奇跡  再会(22)




 少し眠らせてください、と言ったテレサを部屋に残し、一同は部屋の外へ出た。


「…大丈夫かしら。テレサさんの主治医の先生から、カルテは預かっているの?島くん」
「ああ、…それらしいものは受け取った。でも、まだこっちのドクターに彼女を会わせていないからな」
「…記憶障害、なんですってね」
 雪はちょっと困ったように考え込んだが、気を取り直して島の肩を叩いた。「…いい方へ考えましょうよ」
「いい方?」古代が聞き返す。
「ええ。…彼女、辛い思いばかりして来た人でしょう。記憶が欠けている方が、精神的に楽、って言う場合もあるもの」
「……そうだな」
 真田も相槌を打った。全員が、その考えには深く納得する…

 たった独り、荒漠としたあの星で、何年も幽閉生活を送って来た孤高の女神。その星も自らの命も投げ打ち、島を、そして地球を救ってくれた貴い人。しかし、一人の人間としての彼女自身の身になって考えれば、その記憶は、ただ過酷なものでしかないだろう。
「やっと島くんに会えたんだもの。反物質エネルギーも、もうないのよね?…この先は、もう何も心配しないでいいのよ。過去のことなんて、もう…思い出さなくたって」
「ん…そうだな」
 島も頷いた。忘れかけていたが、自分にもずっと、気になっていたことがある。白色彗星にすら犠牲を出したくない、と険しい声色で言った彼女が、結局その信念に反してあの帝国を滅ぼした理由が、未だに島にはわからないのだ。だが、そのすべてを忘れてしまえるのなら、それも…彼女にとってはいいのかもしれない。これ以上、テレサには苦しい思いをして欲しくはなかった。


「そうだ…古代、あれを」
「そうだそうだ!」
 真田に言われ、古代がニコニコしながら小型端末をポケットから出し、島に差し出した。
「島、これを見てくれ。ヤマトのマザーコンピュータで検索して…やっと見つけたんだ」
 その小さなモニタ画面には、一人の軍属のプロフィールが記載されていた。

『テレサ・トリニティ』
 <ノルウェー出身(25歳/2202年当時)第二次宇宙考古学専門調査隊所属・化石復元技師。太陽系第11番惑星にて古代遺跡の調査中に消息不明となる> 

「…これは…?」
「地球へ来てもらうにあたって、『名前』が…必要だろ?」
「テレザートのテレサ、としてあの人を連れて帰る訳にはいかないだろう」
「そうか……」
 島は端末の画面をスクロールさせ、その名前に関するデータをずっと眼で追った。

 ガミラス戦役で家族を失った者は数知れない。帰る家も故郷も喪い、傷心を抱えたまま宇宙の最果てに仕事を見つけ、それに独り埋没する技術者は少なくなかった。
「このテレサ・トリニティって人は、彗星帝国の襲撃に遭って亡くなったと思われているんだ。最終赴任地は、斉藤の空間騎兵部隊のあった11番惑星だ…」
 消息不明。……遺体が確認されない限りは、そう記載される。
 ガトランティスの奇襲を受けた太陽系第11番惑星で、その星の遺跡の調査のために滞在していた軍属たちは、最初にミサイル攻撃を受けた基地の管理棟に集まっていた。ヤマトが救援に駆けつけたとき、そこはもはや生存者の確認など一目で諦めざるを得ないほどの惨状だったのだ。

「……斎藤たちを迎えに行って、あの基地の様子をこの目で見ているからな、俺は」古代が悲し気にそう言った。
「この人の名前を借りる、っていうのかい?」
「うん。ガミラスで救助されてここに保護されていた地球人、っていうことにして…」古代は説明した。そう、俺の兄さんみたいにさ。
「名前って、大切なものだから……ちょっとどうかな、って考えたんだけど…」島の問いに雪は俯いたが、すぐに顔を上げると元気よく言った。
「テレサさんが地球へすんなり入れることの方が、今は…大事でしょう?身体検査や何かは、私と佐渡先生で全部なんとかするわ。IDの偽造はもちろん、真田さんが」
 真田が苦笑しながら、軽くサムズアップする。
「地球のコンタクトラインまで戻ったら、この人についてもっと詳しいことが分かるだろうし…それから変更したって遅くはないわ」
 今はともかく、全部の乗組員に対して彼女を隠して連れて行くなんて事、できないもの。…ね?

