テレサは、中庭の灌木が奏でるかすかな音に引かれて窓の外を見た。
意識が朦朧とする中で、身を起こして窓の外に見た灌木の淡いイルミネーションに、なぜか懐かしさを覚える。
記憶の一部がまたもや靄の中に落ち込んだようだった。目覚めた時には島と自分が会ったことは、夢の中の出来事だったように思われた。
頭を振りながら、考える。
……わたしは……島さんと会った……?
いいえ、まさか…
この部屋の窓から見える向いの棟に、地球艦隊の乗組員が大勢寝泊まりしていることを、ふと思い出す。
(地球艦隊…?)
なぜ、地球艦隊が来ているの?……地球?
酷い頭痛だけが記憶に残っている。ふと、心配そうな島の顔が思い出された。…なぜ?…なぜそんな顔を…?
しかし、やはりそれ以上は思い出せなかった。
テレサは苛ついて溜め息を吐く。
(それに…この部屋は…)
総統府の中だとは分かるが、ここは今までに来たことのない場所だった。以前にいた階上の部屋とは違う。この部屋は中庭に出ることの出来る、グラウンドフロアにある。
テレサは改めて自分の身体に視線を落す。今朝、目覚めて初めて気付いたのだが、纏っているのは目の覚めるようなサファイアブルーのロングドレスだった。自分のいる場所は、テレザリアムではない…なのに、纏っているこのドレスのせいで、なぜかここがテレザリアムなのではないかという錯覚も起こした。
(……ああでも。おかしいわ…そんなはずは)
まだ陽は昇る前なのか、外は薄暗い。
庭に植えられている木々はまだうっすらと発光している……
木々は、中庭に何か楽しいものでも見つけたかのようだった。庭に続くバルコニーに出て、朝の空気を吸い込んで周囲を見回していると、誰かが走ってくるのが見えた。
(……昨日見たあの人かしら)
若い女だ。
明るい金色の髪の、溌剌とした感じの少女だった。
昨日の晩この部屋で目覚め、その後朝方まで眠れずにいたテレサは、窓の外で一休みしている彼女につい、手を振ってみたのだった。
運動らしい運動をしたことなどなかったテレサには、額にうっすらと汗まで浮かべて軽やかに走るその女性がとても魅力的に見えた。自分の両脚で走ることなど今まで考えてもみなかったが、きっと爽快なことなのに違いない。
…だがなぜわざわざこんな朝早くから、この庭園の遊歩道を走っているのかについては、まるで見当がつかなかったが。
テレサは、自分を見つけて嬉しそうに走りよってきたその女性に、軽く会釈した。
「……毎朝、熱心ですね」
話しかけられて、女性は目をまん丸にした……頭の両脇に、ウサギの耳のように結んだ髪が、ぴょこんと揺れる。地球の言語、それも日本語で話しかけられるとは彼女も思っていなかったようだ。
「…地球の言葉が、わかるんですか!?」
テレサはちょっとだけ戸惑った。…そういえば…、今私は地球の言葉で話した……。
躊躇った後、こくりと頷く。
「わああ!!そうだったんだ!!」女性は大層嬉しそうな顔になり、ぺこりと頭を下げてお辞儀した…「私、地球輸送艦隊旗艦ポセイドンの航海長、司花倫と言います!あの、地球の方なんですか?!どうしてここに!?」
ポセイドン。航海長。……航海長……
昔、島さんも私にそう名乗った。
また、断片的な記憶。
だが、嬉しいからか、それともこれが普通なのか、司と名乗ったこの女性がとても早口なので、テレサは面食らって困ったように首を傾げる。まだ頭がはっきりしない。
「あの…私、大怪我をして……記憶が…まだ曖昧で…」
地球の言語、それも日本語が話せるのは、一重にヤマトと島のおかげであった。そのことを、テレサは次第に思い出した。だが、もちろん今でも完璧なはずはなく、テレサの知らない言葉や言い回しは無数にある。
「怪我を…?どうして?」
「………宇宙を漂流していたのだと…聞いています。この星の方たちに助けて頂いたの。自分では…覚えていないのですけれど」
司は、ものすごくびっくりしたような顔をした。
「……漂流していた……って、あの、あなたは…。まさか、地球防衛軍の船に乗っていた…なんてことはありませんよね?」
「憶えていないんです。…宇宙船…だったかもしれません」
…テレサが乗っていたのは、地球の船ではなかったが。
小柄でスポーティな司が、息を飲んで自分を見つめているのに気がつき、テレサは覗き込むようにして問いかけた。「…あの、どうかしましたか?」
言うまでもなく、司の脳裏には再度、兄の生存の可能性が浮かんでいたのだ。
「……あの、もしかして、別の人もいませんでしたか?男の人、…地球防衛軍の戦艦の操縦士で、<きりしま>っていう船に乗っていたんです。
あなたは<きりしま>に乗っていたんじゃないですか?!他に救助された人を知りませんか?!」
「…戦艦の操縦士…救助」
