奇跡  射出(5)




「そうかあ……よっぽど君は、島さんに信用されてるんだね……!」
 感心したように相原は頷いた。何を一人で納得してるんだろう、と思いつつ、司は相原の横に並んで通路を歩く。どこまで行けばいいんだろう…?

「でも、似ているってだけで、中身は凄腕航海長だもんな。ごめんね、失礼しました。まあ、…ここに来て、あんな事になるなんて島さんも思ってなかったことだろうし…。俺たちも、すごくびっくりしてるんだ」
「……そうですね。……ほんとに…奇跡、ですよね」

 相原が勝手に喋り出したので、仕方なく司も適当に相槌を打つ。ヤマトの艦内通路は、ポセイドンのそれよりもかなり天井が低く、幅も狭かった。司自身は、アルテミスやポセイドンなど、ヤマトより大きな艦艇に乗り組んだことしかなかったので、奇妙な閉塞感を覚える。ジョギングするにしても、きっとヤマトなら一周走るのに20分もかからないだろう。そもそも、ヤマト自体が全長270メートル程度。…もちろん、廊下だけを見て居住性を語ることはできないとは思いつつ、この船であの前人未踏の旅を成功させたことを思うと、改めて司はヤマトの旧乗組員に畏敬の念を抱いた。…目の前の相原にさえも。
「うん、奇跡だよ、まったく…ああ、こっちです」
 相原は通路を左に曲がり、さらに狭い通路へと司を導いた。
「テレザートが爆発したときも、絶対彼女は死んじゃったと皆が思ってたもんな。その後で島さんを助けて連れて来てくれたことも驚きだけど…まあ、そのことを考えたら、彼女が生き延びてた、っていうのも、あり得ない話じゃなかったのかもしれないよね…」
 司は「はあそうですね」と相槌を打とうとして、なんだか話が見えなくなって来たことに気がついた。

 テレザート?島さんを助けた…?って、なんのことだろう?……

「……テレサさん、助かって本当によかったですよね…。記憶をなくしていたそうですけど…、思い出したみたいですし」…彼女は始め自分の姓を覚えていないと言っていたのに、発表ではトリニティ、と紹介されていたのだ。
「そうそう!!そうか、じゃあ島さん…全部君に話してるんだね?記憶はほとんど元通りだそうだ。反物質は、…もうないみたいだけど。…でも、その方が絶対にいい、って僕も思うんだ…」
「は…反物質……?」
 司は、やはり相原が何か勘違いしているのだと思った。何のことだろう? 反物質、って……


 相原は、『通信室』と書かれたプレートのある、大きなドアの前で立ち止まった。「防衛軍本部にあれを転送するんで、ここでコピーを作ってます。もうちょっとかかるかな。長距離を送れるようにレーザー変調波に変換してるから…」
 そう言いながら、暗証コードを壁際の電子ロックに入力し、相原はオートドアを開け、先に立って中に入って行った。
 通信室の内部は、ポセイドンのそれと大差なかった。天井の低さと、計器類のシリアルナンバーの桁が少ないのだけが、違うといえば違う程度だ。ヤマトは、人類初の光速を越えた船だったので、通信機器も当時開発されていた最先端のものである……しかし、ポセイドンと較べるとどうしても全体的に旧式の計器が目につく。交信機だけはさすがに最新型のようだったが、その前面には色褪せた小さな金属のプレートが縦に3列、並べて取り付けられていて、その各々に誰かのイニシャルと生体認識コードと思しき12桁の数字が刻印してあるのが見えた。旧型からこの機器へ換装した際に、認識コードだけを再び付け直したのだろう。一番上のG・Iというのは、通信班長相原のイニシャルだろうか?
 ポセイドンでは、こうした個人的な情報が誰の目にも付くようなところに晒されていることはまずない。だが、ヤマトではその辺の警戒は甘いようだった。…確かに、イスカンダルの旅に出た限られた人員の中で、個人用のコードを悪さに使うような輩はいなかったのに違いにない。それよりも、とっさの有事に誰でも機器を正確に使えるように、暗証番号の類いはこうして目につくところに貼っておく方がいいと考えられたのだろう。


「……もう少しかかるな。あと5・6分待ってもらっていいですか?」相原はそう言って、隅の方から小さなスツールを2つ、持って来た。その一つを司に勧め、自分でももう一つに腰かける。
「しかし人間、一体何が起こるか一寸先は分からないよねえ。僕、ほんと感動してるんですよ…」
「はあ、そうですね」