 島はしばらく考えていたが、ややあって「そうだな」と同意した。
「テレサにも俺から説明しておこう、…ありがとう」
「デスラーにもそう口裏を合わせるように、俺が頼んでくるよ」古代が嬉しそうに言った。
「じゃ、おじいさまには僕が根回しすることになるのかな?」茶目っ気たっぷりに言った相原に、島はいつもの様に「こいつ」と言い返せなかった。
「…みんな、本当にありがとう」旧友たちの心遣いに、目頭が熱くなる。口籠り、俯く島を見て、相原が慌てた。
「やだなあ!しんみりしないでくださいよぅ!!」
 ほらほら、テレサのとこへもうちょっとついててやれよ、と言って、古代が島を扉の方へ押しやる。同じように島の肩を押した雪が、一瞬だけ真顔になった。
「テレサさんを…大事にしてあげてね…ね?島くん」
「……雪」
 彼女が何を言わんとしているのか、瞬時に察する。
「ああ、そのつもりさ」
 
 
 じゃあな、島!
 おっしあわせに〜〜!!
 思い思いに好き勝手なことを言いつつ、手を振りながら退散する旧友たちを見送り、島は心底、皆に感謝した。
「…ありがとう」



 雪は去り際に、何を言わんとしていたのか。
 再び室内に戻り、島はテレサのベッドのそばへそっと歩み寄った。
 
 眠っているテレサの枕元にかがんで肘をつき…もう幾度目になるか分からない自問を繰り返す……


 ——俺が愛しているのは…誰なんだ?
 分かり切ったことじゃないか……


 白い指をそっと握りしめた。
「テレサ…」
 司には、ちゃんと説明しよう。引き延ばしていても仕方がない。
 テレサから、この星に残ると言われた時の動揺と衝撃は、生半可なものではなかった。今一番失いたくないものはと聞かれたら、迷わず自分はこのひとを選ぶ。彼女は自分自身と同等の存在だ。この人を失ったら、俺の魂もきっと死んでしまう…。
(魂の半身か。…芝居がかった言い回しだと思っていたが…あながちそうでもないんだ)


「テレサ…愛している」
 自分に言い聞かせるように,島はそう呟いた。


 


 ガルマン・ガミラス滞在4日目の晩。


 放射性高濃度核廃棄物の受け渡しが済み、シグマ・ラムダの艦内放射能除去が完全に終了するのを受け、デスラーからの懇親会招待状が総員に当てて届けられた。
 パーティーだ。
 乗組員たちは皆、思い思いに正装して…あるいは砕けた格好で、地球の服飾文化の伝達を兼ねてパーティーに出席していた。
 しばらくぶりの、無礼講、飲み放題。
 そう聞いて、禁欲的に業務に没頭して来た男たちが喜ばないわけはない。最低限の当直を残し、ほぼ全員がパレスへやって来ていた。


「なあ、あの人……デスラーの奥さんかな」鳥出がめざとく総統の隣にいる女性を見つけて、傍らの新字に言った。
「は?どの人?」
「…デスラーの隣だよ、めちゃくちゃ美人がいるじゃんか」
「デスラーに奥さんていたっけ?」
 愛人、なら…わんさかいそうだけどな。
 新字はそんなことを思いながら、鳥出がこっそり指差した方向を目で追った。鳥出の言う通り、デスラーの隣には目の覚めるようなサファイアブルーのドレスを纏った美しい女性が楚々と立っていた。

