奇跡  射出(8)




 司は、テレサの身体が半分以上傘の外へ出ていて、また雨にぬれているのに気がつき、半歩戻って彼女の頭の上に改めて傘をさしかけた。だが、テレサは気付かぬ様子で、呆然としたまま問い掛ける。
「……その…極秘データには、何と記録されているのですか…?テレザートのテレサは、どうやって地球を救った…と」

 司は面食らった。自分のしたことを、憶えていないって言うの?
「……地球では、そのことはトップシークレットになってるようですけど、ポセイドンのマザーコンピューターの記録には、あなたが反物質を使って白色彗星の本体に攻撃を仕掛けた、って…。だから、あなたは一度ならず二度までも…命を賭けて、ヤマトと地球の未来を」
「……そんなはずは…ありません…!」
 突然、テレサが叫ぶように司の言葉を遮った。こめかみを掻きむしるようにしてその場に踞る。
「…テレサ…!?」えっ、ちょっと。
 彼女の顔が,蒼白だ。


(やだ…私、何かとんでもないことをしちゃったのかも)慌てて司もテレサの傍らにしゃがみ込んだ。
 テレサを問いつめて、何かを聞き出そうという気持ちは急に吹っ飛んでしまった。この人は、まだ身体も記憶も完全に癒えてはいないんだ。それなのに…私。
「ごめんなさい…!あの…大丈夫?!」

「………司さん…教えてください。…私は、反物質を使ったのですか……!?」
 そう問い掛ける蒼白な唇が,恐怖に震えている。その目に絶望の色が浮かんでいるような気がして、司はとてつもない罪悪感に苛まれた。過去のことをよく憶えていない、といった彼女。これは何か、あまりにも辛い記憶なのだ。無理矢理忘れていたい、何かひどく残酷な事実。それを、私は思い出させてしまったのでは…?

(奇跡的に助かって、島艦長にも愛されて。そう妬んだ気持が、この人を深く傷つけてしまう……)
 司は立ち上がり、後ずさりした。首を振って、テレサから数歩離れる。
「…ごめん、テレサ…。詳しいことは、…知らないの。ホントよ」
 データベースの記録から読み取れたのは、彼女がおそらく反物質を敵母艦にぶつけ、彼らを道連れにしようとしたのだろう、ということだった。事実は推測の域を出ず、記録自体にもはっきりとしたことは記載されていなかったのだ。だがそれが事実なら、この人は信じられないほどの恐怖を乗り越えてきた、ということになる。そして、今やっと、幸せを掴もうとしているところなのではないのか? 辛い記憶が欠落しているのなら、そんなもの、無理矢理思い出す必要なんかないじゃないか。

 本当は、この無垢な人にたくさんのことを聞きたかった。

 ——あの熾烈を極めた戦闘の最中、島艦長とどうして恋に落ちたのか。
 命を捨ててもいいと思えるほど、艦長の何に、どこに惹かれたのか。
 そも、なぜそのようなことをする羽目になったのか。
 反物質、とはどのような力だったのか……——
 けれど、それを今ここでしてしまったら。
(いくら恋敵だって、…そこまであたし…鬼じゃないよ)——司はそう思い、大きく首を振った。
「テレサ!嫌なことは、忘れちゃいなよ!!」
 突然大きな声で憤然とそう言った司に、テレサはぎょっとしたようだった。
「…司さん」
「思い出せないってことは、そんなのあなたの身体にとって要らない記憶だからだよ。…いいじゃない、辛いことなんか、無理矢理思い出さなくても」


 忘れちゃいなよ!


 それは、司自身、己に向かって言いたいことでもあった。
(島艦長のことなんか。…あたしに好きだって言ったことなんか、…忘れちゃえばいいんだ…)
 司が、その根底で何を考えていたかはテレサには知る由もない…だが、勢い良く彼女にそう言われ、テレサは唐突にすっと胸のつかえが取れたような気がした。
「司…さん…」
「ねえ、風邪、引いちゃいますよ?…ほら、びしょびしょじゃない…、戻ろ?」
 司に引っ張られ、テレサはもう一度そのピンク色の傘の下に入った。

 忘れてしまえばいい……
 本当に、“それ”を忘れてしまえるのなら。
 そう遠くない過去に、強くそう思ったことを、テレサはふと思い出す……



「ねえ…? ひにちぐすり、って知ってる?」
 司はすっかり濡れてしまったテレサの肩に乗った水滴を、申し訳程度に払って言った。
「…ひにちぐすり?」
「一日、一日経つごとに、時間が嫌なことを忘れさせてくれる。日にちが、薬になるんだって。…もう忘れちゃってることなら、思い出す必要なんかないんだよ。……あたしだって、忘れたいこと…いっぱいあるもん。2度と思い出したくないことも、いっぱい…あるもん……」
 少しだけ切ない面持ちでそう言った司を、テレサはまじまじと見つめる。

