「艦長、航海長は…大丈夫なんですか?!」
不安そうな志村の様子までが癇に障った。俺に用があったわけじゃなく、司の容態を訊きに来たのか。
「用件はそれか?…お前、司とは犬猿の仲だと思っていたが…気になるか?」
「え…あ、はあ、それは…まあ流石に」
志村も少々バツが悪そうだった。
確かにまったくもって、司航海長ってやつは食えない女だ……だが、あの小柄なお転婆娘に何をやっても自分が勝てないことに、志村はもうそれほど憤慨してはいなかった。
島は溜め息をついた。よく考えれば、志村は司と張り合ってばかりいるが、今回は身体を張ってあいつを引き止めに行ってくれたのだ。
「……司が闇雲に飛び出した理由の一旦は、俺にある。……よく引き止めてくれた。ありがとう…志村」
「いや、あの、そんなことは無いんですが…」礼を言われた志村は複雑な気分になる。自分は司に無視されたのが気に入らなくて、追っかけて行っただけなのだ。軍規違反を咎め立てするために、わざわざ司を追って行ったわけではなく、ただ本当に頭に血が上っていたからだった。しかし、島の一言が引っかかった。
「…航海長が飛び出してった理由が艦長にある、って……それは?」
「………」
島は躊躇したが、もしも司が発作的に向かった先に、本当にボラーの艦隊が居たとしたら、志村が同行したことは幾らかでも救いになったに違いないとそう思い、かいつまんで理由を話すことにした。
司の兄の話。ガミラスが傍受した、ボラー側の通信記録に出て来る『ツカサ』という言葉。司が着用していた制服のポケットから、その時に解析していた通信用メモリチップが6つ、ケースにも入れない状態で出て来た。おそらくその中のどれかに、ボラーの船内に『ツカサ』という人物がいると確信できるような話の内容が含まれていたのではないか、ということ………。
「…あっいつ…もし本当に敵艦がいたらどうするつもりだったんだ…」志村は今さらながら青ざめる。くっついて行った自分も、下手をすれば敵大型艦の砲撃の餌食になっていたかもしれないのだ。
「…敵艦がいなくて、本当に不幸中の幸いだったんだ。お前まで巻き込まなくて、本当に良かった。これからもう一度あのディスクの通信内容を解析してみるつもりだが、…飛び出して行った時、あいつは何か、言っていなかったか…?」
島に問われ、志村は少しだけ考え込んだ。…そういえば…
「……航海長、戻って来てから言ってました。…『あの船に、いたのかもしれないのに』って」
格納庫で徳永に問いつめられ、踞って泣き出した司が確かにそう言っていたのだ。「…何のことだか俺にはわかんなかったんですが、あれがそうだったんでしょうか……」
島は厳しい顔で腕組みをした。すぐにでもあのディスクの解析をしてみる必要がありそうだった。無駄な戦闘は避けなくてはならないが、もしも本当にボラー艦の中に地球人が捕われているのなら、見過ごすわけにはいかない………
「…そうか。…ともあれ、司は今、ガミラスで最高の治療を受けている。なんでも、明日の出航にも間に合うような処置をしてくれているんだそうだ。安心しろ」
「えっ……本当ですか…。俺、出航は延期だと思ってました…」
志村は驚いてそう言った。徳永も機関長の渋谷も、おそらく司の回復までガミラス出発は見送らなければならないだろうと言っていたからだ。
「…そうか…よかった…」志村はなんだか、えらく嬉しそうだ。
不思議なもんだな、と島は思う。
どの部署でもそうだったのだが、「女航海長」というだけで司の評判は最初からあまりよくはなかった。それが今では、航海班の最年長、貝原が言うように、「信用できるかできないか、でいえば班長は合格」だと、どの部署の者も疑いなく思っているのが見てとれる。しかも、司に敵愾心を抱いていたこの志村が、いつの間にかあいつをこれほど心配するほどになっている…。司は自分でも気付いていないようだったが、彼女には何か人を惹き付ける、不思議な引力のようなものがあるらしい。司に惹かれたのが自分だけではないことに、島は少しばかり戸惑い始めていた。
「…ともあれ、出航は明日午後13時、ほぼ予定通りだ。お前もそろそろ戻って出航準備にかかってくれ」
「…わかりました。志村、戻ります」
