一方——
ガミラス本星上空での反乱の際、アロイスに撃たれたレオンは、司和也の隣の房にぐったりと横たわっていた。
「………レオン…」
和也は何度もレオンに呼び掛けた。床から170センチほどのところにある小窓から隣の房が覗ける…倒れ伏したレオンは、だが微動だにしなかった。
「レオン……、レオン!!」
…死んでしまったのかな…
未だ朦朧とする意識を必死に鞭打って、和也は老人に呼び掛ける。
しかし……
ああ、駄目だ…。自分も、壁に縋って立っているのが精一杯だった。数回、窓を拳で叩いた後、和也自身も床に崩れ落ちた。そして、半時間ほど前に飲まされた薬らしきものと一緒に胃液を吐いた……床についた自分の手が、まるで老人のように筋張り痩せこけているのを久しぶりに見て、和也は苦笑した。
(どうして…まだ生きているんだろう…俺は)
——花倫。
お前は、元気か?
地球は今、どうなっている…?
これまで、レオンが教えてくれた情報は断片的にしか理解できず、まるで要領を得なかった。地球がガミラスと交易を?そんな馬鹿なことが、起きるはずが無い…そう聞こえたのなら、それは俺の頭が、本当にもうお陀仏だということだ……
ただ、どうやら今でも地球は無事なのらしいということ、元の青さを取り戻しているらしいということは少し前に理解した。妹に生きて会えるまでは、と無意識に願って来たが、それはもう…不可能なのだろう。唯一の理解者かと思われた老人レオンも、どういうわけか死人のようになって隣の牢に入れられている……俺に、水を持って来てくれたりしたことが、拙かったのだろうか…
この数日、白いおばけのような猫背の小男も、恐ろしい赤い目をした若い女もここへ来なかった。囚われの身になって以来、これほど長く奴らが自分を痛めつけないでいるのは初めてだった。それは和也にとっては喜ばしいことだったが、死んだように動かないレオンとここへ放置され、今度は本当に誰にもかまわれないまま死んでしまうのではないかと心細くなる……
——花倫
お前に…会いたい
郷愁すら、<あの装置>に繋がれれば吸い取られてしまう……そのために、滅多にはっきりと「会いたい」などと念じることは無い。今の和也は正直、あと自分がどの位生き延びられるのか、本当に自信が持てなくなっていた。こんなところでこんな風に…朽ち果てるのは嫌だ…。今、はっきりしている意識も、またふっと狂気に喰らわれてしまうのだろう。その間に力尽きれば、自分で自分が死んだことすらも気がつかないに違いない………
和也は口惜しさにはらはらと涙を流した。
どうにかして、立ち上がろうと努力する。しかし、意に反して和也の身体は床に横たわったまま動かなかった。
「礼砲、用意!」
島、そして古代が各々の第一艦橋から命令を下した。
ポセイドンとヤマトは、遠離っていくヴァンダール将軍の親衛艦隊に向けて、礼砲を発射する。
ガルマン・ガミラス親衛隊の深い緑色の15隻の艦、そしてヴァンダールの搭乗する二連三段空母からも礼砲が打ち上げられた。<バスカビル>から12光年、アンドロメダ星雲の外れまで、彼らは地球艦隊に付き添って航行して来た。この先は、連続ワープの可能な外宇宙である。彼らの護衛はここまでで充分と島が判断し、艦隊は彼らに別れを告げたのだった。
<これより45分後に本艦及びヤマトは連続ワープに入る>
副長カーネルの声が艦内アナウンスで流れた。
医務室のベッドに寝たまま、装着型鉄アレイを両手の肘から上だけで上げ下げしていた司は残念そうに溜め息をついた。
「……連続ワープか〜」
「まだ駄目よ、上に行っちゃ」グレイスが釘を刺すように言った。「ここまでだって、ワープせずに来たのは、あなたのためなんですからね。分かってるでしょ」
「はーい…」
メイン操舵は島が行なっていた。出航以来、だから司は島には会っていない……というより、最後に島と口を利いたのが、ガミラスの宇宙観測ステーションだった。もう4日以上も前になる……さすがに、ずっと第一艦橋で一緒に働いていた仲だったから、ここまで長い間話をしていないと寂しい、と思う。島から告白されたときは、これから先はずっと一緒にいられる、と漠然と思っていた…だから、敢えて島を避けてみたりもしたのだ。だが、今は事情が違う……
