「…一体、何の事?!」
テレサは戸惑うグレイスの顔を見つめた。
——ああ、でも。
……何がなんだか…わからない。どう説明すればいいの…?
強力な思念波に乗せて、司の兄がこの船へ信号を送っているとでも言うのだろうか。しかし一体どこから…? そして、何のために?
けれど、どうあってもこれは司に知らせなくては、とテレサは思った。彼女が会いたいと切望していた、大事な人なのだ。今、彼が置かれている状況がどんなものであれ、彼…ツカサ・カズヤは紛れもなく生きている。
「グレイス先生、私、…司さんに…話が」
「司さんに?…でも、今はまだ…」
「…では、できるだけ早く…」
「私ではだめなの?あなた、そんな身体で無理してはいけないわ。まだ着陸したばかりだから、しばらく司さんはここへは来られないと思うの。…私が…話を聞くわ」
浅い呼吸が収まらないまま、テレサは目を伏せた。
「……さっきの……うなりのようなものですが…。あれが叫び声に聞こえませんでしたか…?…地球の人の」
テレサを落ち着かせるため、グレイスはその背中をそっとさすってやる。彼女には、かつて超能力が備わっていたと聞いている。それが再発すれば非常に危険なのだと、島はそう話していた……だが、資材倉庫の中にあるあのコンテナに、この状態のこの人に入るように言えって言うの…? 確認のため事前に一目それを見せてもらっていたグレイスは、まるで甲虫の甲羅のようなあのコンテナに、半病人の彼女を閉じ込めることにはどうも肯定的になれなかった。
「あなた、……また超能力が…?」
テレサは顔を上げ、悲痛な顔で頷いた。「そうでなければ、こんなにはっきりと…わかるはずがないですから…」
「……今はまだそんなに酷くなさそうね。……いいわ、ここにいましょう、とりあえずもう着陸はしたようだし」これ以上、危険なことは無いでしょうから。
艦長からは何か言われるかもしれないけど、かまわないわ。
テレサは自分の意識に流れ込んで来た声の主の名前が「ツカサ・カズヤ」だということをグレイスに打ち明けた。そして、司がカズヤ、…10年前に死んだはずの兄を探し求めている事も。
グレイスは、このあまりの偶然の符合がにわかには信じられず、腕組みをしてしばし考え込んだ。
「でも、なんでそんな事になるの?どこから、誰が何のために、ポセイドンにそんなことをする必要があるのよ…?」
「……最初のパルスの中に…別のものが…。別の邪悪な意識が…私を、探していました……」
それを思い出して、テレサは改めて恐怖に身を縮めた。
「ツカサ・カズヤさんの意識は、…その邪悪なものに捕えられていました。ですが…あのパルスの標的は、…おそらく…私だったのです」
「……何ですって…?!それじゃ、司さんじゃなくて…艦長に知らせないと!」
「ああ…」テレサは思わず顔を両手で覆って呻いた。
どうしよう……また私は、…彼を……
島さんとヤマトを、戦いに引きずり出してしまう………!
グレイスは一度、大きく深呼吸して自分を落ち着かせながら、インカムで島を呼び出した。ところが第一艦橋に島はおらず、内線に出た鳥出の言うにはシグマの被害状況を調べに行っている、とのことだった。
降下中に、まるで被弾したかのように突然電圧異常が発生し、シグマの波動エンジン駆動部が破損したというのだ。
インカムでグレイスと鳥出がやり取りしているのを聞きながら、テレサはじわじわと絶望感に追いつめられていった。…サイコキネシス。厖大な電気エネルギーを、確かにさっき…私は放出してしまったようだった。あの金色の粒子が、両手から迸り出ていたのを、はっきりとこの目で見たのだ。
「……私の…せいです」
内線を切って振り向いた医師に、テレサは小さく呟いた。
「私の持つサイコキネシスは…電気エネルギーとして放出される事があります…。通信機や、モニター、照明などが……帯電して発火するのはそのためなのです。波動エンジンも…おそらくそのせいで…」
「……そんな…」。
先ほど、照明やモニタが火花を散らして停止したことを、テレサはしきりに謝っていた。
あれが……!?
