奇跡  射出(24)




<ワープ5分前>
 艦内放送の声が、島の声に変わった。


(……島さん…)
 愛しい声。島の声を聞くと、いつも身体の芯がぼうっと熱くなるような感覚が走る。この感覚は初めて彼の声をテレザリアムで聞いた時からそうだった。

 どんな人なんだろう、どんな顔をしているんだろう?背の高さはどのくらい…?髪の色は?瞳の色は……?

 次第に気持ちが昂っても、彼女が通信で話すことと言えば彗星帝国のことだけだった。危機を知らせるために発した通信に答えてくれたからと言って、何をこんなにドキドキする必要があるのだろう?そう自分をたしなめたりもした。



 医務室の隣にあるグレイスの部屋へ戻ったテレサは、部屋の反対側に誂えてもらった自分のベッドに腰かけていた。ワープがどういうものかは、大体知っていた……テレザリアムも、ワープすることはできたからだ。ベッドに寝た上でベルトをしておいた方がいいとグレイスは言っていたが、そこまでの衝撃があるとは思えなかった。



 テレサは、司に触れた自分の手を見つめる。

<ワープ1分前。各自ベルト着用>
 島の声が再び響く。

 先刻、司の手に触ったとき……。


 彼女の思いがテレサの意識の中に、電流のように流れ込んで来たのだ。
 例えば島、グレイスや雪、音無や佐渡と言った他の者とも肌が直に触れ合うことはある。だが、それまで触っただけで相手の意識がこちらに入り込んで来ることなどなかったのだ。
 司は、…彼女は地球人の中でも特別に感覚が鋭いのかもしれない。そう言えば、彼女の身体能力もずば抜けていて、本人も気がついていないけれど地球人としてはかなり類い稀な体質なのだと、グレイス医師が言っていた。

 デスラー総統府の中庭で、走っている彼女を初めて見た時…可愛らしい人だわ…と感じたことを思い出す。話をしてみてさらに…素敵な人だと思った。島さんと同じ、船の操縦をしていると聞いて、胸が躍った……島さんに聞けないことも、彼女にだったら聞けそうな…そんな気がして。


 誰かと話すこと、微笑むこと、信頼することや頼ること、感謝すること、笑い合うこと………そんな当たり前の感情を……ようやく思い出して来たところだった。
 こんな自分にも…友だちが……
 雪さん、そして司さん、グレイス先生。……こんなにたくさん、同性の友達ができるなんて…。本当に夢のようだと思った。

 ——けれど——。



 テレサの心に零れて来た司の深層意識らしきものは、激しいくらい、島を恋い慕っていたのだ。それはまるで…テレサ自身が島を恋する時のようだった。



 艦内放送では秒読みが行われている。
 島の声が、ワープの開始を告げた。

 次の一瞬、テレサは思わずベッドの縁を掴んだ。地球の船のワープは、思ったより息苦しいものなのだと、改めて驚く。座っていられなくて、ベッドの上に倒れ込んだ。新型スーパーチャージャーを装備した最新鋭艦の時空転移スピードは、テレサの想像を超えていた。どうにもならない気分の悪さを感じ、彼女はベッドの上で枕を抱いて身体を強張らせた。



(……私は……帰ってきては…いけなかったのかもしれない…)



 視界が歪み、ベッドの形や部屋の什器までもが不思議な色形に変化して行く。今まで彼女がテレザリアムで行なったことのあるワープより、遥かに速度が速いのだ。テレサは枕に顔を押し付けて苦しげに息を吐いた。

 司の意識からは、島への思慕の念が溢れ出していたが、加えてそれを目の前の自分のために押し殺しているのが分かった。まるでそれは、島への思いに鋭い刺のついた枷をはめ、流れる血や痛みを覚えなければ、それを止められないとでもいうかのようだった……その司の胸の痛みが、テレサの胸をも鋭く抉った。
 それ以上にテレサにとって衝撃だったのは、司の深層意識に横たわる一片の映像……。

 それは、島が司を抱きしめている情景だったのだ。

 それが司の独りよがりの想像ではないことはすぐ分かった。抱きしめられている、というのが客観視された映像ではなく、彼女自身の体感として伝わってきたからだ。テレサは、司の記憶に触れたとき、まるで自分が島に抱かれているかのような錯覚に陥った。彼女は、その現実の映像を「想い出」として心の奥深くに封印しているようだが、彼女が生きるためにそれが必要不可欠なパワーを持っていることはすぐに分かった。



