奇跡  射出(18)



 ウォードが発したひと言に、息が止まる。

 たった今治療した司ではなく。
 テレサを…と。
 この博士はやはり、テレサを…

(あなたに言われなくても)島はそう思ったが口には出さず、頷いた。
「承知しました」
 慇懃に振る舞っていたウォードは、微かに苦悩の表情を見せた。まだ何か言いたげに口を開いたがそれを断念し。そのまま…さっと頭を下げると、足早に部屋から出て行った。



 司のカルテを受け取った佐渡が、音無とグレイスにそれを示しつつ、部屋のエアロックが閉まる音を聞きながら言った。
「…至れり尽くせりじゃなあ。…司くんのデータだけじゃない、これを見なさい」
 佐渡の手元に残されたカルテには、司の治療内容だけではなくテレサのそれも添付されていた。島がタランから受け取ったもの以外のデータを、たった今ウォードが残して行ったのである。
 グレイスがカルテを覗き込み、「これはお預かりして良いでしょうか」と佐渡に言っているのを背中で聞きながら、島は視線を彷徨わせた。

(……あいつはもう、テレサを諦めているのか…)
 自分の記憶は、もう彼女の中にはない。
 ウォードは真田にそう言ったという。
 訳が分からなかった。いくら記憶を操作する技術を持っているとは言え…愛した女から、自分の記憶を消すだろうか。それとも、元々あの男の、一方的な片思いだった、とでもいうのか…?
 島は、彼の出て行った医務室のエアロックをもう一度見やった。


 雪は古代と目を合わせる。古代のほっとしたような表情に雪も頷き、躊躇いがちに島に声をかけた。
「島くん、ハイドフェルト先生がここに残るなら、私がテレサをポセイドンに連れて行くわ。私が一緒に行って、お部屋を整えてあげた方がいいでしょう?」
「それは助かりますわ」グレイスが島に先んじて雪に答えた。音無を振り返り、頼りないんだから、と鼻を鳴らす。こと医療以外の作業に関しては、彼女は音無をそれほど信用していないのだ。
「…そうだな。お願いできるかい?雪」
 古代にも了解を求めるように、島は目線を送った。古代はにこりと笑って頷く。
「…俺は…もうちょっと残るよ」
 島は、古代と一緒に出て行こうとした雪が、振り返りざまに口元をきゅっと引き締め、何か言いたそうにしたのを見た。
(……島くん?あなたの守るべき人は、…テレサよね?)

 わかってるさ、雪。

 そういうつもりで、微かに頷く。 わかっているつもりだ…。そう自分に言い聞かせ、島はもう一度深く頷いた。

 


            *     *     *




 司の眠っているオペ室は、温度がおよそ2℃〜3℃程度に保たれていた。

 グレイスと共にオペ室へ入った島は、艦長服の上着の前をしっかり掻き合わせ、ぶるっと震える。
「…寒いな」
「ええ。…患者の体温を低温に保つのは、地球の医療と同じですからね」
 ガミラス製の防寒服を着込んだグレイスと二人、司のベッドの横で彼女を見下ろす。カプセルの中は居心地が良いのか、眠っている司の表情は穏やかだった。蒼白だった顔色も今はそれほど悪くなく、ほんのり赤みが差している。顔のすぐ上部にエア・カーテンが引かれており、細菌の進入と体温の低下を防いでいるので、必要とあれば彼女の頬にも直に触れることができるのだった。

「まったく…。今度こそはとっちめてやろうと思うと、いつもこうだ…」
 独り言ちた島に、グレイスが苦笑した。
「…叱るに叱れませんか」
「さあて…。命令違反、危険行為に無許可の発進。…いいトコなし、だからな。…でも、総統の命を救ってくれたんじゃ…叱るわけにもいかないよ」
「ふふふ…。いい子ですよね、彼女。私も…司さんが好きです。…みんなと同じように」グレイスは微笑んでそう言った。
「でも…司さんは、艦長を…違う意味で本当に好きなんですよ。だから、叱らないであげてくださいませんか」
「…叱りはしないよ」
 そうは言ったものの、島はグレイスにそれ以上は何も言えなくなった。

