奇跡  射出(19)




 とろりとした溶液の中で……司花倫は、夢を見ていた。

 ——いや、夢を見ている自分を見ているのだ。夢の中だ、と妙に納得している自分がいる…だから、目の前に兄の和也がいるのも当然と言えば当然だったし、そこは室内なんだな、と思っているのに雨がしとしと降っていたりしても、別に気にならなかった。



 雨だねえ、おにいちゃん…
 花倫は、いまだに雨が好きなのか?
 好きだよ?
 遊星爆弾のおかげで地球に雨が降らなくなったからな…
 ガミラスの人は、案外いい人だよ?
 ………お前、何を
 あたし、デスラーってガミラスの総統に会ったもの。そんなに悪い人じゃないよ
 馬鹿なことを言うな
 お兄ちゃん、今ではガミラスは地球を守ってくれる星なんだよ…



 そうか、と花倫は思う。兄の和也はガミラス戦線へ赴いたまま、行方不明になったのだ。夢の中なのに、妙に時系列がきちんとしていることに気がついて、また苦笑する。



 何がおかしいんだい?
 だって……
 ——その瞬間、花倫はそこにいた和也が別の人物と入れ替わっているのに気付いた。兄のように、優しく笑いかけてくれているのは、島だった。


 艦長…!
 どうしたんだ?持ち場を離れるな
 だって……あたし、怪我をして
 怪我?
 ——島は、自分が撃たれた時にその場に居た、と思った。薄れて行く意識の中、視界の隅に自分の名を叫ぶ島の顔を、確かに見たと思った。
でも、これは夢だ……



 艦長?あたしのこと、心配?
 もちろんだよ
 えへへへへ…。——嬉しくなって笑う。
 何がおかしいんだい?
 だって……
 そのやり取りを繰り返すもどかしさに、また笑う。夢だから、良いよね…花倫は、目の前に立っている島に、思い切り抱きついた。



 艦長、あたし艦長が…だあいすき!
 そうか、…俺も、お前が好きだ
 えっ、うそ!
 うそなもんか……
 じゃあ、キスしてくれる?
 ああ、いいよ……
——花倫は焦った。夢の中なのに、大慌てで両手を振って後ずさる。


 駄目だよ、艦長
 どうして……?
 
 ……あの人が、いるでしょ

 ——夢の中なのに。なんでそんなことを言ってしまうんだろう…と花倫は後悔する……


 あの人って、誰だい? 俺が好きなのは、お前だけだ
 艦長………


 ——艦長に、こんなことを言わせているのは、自分。
これは、私の夢だもの。ふいに、そう思って泣きたくなる。
 艦長……島艦長……大好き…大好きなのに……
島の名を繰り返していると、まるで<バスカビル>での出来事の再来のように、島が唇を寄せて来てくれた……
 駄目だよ、艦長……テレサが……


 
 その黒髪が自分の耳をかすめ、そっと唇に温かさが重なった記憶が、どっと甦った。思わず、涙が出て来て、…司は夢を見ている自分の夢、から覚めた………

「司さん!」
 司のカプセルの傍のスツールに座っていたグレイスが、はっと気付いて声をかけた。
「……島…艦長…」
 子どものように顔を歪め、今にも泣き出しそうだ。グレイスは再び呼び掛ける。
「司さん!しっかりして?」
「……あれ…?…艦長…?」
 司はそこにいるのがグレイスだと一瞬解らなかった。口をついて出て来たのは、たった今まで夢に見ていた、大好きな人の名前。
「残念ね、私はグレイスよ……司さん、分かる?」

 首から下が、人型のエジプトの棺のようになっている人工羊水入りカプセルは、15度ほどの傾斜を付けて手術台の上に固定されている。顔だけがカプセルにぽっかり空いたスペースから出るようになっていて、もしもこのカプセルにカラフルな色彩が施されていたら、まるでロシアの入れ子人形<マトリューシュカ>のようだとグレイスは思う。


