……ここから出発するまでに、あいつに戻っててもらわないと、作業が滞って仕方がないからな…。頼むよ、航海長」
「……うん」
 片品は、素直になれない自分に苦笑しつつ、また作業に戻った。

 



 地球標準時間、19時45分。

 ディーバ1903の自転に従って、地球標準時間の一日を21時間に設定すると、20時20分くらいに相当するのだろうか。もう少しすれば日付が変わる。陽の光とともに活動を開始する体内時計を備えた人間は、否が応でもディーバの日照時間にその針を合わせて生活しなくてはならない。
 周囲はすでに真っ暗だった。地上施設の視察に行くには随分遅い時間なのではないか…と思えなくもなかったが、地球時間ではまだ宵の口だ。 結局、山間部の補給基地建設予定地ではなく、ポセイドンが緊急着陸したこの浅い海の岸辺に基地を建設する事になったため、島は古代たちがいる船台建設のための事務所へ、志村の操縦する連絡艇で向かっているところだった。

 

 

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