 相原が話しているのは、島の恋人——死んだと思ったはずの、オーストリア人技師、テレサ・トリニティのことだ…、と、司は頭の中をもう一度整理する。
「地球からこんなに離れたところで再会できるなんて、夢みたいですよね…。あのテレサさんって人は、どこで行方不明になったんでしたっけ…」何て言ってたかしら?確か、第11番惑星…とか……
 相原は、ええと…と思い出すような仕草をしてから言った。「…地球のすぐそば…月と、地球の間くらい…? 彼女は、ガトランティス母艦を道連れに自爆したんだから。…その時、僕は大怪我して救命艇の中でしたからね…その現場は見てないんですよ」
「…?」また話が見えない。「…ガトランティス…?って、白色彗星帝国、ですか?」
 自爆? ……この人は、何の話をしてるの……?

「あの、相原さん?……テレサさんって、あの、テレサさんですよね?」
「そうですよ?テレザートのテレサ」
「テレザート…?」
 司が言うところの「あのテレサ」というのは、パーティーで紹介された例のオーストリア人技師のテレサ・トリニティさん、という意味だった。そういう意味で、「あの」と付けたのだ。しかし、相原の答えは違った。


 …テレザートって何…?


「ああ、できた」相原は、司のきょとんとした顔には気付かず、バックアップを作り終えたガン・カメラ映像
のメモリを装置から取り出し、丁寧にケースに収めた。「じゃあ、これを。オリジナルですから、大事に持って行ってね」
 司は小さなケースの入った箱を受け取った。「あの…」
「うふふ、島さん、心ここにあらず、って感じでしょ。まあ、相手が彼女だから、これから先も一筋縄じゃ行かないだろうけど。…司航海長、島艦長をどうぞよろしくお願いしますよ」
 相原はいたずらっぽく笑った。
 司はキツネにつままれたような面持ちで、相原の通信室を後にした。非常用昇降タラップまでの通路はちゃんと覚えていたので、相原の見送りは断ったが、実を言えばもう一度、彼に順を追って話をして欲しかった。だが、ポセイドンに戻ってデータベースを探れば何かが分かるはずだ。


 自分の知っている「テレサ・トリニティ」は、別人なのか…?
 相原は彼女を、「テレザートのテレサ」と呼んだ。


 ——テレザートのテレサ、…って……一体、誰なの?

 

 




 午後20:00——


 外宇宙からやって来る艦船の発着のため、時折幾筋かのビーコン波が港上空に点滅する。それ以外は至って静かな夜だった。総統府に最も近い場所に停泊しているポセイドンは、停泊当直の者を残し休息していた。第二艦橋では航海班の当直が2名、スパコンを使った航路計算を継続していたが、他の者は皆総統府の客室へ戻り、思い思いにくつろいでいた。護衛班の神崎と整備班の徳永も、ひとしきり作戦室で司のドッグファイト映像を堪能し、しきりに感心しながら総統府に戻って行った後だった。



 ポセイドンの艦長室には、島の姿があった。
 今日の午後、ヤマトクルーの健康診断が行われていたことを受け、例の「ユキの妊娠」の件は明日の朝早くこちらへ伝えられえる算段になっている。その後、島がデスラーに伝え、艦隊の出発を急がせる手筈になっていた。明日になれば、出航のためにまた忙しくなる。司とゆっくり話をするには、無理矢理にでも邪魔の入らない場所と時間が必要だった。それには、このタイミングしか残されていない。
 
 正直、司にはなんと言うつもりなのか、島は自分でもはっきりと分かってはいなかった。少なくとも、現時点では自分はテレサとすぐにどうこうしようなどとは思ってはいない……制御装置を真田が管理している都合で、テレサには帰路、ヤマトに乗ってもらうつもりでいたし、その先はそもそも一体どうなるのか見当もつかなかった。テレサと結婚するとか、そういったことがもしもあればそれは、何事もなく無事に地球へ辿り着けた後のことだろう。
 だからといって、…自分とテレサとの関係、そしてこの先の司との関係を曖昧なままにすることだけはできない。司は、かけがえのない部下だ。自分とのことが原因で、彼女の能力が充分発揮されないようなことがあってはならない、とも思った。

(何て言えばいい……)
 司を、20時には来るようにここへ呼んであった。島は、デスクチェアに腰掛けたまま、艦長室のドアがノックされるのを待った。



 花倫は、艦長室の外の通路にやって来ていた。
 彼女の気持ちは、妙に整理がついていて、至極冷静だった……嫉妬心や、焦燥感…そういった気持ちはすでに無くなっていたかもしれない。