「……グレイス…先生……?」
「…聞きしに勝るすごい回復力ね。…コスモガンであんな風に撃たれてまだたったの6時間よ。…記録的だわ」
 こうなると、カプセルの中の傷口も見てみたくなるところだったが、カプセルの開口は明朝9時まで止められているので、グレイスはぐっと我慢する。
 大量に失ってしまった血液も、アレス・ウォードが用意した代用血漿とポセイドンから運んだ司自身のバイタルストック(乗組員自身の体細胞、自己全血、DNAサンプル等を培養し、万一に備えて即時使用できるようにストックされているもの)でまかなわれ、血中ヘモグロビン値も9.1と通常より少々低い程度で安定していた。

「……ちょっとまだ体温が高いけど…、すぐ回復するレベルね。それより、どうしたの…?あなた、島艦長、島艦長って、艦長のことずっと呼んでたわよ」
 グレイスはそう言いつつ、苦笑した。グレイスは今では、テレサがテレザート星人であること、島の運命の相手であること、…そして、彼女が反物質エネルギーを持つ特殊な身の上であることを知っていた。だから、以前のように島が司に思いを寄せる余地など無いことも分かっている……司が島を慕っていることはわかっていたから、こんな司のうわ言を聞くと同情せずにはいられなかったが、それを顔に出すことはしなかった。
「……艦長……」
「だから、私はグレイスだってば」
「……なぁんだァ」
 医師は肩をすぼめた。「なんだあ、は無いでしょ?…でも、良かったわ、気がついて」
「あたし……」
「状況説明、今して理解、可能?」
「……多分」

 グレイスは軽く溜め息をついて、話し出した。
「あなた、自分が何をやったか覚えてる?」
「……赤石さんを……止めようとして…」
「そう、それでコスモガンの銃口の前に飛び出した」
「……うん…」
「それで、左脇腹をレーザーが直撃、銃創は貫通、だけどかなり酷いことになってしまったわ」
「……でも、全然痛くないんですけど……」
「それは麻酔のせい。で、ついでにこのカプセルのおかげなの。ガミラスの…最新型治療装置なんですって」
 司は首を持ち上げて、自分が入っている棺桶のようなものを見ようとしたが、その途端腹部に激痛が走ったため、それは諦めざるを得なかった。
「ああ、まだ身体を動かしちゃ駄目よ。無理は禁物」
 グレイスが宥めるように言った。司はふう、と溜め息をつき、天井を見上げる。


「そういえば…赤石さんは…?それから、あの人…何を撃とうとしてたの?」
「呆れた……あなた、状況が分かっててやったんじゃなかったの?」
「違いますよぅ…、あんな場所でコスモガン撃ったら、みんな危ないじゃないですか…ただそう思って、止めようとしただけなんですよ…」
 グレイスは半ば呆れつつも、司が結果的に守ったのはガミラスの元首デスラーの命であったこと、そのために総統は便宜を図り、ガミラスでも最高峰の技術を誇る医療班を派遣してくれたこと、そして赤石に対しても寛大な措置をとってくれたことなどを説明した。
「でも、…赤石さんは、どうして総統を狙ったりしたんだろう?」
「それは…」

 グレイスは島から、赤石と柏木裕也の件も聞いていた。柏木裕也の最終履歴から推し量るしか無い部分は多かったが、赤石の行動は明らかに仇討ち、だった。
「そうだったんだ…。あの冷静な赤石さんが…」
 常にクールな印象の彼女がそんなに熱く烈しい
思いを抱き続けていたとは。
 なんて……哀しいことなんだろう…と司は思った。



 戦いは、大きくなるほど、一体その憎しみや恨みを誰に、どこにぶつけていいのか分からなくなって行くものだ。
誰しも個人としては憎めないものなのに、国や星をも激震させるほどの大きな憎悪は、その相手の顔を消してしまう。そうして巨大化した憎悪はいつしか深い闇となり、多くの人々を2度と這い上がれそうも無い奈落の底へと突き落としてしまう……
 だが、それらの憎しみも時間が経つにつれ、次第に薄れてゆく。時とともに、大切な人を失った人々も哀しみの中から懸命に這い上がり…そして今、私も、他の人たちもここに生きている。艦長のように、奇跡の再会を果たすことができる人はほんの一握りだ。赤石さんの婚約者は、確実に宇宙葬にふされたことが記録に残っているという。