「……司さん」
 励ますように笑った司を、テレサは愛しい、と感じた。友達、という単語は知っていたが、こういう人のことを…「友達」というのだ。テレサは目を伏せ、その思いを噛み締めた。
「……ええ、そうかも…知れないですね。ありがとう……」
 
 二人は雨の中を相合い傘でゆっくり歩いて行った。

 

 

                        *



 その頃……

 島は、ポセイドンの艦長室でまんじりともしないまま夜明けを迎えていた。
 結局、艦長室のベッドに制服のまま転寝していたのだが、古代からの通信ではっと目を覚ます。
<よう、ポセイドン艦長!おはよう>
「え……あ、古代か。おはよう」

 寝転がったまま、制服の胸ポケットに入れていたモバイルを取り出し、蓋を開いて小さなモニタ画面を出す。時刻はまだ早朝4時を過ぎたところだった。モバイルの小さな液晶画面に、パジャマ姿の古代の顔が映っている。
<なんだ、眠そうだな。また徹夜か?>古代の後ろに、すでに制服に着替えている雪がちらりと見えた。

 ああ、そうか……島は、これが受けることになっている「緊急連絡」なのだと思い出した。


 ヤマト生活班長、森雪が妊娠。


 体調不良につき、一刻も早く地球へ向かうべし、と主治医佐渡酒造が判断。前置胎盤なので手術になった場合の設備がない、だとか、なんだかそういったもっともらしい理由ででっち上げてある報告書が届くはずだったが、まず最初に受け取るのは通信連絡だ。
「…ああ、まあな。どうした、古代」
<うん、実は…、雪が……妊娠した>
 古代はちょっぴり恥ずかしそうだった。
 盗聴される可能性の大きい通常通信を作為的に使った、傍受されても差し支えない、いわば「やらせ」の通信である。二人の会話はそのために、話すべき大まかなセリフまで決まっていた。
「えっ……!そうか、おめでとう。…けど、どうするんだ、こんな地球から遠い場所で」
<うん、…それがな。あんまり体調がよくないらしい。佐渡先生が、妊娠トラブルに備えて、すぐに地球へ出発した方がいい、って言うんだ…スケジュールを早められないか?>
(なんだ…?あながち出鱈目でもないのかな)島は古代の態度に引っかかりを感じながらも、にやりと笑って了解の印に首是した。
「…そうか。じゃあ、詳細報告を後でここへ送ってくれ。スケジュールそのものはかなり早く消化しているから、どうにかなると思う。…朝飯食ったらパレスへ行くよ。デスラーに出発を早める旨、伝えて来る」
<何て言うつもりだ?>
「なんだ、伏せておいて欲しいのか?」
<もちろんだ……まあ、デスラーにだけは話してもいいが、計画の変更がユキの妊娠だなんてこっ恥ずかしくて乗組員に言えるかい…>
「ああ、そうか」これらはほぼ決められたセリフだというのに、島は本気で可笑しくなった。このシナリオを書いたのは真田だったが、さすがに古代を知り尽くしている。
「……雪に、おめでとう、お大事に、って伝えておいてくれ」
<わ…わかった>
 そう、これはすべて、皆で仕組んだ、テレサを素早く連れて帰るための芝居なのだ。にもかかわらず、古代の芝居とは思えない狼狽えように、島は思いがけず声を立てて笑ってしまった。



 モバイルの通信を切って、島はベッドの上に身体を起こした。外は随分明るくなっていたが、驚くほど濃い霧が立ちこめていて、艦長室のキャノピーの外は一面まっ白だった。
 制服を新しいものに着替えていると、そのうち霧が小雨に変わって来た。……陽が昇るのだ。

 上着を着ようとして袖を通す時、床に写真が落ちた。…テレサのセンサー・フォトグラフである。彼女には、毎日かならずなにがしかの手段で連絡を入れていたが、昨日はそうしなかった。忘れていたのではない。……できなかったのだ。艦長室から司が飛び出して行ってしまってから、島は自分の気持ちに整理が付けられず、悶々とし続けた。
 テレサの写真を拾い上げながら、島はその笑顔を見て思案した。彼女は気を揉んでいるだろうか。今から連絡をするか?…こんなに朝早く…?

 しかし、しばらく考えてそれは止めることにした。自分は、やはり彼女を愛している。古代と雪の、芝居とは言え微笑ましい様子に、何も思うところがないわけではなかった。彼らの姿は、自分が伴侶を得たならば自分が、繰り返すだろう光景なのだ。自分の気持ははっきり決まっている。しかし、だからといって司花倫を「ただの部下」だと簡単に片付ける気持には、まだ……なれなかった。

 

 

 

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