島が表情を曇らせて、テレサの超能力について一通り話した時のことをグレイスは改めて思い出した。地球で言うところのPK よりも、それははるかに大きな威力を持つのだ。ガルマン帝国の医師によってその力が一時的にせよ封じられているのであればさして問題はない、とその時は深く考えなかった彼女だが、今その力を目の当たりにし、それが信じ難い規模の災害を引き起こす事を知って愕然とせざるを得なかった。
この儚気な、弱々しいひとにどうして神様はそんな十字架を背負わせるのだろう……?
「グレイス先生。…私を…隔離してください」
「…でも、もう…船は着陸しているから、大丈夫よ」
「いいえ…危険です。…私は…いつまた制御不能になるかわかりませ……」
突然自分の両肩をさっと抱き、いたわるように寄り添ったグレイスに、テレサは驚いた。
可哀想、という言葉では表しきれない、とグレイスは思った……もしも自分が、こんな重い運命を背負ってしまったとしたら、とても独りでそれに耐えて行く事は出来ないに違いない。
「慌てなくて大丈夫だから。危険だろうが何だろうが、あなたにそんな無理はさせられないわ。…お願いだから、一人で頑張ろうとしないで。…私ができる事はそんなに多くはないけど、そばにいてあげることくらいは、できるんだから…」
「グレイス先生…」
司の事も、グレイスは妹のように思っていた。テレサのおかげで、司は幸せを掴み損ねたようなものだったが、だがこの人から島艦長を取り上げてしまったら…それはあまりにも酷過ぎる。テレサがどうにか生きて行くために、艦長の存在は必要不可欠なものなのだ。
テレサは自分の肩を抱く医師の手にそっと触れた。
触れた相手の思うことが、朧げに伝わって来る。…以前持っていた能力が、僅かずつ甦り始めていた。
(…なぜ…あなたまでが)
この医師までが、こんな…死神のような私のために悲しんでくれている…?
彼女の優しい気持ちが、触れあった手を通してジンと伝わって来た。
——だからこそ、この優しい人たちを危険に陥れてしまう自分の能力が許せなかった。グレイスさんだけでなく、古代さんや雪さん、真田さん。相原さんや南部さん、太田さん…そして、司さんも。誰にも、迷惑をかけたくない……。
このかけがえのない人たちを守るために……私には…何ができる?
どうしたらいい……?
テレサは目を閉じて、深い溜め息を吐いた——。
「地球の船はディーバ1903へ降りたようです…」
ルトゥーがレーダーを凝視しながら、傍らのアロイスにそう言った。異次元空間から降下して行く地球艦隊を監視していたところ、どういうわけか大型の方がエンジントラブルを起こしたらしく、白煙を上げて墜落するように大気圏へ飛び込んで行ったのだ。
「…?事故でも起こしたようですね」
「それはそれで、好都合だ」
肩越しに艦橋を一渡り振り返る…先ほどから白装束が見当たらない。艦橋の隅に踞っているハガールが姿を消すのは、例の船体中央部にある彼の部屋へ行っている時なのである…
(……まさか、ハガールの奴が何かしたのだろうか…?)