(でも、どうせ…まず叱られるんだよなー…)
しかし、それでも良かった。叱ってくれる相手など、彼女にはいなかったからだ。……そもそも、どんな功績をあげても司には喜んでくれる家族はいない、休暇で帰る家も無い。叱られるにしろ褒められるにしろ……今は島くらいしか、司には思いつかなかった。顔を合わせないでいると、その分その気持ちが強くなっていることに、司は気がついた。
(この航海が終ったら……私、アルテミスに戻るのかな…)
地球に戸籍があるとはいえ、もう何年も司は木星のカリスト基地で暮らして来た。ポセイドンの航海が折り返し地点にさしかかった今、これから先の去就を否が応でも考えないわけに行かなかった。この先、どんな辞令が降りるかは分からないが、島と無関係の仕事に就く、と考えただけで、無性に寂しくなる。
(……でも、…テレサさんがいるからなあ…)
こういう感覚が、以前はまるで理解できなかった——…妻子持ちの男性を好きになる感覚、とでもいうのだろうか?もちろん、艦長とテレサはまだ結婚してはいないが、二人が永遠の愛を誓った者同士なのは司だって分かっているのだ。そこへ持って来て、この自分のポジションと来たら。……自分の頭の中を、消しゴムで消してしまいたいくらい、信じられない感覚だった。
(邪魔する気はないんだよね?花倫さん)
そう自問する。
決心した通り、島を困らせるつもりも、テレサを不安にさせるつもりも無かった。
(……それでも、好きでいちゃ…いけないかなあ…)
だとしたら。
——この航海が終ったら、さっぱり諦めてカリストに帰るしか、ないんだろうな……。
司がものすごく大きなため息を吐いたので、グレイスが気づいて苦笑する。
「……今日の連続ワープが終了した段階で、音無先生にもう一度診察してもらいましょう。中間補給基地に着くまでには、多分復帰できるわよ」
「……はーい…」
気の無い返事をし、司は寝返りを打つ。
グレイスが肩をすぼめていると、医務室のドアが開き、白い艦内服の女性が入って来た。
「あらっ?どうしましたか?」
「…あの…」
心細くて居場所が無いのは、司だけではないようだった。グレイスは背後の司が横たわるベッドをちらりと見たが、カーテンを引くでもなくそのままにして、その女性の方へ歩み寄った。
「……!」
無言でドアの方を見た司は、言葉を失った。そこに居たのはテレサだったからである。
実を言えば、出航してからこの2日間、やはり何度かこんな感じで、おどおどとテレサは医務室にやって来ていた。グレイスと共同の彼女の自室は医務室の隣だったから、そこにベッドを設えてもらっている彼女は容易に医務室へ出入りできる。彼女にはもちろん何もすることがないので、手持ち無沙汰だろうし心細かったのだろう。だが、司はやはり、内心穏やかではなかった。グレイスもある程度、司の心中を察したのだろう。テレサには、用がないのであれば自室にいるように、と医師が厳しく言っているのを司はこれまでに2度、聞いた。
「…ワープだと聞いて…。あの、ここに居ては…ご迷惑でしょうか」テレサは今では、白地に銀色の肩ベクトル……グレイスと同じ衛生班の制服を支給され、それを着ていた。腰まである金色の髪は、グレイスがプレゼントした黒いバレッタで一つにまとめられている。
グレイスは苦笑して溜め息をついた。「…分かりました。いいですよ、ワープ明けまでここにいらしても」
また医師に咎められるかと思っていたのか、テレサはほっと安堵の表情を浮かべた。
グレイスが彼女にどうして医務室ではなく自室にいるようにと言ったかと言えば。もちろん司の心情を慮ったこともあるが、他にも理由がある。
何となれば、鳥出のようなゴシップ好き、美女好きな輩が大挙して医務室に用もなく押し掛けるのを防ぐためでもあったのだ。現に、出航以来テレサがポセイドンに乗っていることが知れたとたん、医務室には物見高い野郎どもがバンソウコウやら胃薬やらをもらいにひっきりなしに詰めかけるという事態が発生した。だが、さすがにワープの前後にはそんなことも無いだろう。
司は、テレサの声を聞いてとっさに天井を見つめた。
知らんぷり、する?それとも、…笑顔作って、にこやかに……?
