奇跡  射出(23)




「ヤマトが、謀反を…」
「最初だけね。防衛軍本部はすぐに撤回して、彗星帝国への防衛作戦に加わるように、って命令したの。…それって、ヤマトがテレザートに行ったあとだったのよね…?」

 テレサは突然の話に少し戸惑ったが、視線を上げて何かを思い出そうとする。グレイスもこの話題にはちょっと気を引かれたようで、作業をしながら時々こちらをちらちらと見ているようだった。
「…でも、あの後は何もかもめちゃくちゃになって、一旦地球は降伏したのよ。その後、…何がどうなったんだか、ヤマトが一隻で勝っちゃったの。今でもあの頃のことは、色々とトップシークレットなのよ…ね?グレイス先生?」
「えっ」グレイスも突然話題を振られて面食らう。「そ…そうね」


 司の腕にリストバンドよろしく巻き付いている、ピンク色の鉄アレイが目の前を上がったり下がったりするのを目で追いながら、テレサは何事か考えていた。
「…あ、でも、話したくなかったら良いんだよ?」テレサが黙っているので、司は愛想笑いをした。だんだん息が切れてくる。リストアレイは片手分で5キログラムずつあった。
「いいえ。私、司さんには、私のことをもっと知ってもらいたい…」テレサは司に視線を戻すとにっこり笑った。その極上の微笑みに、どきりとする。女の自分でもこんなにドキドキするのだから、男の人だったらこれは……。

 

「……島さんと初めてお話したのは……通信、でした…」
「通信?」
 テレサは恥ずかしそうに頷いた。「私が全霊を傾けて一方的に発していた祈りに、答えてくれたのがヤマトだったのです。通信を受けてくださったのが、島さんでした」
 司はちょっと考えた。……ヤマトの通信班長って、その頃からずっと相原さんじゃないの?
「……島艦長が通信を?相原さん、じゃなくて?」
「いいえ、島さんでした」
「へえ……」

 かなり少ない人数で強行発進したという話だから、相原さんの仕事を島艦長が肩代わりしてたのかしら。
「でも、通信で何を話したの?…そんな、プライベートな話なんか、できないでしょ?」
 司の不思議そうな顔に、急にテレサがまた顔を赤らめた。「それが…あの……ある時島さんが、私を…褒めてくださって……」

 司は、いやグレイスまでもが一瞬呆気にとられる。公の通信でそういう話をするかしら……?
「通信で?? うそー…何て?!」司は可笑しくなって、テレサを問いつめた。「ねえ、何て言ったの、島艦長??」


 司もグレイスも、学生時代にこういう話を友達同士でしたことを思い出した。恥ずかしがる女友達を問いつめて、どんな告白をされたのか白状させる。まあ大抵そんな惚気話をきいたところで虚しいだけなのだが、何故か止められないものだ……
「…君は、声からして奇麗な人なんだろうなあって……」テレサはそう言ってしまってから、両手で赤くなった頬を覆った。もっと、身体の事なども言われたのだが、それ以上は恥ずかしくてとても言えない。あの時、何を言われたのか急には理解できなくて、テレサは驚いて通信を切ってしまったのだ。それまで人から褒められたことなどなかった彼女にとって、島の言葉は衝撃的だった。思えば、あの出来事を境に自分は島との通信を楽しみにするようになり……いつしか、「この人に会いたい」と思いつめるまでになったのだ……


「……うっそ……!!」司は呆れ返った…(グレイスは絶句だ)。

 信じられない〜〜!!


 口説き文句にしてもストレート過ぎる。普通だったらドン引きだ。大体、それが公式の通信であれば、十中八九記録に残るのに、そんなことをあの島艦長が……!
「ううっ、すっごいこと聞いちゃいましたねっっ」司は笑いを堪えきれず、グレイスの方を見て唸った。困ったようにグレイスも頷いたが、テレサの顔を見て慌てる。
「だめよ、内緒にしておかなくちゃ。心配しないでテレサ。誰にも言いませんからね。…大体、もう7年も前のことなんですもの、艦長だって……」
 7年前、司は高校生だった。島はやっと20歳になったばかりだ。……若気の至り。稀代の名操縦士、海闊天空にして冷静沈着、理性と知性の申し子と噂される天才航海士、島大介。…ところが蓋を開ければその実体は。

 それにしたって……ぷぷぷぷぷ…!