そう思った途端、ルトゥーは背後に揺れる白マントを見つけ、ぎょっとした。——足音もしない。相変わらず不気味な奴だ。
アロイスが振り返り、戻って来たハガールへ静かに問い掛けた。
「……ハガール、反物質は変わらず地球艦隊と共にあるか?」
「さようでございますとも…」
ハガールは皺だらけの手を白いマントの中に差し入れ、小さな液晶モニタの付いた丸い装置を出し、それをことりと操作卓の上に置いた。
「……追尾装置です、陛下」
また得体の知れないものを…とルトゥーは顔をしかめたが、アロイスは感心したようにそれを覗き込み、にやりとする。
「これを追って行けば、反物質を持つ魔女に辿り着けるのだな」
「その通り。先ほど、魔女の位置を寸分違わず確認しました」
「よし……ルトゥー、アンドロイド隊を編成し、武装させろ。奴らが地表へ降りる前に…まずはヤマトを、おびき出す」
「陛下」
ルトゥーは躊躇いがちに言った。「…お言葉ですが、今しばらく…猶予を」
艦橋内部は言わずもがな…、艦全体がまだひどく傷ついている。修復は遅々として進まず、奇襲作戦にアンドロイド兵を取られれば航行自体にも支障をきたしてしまう。
「…馬鹿を言うな、ルトゥー…」アロイスが口の端に笑みを浮かべながら、ルトゥーに一歩、歩み寄った。「今が奇襲攻撃を仕掛けるチャンスではないか」
「陛下」
お分かりになりませんか、と言いかけてルトゥーはハッとした。アロイスの自分を見る目が少しばかり妙だ。「…陛下?!」
「…ルトゥー、聞こえなかったのか」
錯覚だろうか。自分を凝視しているはずのアロイスの瞳が、心無しか朦朧としているような気がした。
「…陛下、今すぐには無理です。まず艦の修理を。第一、ツカサもまだ回復しておりません…」
言い終わらぬうちに、首元を締め上げられ…彼は驚愕の面持ちでアロイスを見下ろす…「へっ…へいかっ」
「まあまあ、焦らずともやつらはしばらく身動きできますまい。アロイス様、ここは艦の修理を優先し…然る後に決戦に臨みましょうぞ」
ルトゥーの首根を締め上げていたアロイスはおもむろにハガールを見やると、ふっとその腕を緩めた。「…そうか。お前がそう言うのなら」
ドサリと床に崩れ、喉元を抑えて咳き込んだルトゥーを後目に、アロイスはマントを翻し、もう一度制御卓の上の“追尾装置”に腰を屈めて見入る。
(アロイス陛下…!一体…どうしたことか…!!)
明らかに様子がおかしい。
愕然とするルトゥーを、ハガールがやれやれ、といった顔で見下ろしていた。
「…ハガール!貴様、陛下に何を」
「?なんのことですかな。指揮官閣下は早急に艦の修理をされたがよろしいな」
ルトゥーは戦慄し、艦橋全体を眼球だけで見回した——
この船は、…操られている。アロイスでもなく、ボラー連邦の悲願でもなく……この異星人に———!
異次元空間に身を潜めたまま、2隻のボラー艦はゆっくりとディーバの引力圏へと接近した。
*
レオンは意識を回復したが、まだ動ける状態ではなかった。
思ったより酷く負傷したのに違いない。アロイスに撃ち抜かれた右手の銃創から流れた血が固まり、思うように動かなかった。
「……レオン」
空耳かと思った瞬間、再度自分を呼ぶ声が聞こえた。「レオン、起きているか」
「ルトゥーか」
牢の中のレオンは、壁に寄り掛かるようにして踞っていたが、牢の出入り口が開きルトゥーが入って来るのを見て顔を上げる。
「…傷は…大丈夫か」
老戦士は頷く。「これしき、どうということはない…」
照明の充分でない牢の中は、監視カメラも備わってはいたが、今はそれを監視する者もいない。だが…ひどく妙な展開になったことを恐れつつ、ルトゥーは自分のマントの中に入れて来たものが監視カメラに映らないよう注意深くレオンの傍らに座り込んだ。
「…どうした…何かあったのか」
「いや。…地球の船が、ディーバ1903へ降りた。これから艦の修理を終え次第、我々もディーバへ降り、奇襲作戦に移る。…お前が復帰できるかと思ったのだが」
奇襲にかけてはレオンの右に出る者はいなかったからな…と呟きながら、ルトゥーは自分のマントをレオンの身体にふわりとかけた。
「…?」
ルトゥーはおかしな手つきで、レオンのマントの下に何かを入れて行く。
「…お前」
「体力を温存してくれ。敵は…この船にいる」
囁くようにそう言うと、ルトゥーはさっと立ち上がった。
「ルトゥー」
驚愕の面持ちで問い直そうとするレオンに、ルトゥーはかぶりを振る。
私は、愚かだった。もっと早く、レオン、お前の忠告を聞いておくべきだったのだ——
(3)へ 「奇跡」Contentsへ