「けど、どうよ、司にも似てない?」鳥出は感心したように自分の斜め向かいにいる航海班長を見るよう、顎で示す。「馬子にも衣装、ってやつだな…もともと司、日本人離れした顔してるし、こうして見ると案外イイ線行ってるよ、あいつ」
 確かにターコイズブルーのドレスの司は、いつになく奇麗だったかもしれない。いつもはトップでまとめているか、両側で団子にしている金色の髪も、今日はストレートに肩の下まで降ろしている。デスラーの隣の金髪の女性と確かに雰囲気が似ていた。
「けどなーんか最近あいつ、妙に奇麗じゃね?誰か好きなヤツでもできたかな?」と好奇心丸出しの視線を向ける鳥出に向かって、新字がからかうように笑った。
「鳥出、何? お前あいつが実はタイプだったの?」
「司も悪くねーけどなー、うーん俺はもっとこう…そうそう、あんな感じがいいやな」

 鳥出の目線の先にいるのは、艦医のグレイス・ハイドフェルトだ。グレイスはその髪の色と同じプラチナホワイトのパンツスーツを颯爽と着こなしている。ダブルのスーツは胸元が大きく開き、パールのネックレスを乗せた豊かな胸を深紅のブラウスのフリルカラーが包んでいるのが見えた。
「うををッ、艦医様〜女神様〜!……、あー神崎羨まし〜俺もケガしようっかな〜〜っ」
「あ、いいよなハイドフェルト先生」新字もそれは否定できなかった。鼻の下を伸ばした鳥出の顔に吹き出しながらも、グレイスの胸元から眼が離せない。
「……アホかお前ら」
 片品は、隣で目尻を下げている親父顔の鳥出と新字に冷ややかな一瞥をくれた。
 久しぶりに見る私服の女子隊員は確かに眼の保養かもしれないが、しかしそんなことよりも。会場に点在する大きな丸テーブルの上の豪華な食材にあちこち目を走らせ、どれから手を付けようかと考えるほうが先決である。片品はまず、目の前のアルコールらしき液体が入ったグラスにいそいそと手を伸ばした。



 宴会場として使われている会場は円形のホールになっており、入口と出口はそれぞれデスラーのかけているテーブルの後方に位置していた。 ドア部分には厳重なセキュリティチェックシステムが設置されている。ホールの一段上には会場をぐるりと巡るテーブル席があり、さらにもう一段上がったスペースには、警備のためのスペースだろうか、一見警備兵とは分からない礼装のガミラス兵たちが、あるものは燭台を、あるものは花束を、あるものは飲み物のトレイを持って巡回していた。彼らが皆何かを手に持っているのは、もちろんその中に警護用の武器を隠し持っているのにほかならない。その最上段からは会場が一望でき、場内の人間を自然な形で巡視したり警護したりできるというわけである。段の手すり部分と照明部分の随所にミラーボールのように光る飾りがあったが、よく見ればそれにもレーザーガンの銃眼が設えられていた。一見して華やかなただのパーティー会場だが警備の厳重さは生半可ではなかった。同胞と言えど、これだけ大勢の異星人を招くとなれば、警戒も厳重にせざるを得ないのだろう。

 古代や島ら艦隊の中心となるメンバーは総統と同じテーブルに、その他の者は思い思いに席に着いたり立食したりしつつ歓談していた。
 
 サファイアブルーのロングドレスを纏ったテレサは、デスラーの隣に腰かけていた。その反対側に、古代、島、雪らが並んでいる。
 デスラーが祝辞を述べ、古代が地球式の乾杯の音頭を取る。全員がプロージットの声を上げた。
 次いでデスラーが、会場に対しテレサを紹介した。……ガトランティス戦以来、ガミラスが保護していた地球人だ。君たちの手で彼女を、故郷に連れて帰ってやって欲しい。
 会場はにわかにどよめく。
 宇宙での戦いで行方不明となった者が生還するのは、誰にとっても奇跡だった。皆が、戦友を、家族を…宇宙での戦いで喪っている。たった一人でも生還することの喜びを、全員が万感の思いで歓迎した。万歳の声が上がる。
 古代、島の両艦長がしかつめらしく彼女に挨拶した。

 彼女が「テレザートのテレサ」だということを公表しないために仕組まれた成り行きだが、テレサは三たび、涙を流した。雪がその背を、微笑みながら優しくさする。感極まって思わずしゃくり上げる太田を見やり、島は笑った。南部はメガネを外して、無心にレンズを拭いている。相原も感無量、といった面持ちで、何度も頷いていた。

 

 

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