唐突に記憶の断片が弾けた。
——真っ暗な宇宙空間に被弾して浮遊していた島の姿。
「何か知ってるんですか?!」
自問するような顔を見せたテレサに司は迫った……鬼気迫る表情の彼女にたじろぎつつ、テレサは申し訳なさそうに首を振る。「わ…わかりません…ごめんなさい…」
「…あっ、い…いいんです、こっちこそすみません!突然、こんなこと訊いて……」司は俯いてしまった相手に気がつき、慌てて謝った。
「それは、どなたか……大切な人なのですね…?」
目の前の、この元気な人も……戦いで大切な人を失ったのだわ。
どこかで生きていて欲しい、いや、きっと生きている……無駄だと分かっていてもそう思ってしまう気持ちは、どの星の住人であろうと同じことなのだ…テレサは軽く頭を振りつつ、断片的な無数の記憶の収斂に応えようとする。
「……兄が、行方不明で」
「お兄さん…?」
「ええ。…この星に来る前、ガミラスの補給用衛星で兄の船の残骸を見ました…。でも、私…諦めきれなくて」
「………」
乗っていた船が残骸になって発見されても尚、その死を認められない……。その気持ちは、なぜかテレサにも理解できた。
「なんと言うお名前なのですか」テレサは急に思い立って尋ねた。デスラーなら、何か知っているかもしれない。
「えっ?」
「お兄さん、何と仰るのですか」目を丸くした司に、再び問いかける。
「つ…司和也です…。でも、どうして?」
「ツカサ・カズヤ……。ガミラスの情報データバンクに何か記録がないか、総統に聞いて差し上げましょう」
「えっ…総統って…ホントですか?!」
「…私も、大切な人を一度…宇宙で失いかけたことがあります。…だから、お気持ちは分かります」テレサはにっこり笑った。「でも、このことは…内緒ですよ」
司は慌てて首を縦に振った。「でもあの、…あなたって……そうだ!ごめんなさい!お名前を聞いていませんでした」
「…私は」テレサはほんの少し躊躇した。「…テレサ、といいます。ラストネームは…憶えていません」
「…テレサ…さん」
テレサ、と名乗った女性はたおやかに美しい笑みを浮かべた。「…あなた、また…明日の朝、ここに来ますか?」司が頷くと、テレサは言った。「…では、その時に」
くるりと背を向けて、遊歩道を建物の方へ向かうテレサの後ろ姿を、司はぼうっと見送った。彼女の姿が建物のバルコニーに消えそうになって初めて、司は慌てて叫ぶように礼を言った……
「ありがとうございます!!あのっ、どうもありがとう!!」
——テレサ。……テレサか。
あれ?どこかで……
司はその場で、突っ立ったまま思案した——意外な展開になったが、もちろん期待し過ぎないことも大事だ。はやる気持ちを抑えつつ、彼女の名前…「テレサ」って、どこかで聞いたような気がする…そう思いながら遊歩道を歩き出す。
(…テレサ、と言えば、古典の教科書に出て来た平和の使徒マザー・テレサ…? ……あれっ)
思い出した。
同じことを考えて笑ったことがあった——そう、出航前のマンハッタンで。
島の弟、次郎が……私のことを見てそう言ったのだ。「テレサ」と。
まあ、『テレサ』って名前の人は地球にだってごまんといるしな。
しかし、赤石が昨日言っていたことも思い出す…「…あなたみたいじゃない」。
あの奇麗な人と私が?まっさか、似ても似つかないじゃん、と笑い飛ばしながら、司は残りの半周をそそくさと走り始めた。
* * *
テレサは自室に取って返し、司に言った通り、デスラーに連絡を取ろうと部屋の端末に向かった。数字と文字の幾つかの組合せを思い浮かべ、キーを指先で押す——
その瞬間、唐突に幾つかの記憶が、こめかみを殴られるような衝撃と共に息を吹き返した。この数日の出来事が、急激にフラッシュバックする………
嗚咽する島の姿。彼は、私を…抱きしめて泣いていた。
「……あ……ああ」
瞬間的な目眩に膝が崩れ、テレサはその場に座り込んだ。記憶の奔流が視界を歪める。島さんが。
島さんが…この星にいる。
たった今も、私のすぐ近くにいる。夢じゃない……!
急に思い出した。
——私、一体どうしたの……?!
そのことすら、現実ではないと思ってしまっていたなんて……!!
——私は…島さんと会って……
はっと思い至る。
右手の中指に光る銀色の指輪……
「……制御装置」
『これは、あなたのサイコキネシスを封印する働きをする制御装置だ』
……そう誰かが教えてくれた。しかし、それが誰だったのかは思い出せない。
一体あれから何日経っているの……?
島さんは……?
よろりと立ち上がり、再び通信機の端末に向かった。
デスラーに連絡を。島さんと話さなくては……。
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