 航海の間、司は島の思いがけない情熱的な面や、拍子抜けするほど朴訥な一面を見ていた。おまけに実は……惚れっぽかったんだ。……あの島艦長だって、普通の男の子、だったんだわ。

「あの、あの……。このことは、島さんには…」
「分かってますよ、何も言いませんからね」グレイスが赤面しているテレサに再度念を押した。「いい?司さんも、艦長に変なこと言っちゃ駄目よ!?」
「はあぁい……」笑いを堪えきれず、司は間延びした返事をする。

 それにしても、そんなストレートで野暮ったい口説き文句にドギマギして、恋に落ちてしまうなんて、この人…テレサもほんと、可愛いったら。


「…でも、そうやって艦長があなたを口説いたから、地球が救われたんだと思うと…不思議ねえ。事実は小説より奇なり、ってやつ…?」
「司さんったら!テレサさんをからかわないの!」
「からかってないですよ〜、テレサさんって可愛いなあ、って思っただけ」
「もうー…!」
 司に可愛いと言われ、テレサはまたもや顔を赤らめた。グレイスは慌てて司をたしなめたが、テレサが真っ赤になってはいても、嫌がってはいないことに気がついて、つられて苦笑する。

「でも、通信だけだったの?艦長とは会わなかったの?」まさかね、という顔でグレイスが尋ねると、恥ずかしそうにテレサは言った。
「……お会いしました、テレザートで。その時に…、他の人たちは、私に、一緒に戦うことを願いましたけれど…島さんは…違いました」
「どんな風に?」司は重いリストバンドを巻いた腕を、真上にぐいと持ち上げる。
「……白色彗星の進路上にテレザートがあることを知って、島さんは…」
 言い淀んだテレサを促すように、グレイスも司も押し黙る。

「……私をそんなところに置いて行くくらいなら、自分も一緒にテレザートに残りたい、と言ってくださったの…」

 司は鉄アレイを半ば持ち上げて、止めた。彗星に潰される運命の星に、彼女を置いて行くくらいなら。一緒に……と…?
「……嬉しかった」テレサは目を伏せて、当時のことを思い出しているようだった。「…この人のためなら……何でもしようと思いました…」
「……それで、自分の星を…自爆させたんだ。……艦長を、逃がすために……」


 司の言葉に、テレサはゆっくり頷いた。グレイスはその衝撃的な事実に、思わず溜め息をついた。テレザートのテレサがなぜ地球に肩入れしたのかは、グレイスにとっても長い間の疑問だった。軍のトップシークレットでもあったが、その記録の中にもこのことは記載されていない。そこには、本当に島とテレサの二人しか知り得ない事実が秘められていたのだ。
「そうかあ……。二人して。…すっごい一目惚れ、だったんだね…。…すごい、憧れちゃう……あたしには…絶対真似できないなあ…」
 互いのために文字通り命までも、投げ打ってかまわない、というくらいの恋。テレサは文字通り、命を投げ打って島を守ったが、それをしようとしたのは、島の方が先だったのだ。
 
「……好きな人のために…命を賭ける、って……どんな気持ち?」
 グレイスもふっと微笑んで、自問するようにその司の問いを反芻した。
 心に想っても、実際にそれをすることが出来るのは…本当に数少ない者だけだろう。


「命を賭ける…」
 テレサはそう言いかけて、また軽い目眩を感じた。
 確かに、ヤマトをテレザート空間から逃がした…、そして、彼を…助けて。そこまでは憶えているが、そのあとが…


 テレサの様子には気付かず、司は目を閉じて続けた。
「会えて……良かったね。そんで、…地球を救ってくれて……ホントに…ホントに、ありがとう……」
 テレサは無言で司を見つめていた。その目がたちまち潤み、見る間に涙が溢れる。
「もお〜、…泣かないでよ〜、これからでしょ?これから、もっともっと幸せになるんでしょ……?」


 そう、…念願の地球へ帰って。
 艦長と、結婚して。


 司はそう言いたかったが、言葉が出て来なかった。妬んでいる…とは思いたくはなかったが、120%の祝福を贈ることができるほど、まだ心の整理はついていない。
 口元に笑みを浮かべたまま、頬に笑顔が張り付いてしまった司を、グレイスも黙って見守っている。


「……あたし、ちょっと疲れたな…」司は鉄アレイを腕から外して、身体の脇にごとりと置いた。「ワープまで、ちょっと寝ても良い?」
「もちろん。ワープの間もずっと寝てていいのよ?」グレイスが答える。
「…すみません、まだ具合が悪いのに…」テレサが申し訳無さそうにそう言って、司の使っていたベルト型の鉄アレイをベッドから片付けようとした。
「あ、いいよ、そのままで……」
 司の手と、テレサの手が触れ合った。