志村はすっかり安心したようで、さっと島に敬礼し、踵を返して廊下を走り去った。それを見送りながら、島も右手を軽く上げた。
*
島がメディカルセンターの部屋に戻ってしばらく後、司の治療は終了した。オペ室内部の医師たちが、作業は終わり、といった手振りで手術台から離れ、次々にスポットライトを消す。
台の上の司は、一見して人型のカプセルに入れられている。……あれが、瞬時に人体の損傷を癒す、秘密の装置なのだろうか。
オペ室に続くドアのエア・ロックが開き、無菌服を着た3人の医師が出て来た。ドアからは、内部を無菌状態に保つための0度に近い低温の風が吹き出した。医師たちの無菌服はまるで宇宙服のようだったが、それはこの低い温度の室内で作業をするための断熱と保温に重きが置かれた仕様だからであろう。
顔をすっぽり覆う立体マスクを取ったアレス・ウォードに、島は頭を下げた。
「……回復は、かなり早いです」
挨拶をするでもなく、医師は言葉を発した。「今夜一晩で傷は塞がります。その後は無理をしなければ通常の生活には問題ありません。…ただ、ワープはしばらく避けてください」
「…感謝します、ウォード博士」
慇懃に礼を述べる島を押しのけるようにして、佐渡が横槍を入れた。「あの〜、抗生物質や化膿止めなんかは、わしらが持って来てるものを使えるんでしょうな? して、あのカプセルは…一体何なんですかな?」
「……簡単に申し上げれば、…あのカプセルに注入してあるのは、人工羊水、とでも言いましょうか」アレスは佐渡を見下ろしてそう言った。「あの女性の DNA解析を行って作った、彼女専用の人工羊水で、細胞の再生を急速に促す作用があります。…しかし、羊水は24時間しか鮮度を保てません。明日の朝9時頃にはあのカプセルから彼女を出してください。溶液はそのままにしておけば排出されるようになっています。その頃には傷口は塞がり、体力も回復しているでしょう」
アレスの声は、端正でよく通るバリトンだった。雪は島と佐渡の後ろでその声を聞いていて、島くんの声によく似ているわ…と思った。その上、医師は島と似た、癖のある黒髪をしている。インド人のようなダークな肌色であることを除けば、島と風体が似ていると言えなくもない。軍人として鍛錬している島とは違いウォードは華奢な体格ではあるが、二人の男が相対して見合っている様は、不思議な合わせ鏡のようでもあった。
「…ということは、今晩は…彼女はここに留まるということですね?」
アレスはちらりと島を一瞥し、その問いに首肯する。「…そうです。ご心配ならどなたかここに残られますか?」
島が自分を凝視しているのを感じながら、アレスは敢えてその視線を避けているようだった。
「島艦長、私が残ります」グレイスが島に申し出た。「明日の朝には、私がここから司さんを連れてポセイドンへ戻ります。音無先生は、艦の医務室の準備の方をお願いしますね」
「ええ〜……!!」音無は人工羊水と聞いて、カプセルを調べたくて仕方なくなっていたようだ。
「医務室の方もすぐに司さんの受け入れができるようにしておかなくてはならないんですからね、ここは私に任せてくださいな。…それに、医務室ではテレサ・トリニティさんの受け入れも予定しているんですよ?準備しておいて頂かないと困ります、音無先生」
「……はーい」
音無は渋々返事をした。奇跡の蘇生技術に関しては、これから行動を共にする、あのテレサという女性も体験しているのだ。しかも彼女ははっきり「異星人」だとわかっている…知識欲を満たすためであったら、まずは彼女が格好の材料であることを認めたのか、音無は大人しく引き下がった。
島は、それまで目を合わせようともしなかったウォードが、こちらを見ているのに突然気がついた。
そう思った途端、彼が口を開いた……「島…艦隊司令」
音無に司の受け入れについて念を押していたグレイス、そしてウォード以外の医師から司のカルテを受け取っていた佐渡も、一瞬はっと口をつぐむ。
ウォードは島の方へ2歩、歩み寄った。
「…彼女を、テレサを…どうかよろしくお願いします」
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