 一体自分は何を見たのだろう。
 島さんは……、あの人を抱きしめていた。
 まるで、私にそうするように…、司さんを、抱きしめていた…



(……彼は本当は、困っていたのかもしれない…私が戻って来たために、否応無しに司さんを諦めなくてはならなかったのではないのかしら…?)
 その思いつきは、残酷なものだった。

 ——彼が私を愛していることを、私は信じて疑っていなかった。けれど、7年も経っているのだもの…彼が他の人を愛したとしてもそれは、不思議ではないわ……けれど。
 胸の動悸が次第に早くなる。身体が震えた。
 
 目を開けて、室内を凝視する。部屋の壁が透けて、見つめるほどに薄く脆くなって行く。島のいる第一艦橋は、この巨大な輸送艦の最上部、ずっと上の方だった…見つめているうちに、そこまで辿り着いてしまうのではないかと思えるほどだ。
 テレサの視界は彷徨い、狼狽えた。

 ……島さん

 島の顔が、脳裏に浮かぶ。その声は心に焼き付いて、溢れる慕情を抑えられない。テレサは抱いている枕をさらに強く抱きしめた。島への思慕の念と混乱。司から聞いた、白色彗星の恐ろしい最期…。焦燥、そして絶望が渾然となり、彼女の心を締め付ける。

 右手の中指に視線を落す。
 この船の船倉にある、ウォード先生から贈られた、PK遮断用のコンテナ。あの呪われた力に再び囚われてしまう可能性を懸念して、あのウォード先生が用意してくださったもの。


(このまま…あの呪われた力を持ったまま、島さんと地球へ行くことは…できない)
 急にそう思えて来て、胸が潰れるほど哀しくなる。どうしてそんなことを思ったのだろう。だが過去に幾度もそう考え…苦しんだことを朧げに思い出す…。



 私が本当に…あの彗星帝国の中枢を、反物質を使って滅ぼしたと言うのなら。…私は…あの帝国の大帝と変わらない、殺戮の魔女ではないか。そんな女が、どうして彼と一緒に地球へ行けるというのだろう…?


 涙が溢れた。
 
 目覚めない方が…良かったのかもしれない——
 私が帰って来なければ、島さんは同じ地球の人と…幸せになれたのに。
 …私のような、殺戮者ではなくて……



  
 逃げ出したいほどの、恐怖と絶望に飲み込まれそうになった時、島の声が響いた——
<ワープ終了!各部署、点検を急げ>
 その声を聞いた途端、テレサは自分の両肩を強く抱き、声を殺して嗚咽した。急激に身体が押しつぶされるような感覚がやってきて、艦が安定する。ワープ空間から脱出して、船が通常航行に戻ったのだ。



 あれほど息苦しかったのが嘘のようだった。
 うつ伏せのまま、テレサはしばらく身じろぎもしなかった。

 会えて……良かったね。そんで、…地球を救ってくれて……ホントに…ホントに、ありがとう。
 そう言った司の、屈託のない笑顔が脳裏に浮かぶ。
 これからでしょ?これから、もっともっと幸せになるんでしょ……?

「司さん…」

  島が彼女を抱きしめていた光景は忘れようがなかったが、それでも司は…テレサにとって大切な存在だった。デスラー総統府の中庭で、彼女が自分に言ったことをテレサは思い出す…

 不安に押しつぶされそうだった自分に、司はこう言ったのだ。

 

「思い出せないことは、忘れちゃいなよ!あなたの身体がその記憶を必要としていないから、だから思い出せないんだよ…」

 

 あの言葉に、どれだけ…救われただろう。

 私が戻って来たばっかりに、彼女は島さんを…諦めなくてはならなくなったのだろうに。それでも彼女は私を…祝福してくれている。

 

 テレサはもう一度、島のいるであろう第一艦橋を見上げるように、視線を天井に向けた。

 

 私は…島さんを愛している。でも、司さんもグレイス先生も、…雪さんも古代さんも…みんな、大切な友達。嘆いてばかりでは…どうしようもないじゃないの。

(皆のために…私には、なにが出来る…?)

 

 この先、何が起きるかはわからない…けれど、大切な人たちのために私の出来ることを…しなくては。

 不安、焦燥、拭えない絶望……それらを無視することは出来ないが、泣いてばかりでは駄目だ。テレサはそう思い、頬に零れた涙をそっと拭いた。

 

 


 

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