 その瞬間——


 テレサの表情にまた何かが走ったが、司は気付かなかった。……テレサは司の手、そしてその顔に視線を移し、ちょっとの間彼女をじっと見つめた。
「テレサさんは、どうします?ここで座ってる?それともベッドを用意したほうがいいかしら?」
 そろそろ準備しておかなくちゃ。グレイスは、腕時計を見ながらテレサにそう問いかけた。今回の連続ワープは2回、約2万光年を進むが、異次元空間から通常空間への揺り戻しが通算4回ある。戦闘配備で座って待機しなくてはならない者以外は、ベッドに寝ている方が懸命だった。「あと5分よ」

「私……やっぱり、お部屋に、戻ります」
「あら、大丈夫なの?…じゃあ、ベッドに寝て、ベルトをしてくださいね。それが一番安全よ」
 グレイスに言われ、テレサは頷きながらベッドサイドのスツールから立ち上がった。
「……お大事に…」
「うん、ありがとう」
 目を半ば閉じながら返事をした司に軽く手を振り、グレイスに頭を下げるとテレサはゆっくりドアを出て行った。




「……司さん」テレサが完全にドアの外に消えたのを見届けてから、グレイスはぼそりと話しかけた。「…あなた、役者ね」
「は?」
 ベッドの司に哀れむような視線を投げ、グレイスは、はァ、と溜め息をついた。
「彼女はあなたの…恋敵、みたいなものでしょ?…あなたったら、随分お人好しね…」
「あー、ええっと…その…」びっくりして、司は目を白黒させた。グレイスが苦笑しつつ、自分を見下ろしている。なんでそんなこと、知ってるの……先生??
「…分かるわよ。……私、ずっとあなたと艦長のこと、見てるもの…」
(まあ、そういうところがあなたの良いところなのかもしれないけど…)

 司の恋が駄目になったことは、グレイスにとっても痛いことだった。島の戸惑いにも、グレイスは気がついている。皆と同じように司が好きだ…と言った島の言葉には、何パーセントかの嘘が混じっていた。グレイスの独断だが、島も司を好きなのだ…多分、異性として。でも、島はその気持ちを表に出すことはしないだろう……だから、「みんなと同じように、好きだよ」、——そう言わざるを得なかったのだ。


「……いいんですよ、もう…」
 目を閉じて、司は答える。「先生にはなんでもお見通しだなあ……。…艦長が好きだから、私は、消えるんです。…悲劇のヒロインでしょ!?ドラマみたいでかっこいいじゃないですかあ……あはははっ」
「司さん…」


 ——あなたは、いつ…哀しみや憎しみ、妬みや怒りを外へ出すの?たった一人で、お風呂で泣くの…?たった一人で、ヘルメットの中で…?それとも無人管制のバーチャルバイザーに顔を隠して……?


「……私で良かったら、何でも聞くわよ?泣きたかったら泣けばいいし、一人で抱え込まないでいいんだからね…?」
 優しくそう言うグレイスの顔を、司は黙って見つめた。優しくされるのは、苦手だった……島に目をかけられていると感じたときも、抱きすくめられたあの時に至っても、それを受け入れるまでには時間がかかった。
 なぜかといえば。

 ……誰かの優しさに一度すがってしまうと、その優しさを失うことに耐えられなくなるからだ。その人、その優しさだけが心の寄りどころとなってしまい、万が一失うようなことになれば、また自分の心が死んでしまうかもしれない。司は常にそれを恐れていた。
 案の定、かけがえの無い相手になったはずの島は、テレサの生還によってまたもや自分のものではなくなってしまった。こんなことなら、ただの上司と部下であり続けた方が良かった…。この優しいグレイス先生だって、いつ自分の目の前からいなくなってしまうか……。


(そんなことなら誰にも縋らないでいたほうがいい。私自身も、……私なんかがいなくても、みんなが悲しまないでいられる、そんな存在になっていた方がいい…。ひとりぼっちだって、結構やって行けるもん。人間なんて、そんなもんだもん…)


 だが、その意に反して、司は涙がこみ上げて来るのを止めることができなかった。島とのことを分かってくれるのは多分、グレイスくらいしかいない。テレサのことを知っていて、それでも私を応援してくれているのも、この人くらいしかいなかった。…多分、何も言わずに泣かせてくれる人も………
「……ひっく」
 ベッドの上で、司は思わずしゃくり上げた。「分かってくれるヒト」に自分は滅法弱い…。
 背中を丸めて泣き始めた司の背を、グレイスは優しくなでた。
(艦長が、あなたを…幸せにしてくれたら、と思ってたけれど…)
「……気休めだけど、私が言いたいから言うわ。…そのうちきっと、かならずいいことがあるわよ。……少なくとも、私は…あなたが好きよ……」


 グレイスはそのまましばらく、司の丸まった背中をそっと撫で続けた。

 

 

24)へ       「奇跡」Contents