(——司が、俺を好きだと。…グレイスは気付いている…)

「艦長は、どうなんです?」
 突然グレイスが向き直り、改めてそう問いかけた。グレイスが何を訊きたいのかは分かる。だが島には答える言葉もない——ただ所在な気に、司の横たわるカプセルを眺めるばかりだ。だがグレイスは再度、ゆっくりと問うた……
「……本当のところ、艦長は彼女のこと、どう思ってらっしゃるんですか?」
 そんなこと、君に答える義理はないよ…と言おうとしたが、言葉が出ない。島は返事をしようとして口を開いたが、言葉を飲み込んでまた唇を閉じてしまった。
 グレイスは黙って島の答えを待っているようだった。仕方なく、島は言葉を濁して答える。
「……好きだよ、…みんなと同じように」
「みんなと同じように?」
「…ああ」
「……そう…ですか」グレイスはふ、と小さく溜め息をつく。司の前髪が、目にかかりそうになっているのを見て、そっと指で払った。

 それきり、しばらく二人は黙ったまま、司を見守っていた。
 グレイスはテレサの世話係として、その身の上を島からすでに聞いていた。島はテレサを7年もの間思い続け、彼らはようやく奇跡的な再会を果たした……島の答えは、当然と言えば当然なのだ。
 グレイスは、司の頬に右手をそっと這わせた。エア・カーテンが彼女の手首をなでるように吹き上げる。ほんのり赤みの差して来た司の頬を、グレイスは優しくなでてやった。

 司さん。——不思議な子ね…。

 艦長を魅了し、いがみ合っていたはずの護衛班の男たちにも好かれ。彼女がすることなら、仕方がないな…と見逃してやってもいいような。…そんな気にさせる力が、どうもこの子にはあるらしい。
 かくいう自分も、この子がきゃあきゃあ言いながら危なっかしく走って行くのが心配で、つい手を貸してやりたくなる。できることなら、この子の恋愛くらい、成就させてやりたいと思った。島が…彼女を気にしているのに気付いた時は、我がことのように嬉しいと感じた。だが、彼の運命の相手があの女神にも等しいテレサでは……ちょっとそれは、もう…叶うものではないのだろう。


 温かい手が頬を撫でるのに気づいたのか、司の唇がほんの少し動いた。
「…司さん?」
「どうした?」
「今、ちょっと動いたみたいです」
 驚いて島も司の顔の上にかがみ込んだ。司の唇が動く。


 ——か…ん…ちょう……——


 グレイスは島を見上げた。
 司が呼んでいるのは、島だった。肉親のいない彼女が、今最も慕っているのは…他ならぬ、島大介なのだ。
「…司」
 何も、してやれない。
 ……自分は花倫に、何もしてやることができない。
 島は酷く苦しくなり、つい顔を背けた——もしもグレイスがこの場にいなければ、赦されないことと分かってはいても、司を抱きしめていたに違いない…

 ——なかったことにしましょ?…もう……

 そう言って、涙を手の甲で拭い、にっこり笑った司の顔が、脳裏から消えなかった。




 

 

「このお部屋ね」
 同じ頃、ポセイドンの医務室の隣の部屋に、雪と古代がテレサを伴ってやって来ていた。

 グレイスの居室は医務室に隣接しており、彼女は勤務時間の大半、そして非番の間もほとんど医務室に入り浸っているようなものだった。それで、彼女からは「私の部屋をテレサさんのために適当にいじってくれていいですよ」と言われていた雪である。古代を一度ヤマトに取って帰らせ、部屋着やスリッパなど、自分のための予備の品を彼女のために持って来させた雪は、グレイスの部屋をてきぱきと整えた。
「古代くん、それはこっちよ」
「え?ああ、これか?」女の子のものは細かいからなあ、などと言いながら、古代が手伝う。
「…ありがとうございます、雪さん、古代さん…」