しかし、自分の性格では知らん顔などできるはずも無い。
「…こんにちは」
ベッドの上から、テレサに挨拶する。
「こんにちは、司さん」
屈託のない笑顔を浮かべ、ついで少し心配そうな顔でテレサは訊いた。「傷の具合は…どうですか?」
司は仕方なく朗らかに微笑んでみせる。
そう、私は…知っている。彼女がテレサ・トリニティではなく、「テレザートのテレサ」なのだということを…。
そのことは出航後、グレイスにも話してあった。司とグレイス、そしてテレサの3人は古代や雪たちと同様、真実を知る仲になっていたわけだ。
そして、テレサは赤石の事件…つまり、司が負傷した原因についても聞かされている。彼女は本当に、心から司を気遣っていた。その笑顔にどう応えて良いか分からず、司は更ににこにこして自分を誤摩化すしかなくなって行く。
グレイスが時々こちらをちらりと振り返る。
たったひとつ、テレサに知らせていないことがあった。……それは、司と島の件である。
「心配しないで、テレサ。次のワープでは、私も第一艦橋に復帰できるって」
「あら、まだそんなこと言ってないわよ?」グレイスが釘を刺す。
「…早く快くなると良いですね」
その言葉はおざなりではなく、…本心。
もう随分前から皆が気がついていたが、テレサの言葉には「建前」がない。「含み」も「裏」もない……いつでもストレートだ。早く快くなると良いですね、という言葉には、すぐにでも快復して欲しいという気持ちが溢れていたし、寂しい、という言葉には、どうしようもなく堪え難い寂しさが滲み出ている。
…片や本心を隠している自分は、彼女の前ではいつも卑屈だな…と司は憂鬱になるのだった。
「……第一艦橋で、司さんは島さんと同じ、操縦をしているんですよね?船を動かす…って…、どんな感じですか?」
「?」
前から聞いてみたかったんです、とそう言いながら、テレサは司のベッドのそばに来た。周囲を見回して、丸い小さなスツールを見つけ、それに腰かける。
「…こんなに大きな船を動かすのは、…大変ではないですか?」
グレイスがテレサに話しかけられている自分を見て、瞬きしているのに気がついた。……この人の話し相手はしてあげてほしいけど…でも、あなた…大丈夫?…グレイスの目はそう訊ねているみたいだった。
「うん……大変…かなあ…。でも、面白い、かな」
司は引き続き満面の笑顔でそう応えた。そうするしか、無いじゃない……。
テレサは、島のしていることが知りたいのだ。島は出航以来やはり忙しいらしく、彼女も彼に会っていない、と言った。
「艦長ったら……大事なヒトを放っぽらかして…。しょうがないなあ」
…ついでに、可愛い部下のことも。
そう思い、司は苦笑する。
「いえ、あの、それは…いいんです。島さんがお忙しいことは承知していますから…」テレサが司の言葉を真に受けて、島の弁護をした。
「そうねえ…。下手すると、艦長、まる2日くらい寝ないで勤務してることがあるの。不眠症なんじゃないかって思ったことがあるくらいよ。それとも、操縦桿握ったまま、目を開けて寝てるんじゃないかしら」
「……まあ…」
「あー、でも大丈夫。なんかそれが艦長のスタイルみたいだから。ヤマトに居たころも、いつ寝てるんだかわからない、って言われていたみたいだし」テレサがまた心配そうな顔をするので、司は慌てて説明し直した。
「あはは、…テレサさんにはうっかり冗談も言えないよ……心配しすぎ!」
「そ…そうでしょうか…すみません」
恥ずかしそうにテレサは頬を赤らめた。グレイスはうふふ、と笑うと、二人の側を離れてワープに向けて室内の整理を始めた。例えば細かな医療器具でも、蓋を閉めたり鍵をかけたりしないとワープ明けに散乱していたりなくなっていたりするものがあるからだ。ベッドや椅子と言った什器も、床に固定しておく必要がある。
司は、ベッドサイドのテーブルに置いたベルト型の鉄アレイに手を伸ばし、話しながらまたそれを手首にはめて、上げ下げし始めた。
「ねえ…テレサさんは、どうして艦長と知り合ったの?…あたし、あの戦いの頃は、まだ訓練生で、何にも事情を知らないの…そもそも、最初、ヤマトは謀反を起こして地球から無断で発進した、って言う話だったのよ…」
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