                    *

 ヤマトの相原から聞いた「テレザートのテレサ」という言葉を、慌てて取って返したポセイドンのマザーデータベースで検索したところ、「テレザート」が地球から約2万光年の距離に存在し2202年に消滅した惑星だということが分かった。
 
 ところが、その惑星の名前とテレサ、という名前を一緒にして検索すると、どういうわけか検索エンジンがフリーズしてしまう。おそらく、この情報はシークレット扱いなのに違いない。そう思った彼女は、相原に悪いとは思いながら、ヤマトの通信室にあった彼の生体認識コードと思しき12桁の数字を入力し、再度検索をかけてみた。果たして「最重要極秘事項<トップシークレット>」の文字の出現とともにアクセスは成功し、幾つかの画像と音声プログラムがプロジェクタ画面に躍り出た。

 ポセイドンのマザーは、地球防衛軍のスペリオルグランマ(最高機密を始め地球のあらゆるデータのベースを成すマザーコンピューター)回路の一部を搭載している。この記録はもちろんグランマのデータの部分的なものでしかないが、さわりの部分だけでも充分だった。
 それは、「テレザートのテレサ」からの短い通信音声、そしてテレザート星の画像、加えて両手を胸元にあわせ祈る姿勢の、美しい女性の姿であった。…そして、文章で綴られたテレザート星の位置や惑星の様子。最後にはそれが「反物質の力を操るテレザートの女神テレサ」の手によって白色彗星の進撃を阻止するために自爆させられたことが書かれていた。
 さらに驚いたことに、資料の最後の部分には、月軌道上から地球に砲撃を加えていた白色彗星母艦に対し、テレサが反物質エネルギーをもって接触しそれを最終的に撃破した、という記述が見られたのである。

 司は、その十数ページに及ぶ資料を読んで行くうちに、あの彼女が「テレサ・トリニティ」などではないことを確信した。



(あの人は、テレザートの…テレサ…なんだ)



 総統府の中庭で会った「テレサ」。画面の中の神々しい姿に較べると幾分遜色が見られるように感じるが、彼女は間違いなく「テレザートのテレサ」だった。
 これらの事実は、今まで軍のトップシークレットとして伏せられていた。その理由は司にも理解できる。なぜなら公式記録上では、白色彗星帝国母艦は「ヤマトが波動砲で」撃ち破ったことになっていたからだ。よもや、異星人に地球がこういう形で救われていたなどとは知らなかった。
 ……しかも。
 その、地球の救世主とも言うべき異星人の女性は世間にひた隠しにされ、公式記録に残されることはなかったのだ。なぜ最後の最後になって彼女が戦いに介入したのか、この資料を作成した人間もその理由については記していなかった。
 だが、司にはこの時点で、すべての謎が解けたような気がした——。



 ……テレザートのテレサが、あのひとを……愛したから——


 
 司は、それ以上データを盗み見るのを止め、画面を閉じた。
 相原のコードで、この機密事項にアクセスした履歴は消せなかったが、それはもう、仕方がない。
 ——恋敵、というには、あまりにも自分は小さな存在だった。
 なぜなら、艦長が愛したのは。
 …艦長を、愛したのは、あの…女神のような、異星の女性(ひと)だったからだ——。

 あの記録から判断する限り、彼女は地球を救うために自分の命を犠牲にしてくれたのだろう。地球を救う、などという聞こえのいい大義名分など、もしかしたら考えもしなかったのかもしれない……ただ愛する人のため、だったのかもしれない。
 いずれにせよ、彼女がいなければ…彼女が彼を愛さなければ、今の地球も、自分の存在すらもとうに無かったかもしれないのだ。そんな宇宙的規模の愛に、どうやって太刀打ちできるというのだろう…?
 ……なんだか、そのスケールの大きさに、涙さえ出なかった。

 



 約束の時間に合わせ、食事も摂らずに司は艦長室の前に来た。呆然としたままだった。

(私は、艦長が大好き。…だから、艦長が…困ったり悩んだりすることは、望んでない…)
 島が抱きしめてくれた自分の肩を、そっと自分で抱いてみた。「お前の気持ちはわかるよ」と言ってくれた、あの優しい声。この肩を抱いてくれた、島の大きな手…。


 ——ぎゅっと目を瞑る。

 

 

 

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