 だがテレサの荷物は大してなかった。夕方のうちにガミラスの近衛兵がポセイドンの貨物室まで箱を一つ運んで来ていたので、それを荷解きして部屋に広げる。
「ヤマトでいっしょに旅が出来るかな、って思ってたけど…島くんと一緒の方がやっぱり、いいわよね」雪は持って来た、パステルピンクのシルクのガウンをハンガーにかけて吊るした。これは部屋着よ。休む時はこれを羽織ってね…と言いながら。
「グレイス先生もとっても頼もしい人だから、安心してね。…身体、どこも辛くない?」
「はい。大丈夫です」



 本当は、雪さんともっとたくさんお話しがしたい…。
 そう言って俯くテレサに、雪は朗らかに笑いかける。
「テレサ…、地球へ着いたら、色んなことをしましょうね!ショッピングに、コンサート…、美味しいパフェも食べに行きましょう?あなたはとっても奇麗だから、きっと何を着ても似合うでしょうね…!」
「ショッピングに、コンサート……」おうむ返しにそう呟く。…島が見せてくれた、地球の様子を記録したホログラムを思い出し、テレサは嬉しそうに微笑んだ。

 荷物をほぼ片付け終わり、雪はふう、と溜め息を吐いて腰に手を当てる。
「明日は朝から出航準備でみんなバタバタしてるけど、朝食の時には私、もう一度来るわ。一緒に朝ご飯食べましょう…古代艦長、大丈夫ですね?」レーダー手は出航準備中におりませんが?
「レーダー関係は太田に頼んでおくよ」古代は苦笑いした。
「本当は…島くんとご飯、食べたいわよね。…ごめんなさいね」

 もう色々と忙しくて。彼、あちこち飛んで回ってるのよ…。
 申し訳無さそうな雪に、テレサはゆっくり首を振った。
「…いいえ。島さんがお忙しいのは承知しています。…今朝方、ちょっとだけ部屋に来てくださったの。でも…午後になって何かあったようですね。港に警戒警報が出るなんて、今までにないことでしたもの…。明日の出航は大丈夫なのですか?」
 考えてみれば、今日一日で随分と色々なことがあった。せっかくの休日に、ボラー艦隊の出現、そしてデスラーの晩餐会での事件。テレサの部屋の移動がこんな深夜になってしまったのも、そのせいだった。

「ええ、出航は予定通りよ。あ、隣の医務室に怪我人が一人、入って来るでしょうけど、あなたは何も気にしないで大丈夫よ」
「…怪我人?」
「さっきちょっと一騒動あって。ポセイドンの航海長なんだけど、しばらくは入院する必要があるの。…女の人だから、大丈夫——」
 雪が説明し終わる前に、テレサが驚いたようにそれを遮った。
「航海長って…!まさか、司さん…ですか?!」
「えっ?!」

 
 テレサの言葉に雪も古代も呆気にとられた。

 ガミラス滞在中に、なんとテレサは司と数回、会っていたというのである。
(なんてこった……。妙な展開になって来たな)
 あまりの偶然に、古代も言葉を失う。


「…司さんは、大丈夫なんでしょうか!?」
 質問攻めにされた二人は、結局司の負傷した事の顛末を話さざるを得なくなった。司を無性に心配するテレサには、ただ大丈夫、と答えるしかない二人だ。
「司さんの手術は、ウォード博士がやってくれたのよ。信用していいんじゃない?…あなたを、ここまで元気にしてくれた人なんだから」
 雪の言葉に、テレサはようやく納得する。
「明日の朝、司さんはこちらに来られるのですね……?」両手を掻き合わせ、祈るようにしてテレサは呟いた。
「……雪さん。私、あの方ともお友だちになったんです。元気で、溌剌としていて…素敵な方。それに、島さんと同じ仕事をされているんですよね。ああ、怪我が酷くないといいのですが…」


 テレサは、何も知らないのだ。
(島くん……司さんとのこと、ちゃんとしたのかしら)
 もちろん、それを島が雪や古代に報告して来ないからと言って憤慨する筋合いなどない。律儀な島が、ずるずると司にもいい顔をしてみせているとは思いたくなかった。

(島くんは、この人を……選んでいるのよね?)
 雪は困惑した笑顔を隣に立つ古代に向ける。
 島を信じるしかないじゃないか。——古代の目はそう言っていた。

 

 

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