 …自分だって、兄が最後に乗っていた船は瓦礫となって発見された…当時兄の船が戦っていた相手は、このガミラスだ。デスラーを恨もうと思えば、それも…吝かではない。だが、この星の人々、そしてかつて悪魔と恐れられたこの星の総統自身に直に接すると、彼らも同じ人間だったと理解できる。第一艦橋に勤める皆も、その他の人たちも、その複雑な思いは同じだろう。もしかしたら…身を切られるような辛い思いをしていても、それをおくびにも出さずにいる者も、中にはいるのかもしれなかった。

 司は心配そうに見下ろすグレイスを見上げる。その瞳を,じっと覗き込んだ。
「…?」
「先生は…誰か…大事な人をなくしたりしていない?」
「わたし?」
 グレイスは司が何を思ったのか、察したようだった。「わたしは…恵まれてる方よ。…家族も無事だし、兄も弟も元気に働いているわ。…好きな人も、すぐそばにいるし」
「…!」
 グレイスはふふふ、と笑う。
 ……先生の好きな人って。…音無先生?
「……質問は受け付けません」いたずらっぽく笑い人差し指を口に当て、グレイスはウィンクする。
 司は思わず笑った。「いいですよーだ」
「それにしても…」グレイスは改めて溜め息をついた。「…艦隊司令が島艦長でなかったら、赤石さん、大変なことになってたわね。あなたが身を呈してくれたおかげで、艦長も何も責任を問われずに済んだのだけど…。とりあえずすべてが丸く収まったのよ、赤石さんへの懲罰もなし…。デスラーから情状酌量するようにって言われて、無罪放免だったの。本部への報告もしないって、艦長が決めてくれたわ」
「よかった。…。あたし、全然そんなつもりはなかったけど、艦長の…皆の役に立ったのなら」
 グレイスはそう呟く司を見て微笑んだ。


「私、…どのくらいしたら船に乗れるんですか…」
 しばらくして、司はぽつりとそう聞いた。今の彼女にとって差し当たり心配なのは、自分がこんなことになったおかげで艦隊全体のスケジュールが狂うのではないかということだけだった。
「それがね」
 カプセルをぽんぽん、と叩き、グレイスは言った。「…このガミラスの最新式治療器具のおかげで、スケジュールの遅れはなし。本日午後13時を持って、予定通り出航できるんですって」
「ほんと?」
「本当?って」グレイスは苦笑する。「私があなたにそう聞きたいわ。あのウォードってお医者さんは、あなたの傷は朝9時には歩けるほどに奇麗に塞がってる、って保証したんだけど、私だってまだ信じられないのよ」
「…本当に?」司はまた、そう言った。「……よかったあ…」

 艦長にはこれ以上迷惑をかけられない。というより……これ以上特別扱いしてもらうのは、もう…遠慮しなくては。
 本当は、勲章もののお手柄を立てたんだから、艦長にうんと褒めて欲しかった。そして、うんと心配させてやりたかった……だが、それは…もう、望むべきことではない。


「……確か、帰りは分離して航行……なんていう予定はなかったはずだから…」
「そうね。でも、しばらくは安静に、って言われているわ。第一艦橋へは行かないで、当分医務室で入院ね。スケジュールは大幅に前倒しになっているから、当面はワープそのものもなしで進むそうだし」
 司は、柔らかい光を発する低い天井をぼうっと見上げ、帰りの日程を思い出そうとした。

 ……行きも帰りも、フル・ペイロード。

 大越がそう言っていた…
 それは、復路に中間基地建設を予定しているからだ。
 一体、どこに…中間基地を作るんだろう?
 そう考えながら、だんだんと瞼が重くなって来るのを感じる。
「……眠った方が良いわ。…朝9時には、カプセルの羊水が自動的に排出されるのですって…そうしたら、着替えて、一緒にポセイドンへ戻りましょう………」
 グレイスの声が、だんだんと遠のいて行く。
 はあい…、と返事をしたつもりだったが、すでに司はまた眠りに落ちていた。

 

 

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