(…テレサ…どうして…)
この星にずっといるつもりなのかと尋ねた自分に、こくりと頷いたテレサの顔が脳裏から消えない。
……何をしている、島大介…。
薄暗い部屋に踞って、ただ堂々巡りの憶測に引きずり込まれているなんて。浮かんでは消えるどうしようもない不安を払いのけることが出来ず、時間ばかりが無駄に過ぎて行く。
節電された室内は、ベッドの足元のフットライトとデスクのスタンドが点灯しているだけだった。ベッドに腰かけ、時折身じろぎする他、情けないほど何もできない。
胸の内ポケットに紙の手応えを感じ、思い出す。
(……記憶から取り出したにしては…良く出来ているよな)
テレサのセンサーフォトは、呆れるほど鮮明だった。たった今、本人に会って来てそう思うのだから間違いない。
俺は……ずっと彼女を愛していたんだな。もしも再び会えたなら、もう2度と手放さない……どういうわけか、そう…勝手に思い込んでいた。
家もあるの。
世話してくださる人も。
…再会できたからと言って、俺と一緒に地球へ行かなくてはならない理由は、彼女には…無いんだ。
7年間は、俺にとって長い時間だった。それでも、彼女を忘れることなどできやしなかった。でも、彼女はここで目覚めてから…まだ1年と経っていない。……それなのに…もう、俺を必要とはしていないのだろうか……
突如具合の悪くなった彼女。主治医と名乗った男の口ぶりからすると、度々ああいう状態になってしまうのだろうか。そうだ、地球へは行けない、と言うのは、まだ身体が悪いせいなのかもしれないじゃないか。明日もう一度訪ねてみよう。なにもこんなにくよくよすることはないさ…。
同時に、その主治医の冷たい態度が気になった。慇懃な奴だったな。ウォード、って言ったか……
コンコン、と、物音がした。
「………?」
ドアを振り返る。ロックはかかっていたが、誰か用があるなら内線を使うか、せめてドアホンを押すだろう。ノックなんかするやつはいない……空耳かな?
そう思った途端、またコンコン、と音がした。
テレサの写真をデスクに伏せ、返事をせずにドアへ向う。
…機関長かな?
「………司!」
空耳かもしれないと疑いつつ開けたオートドアの向こうには、司がいた。
「あっ、あの……」
恥ずかしそうに、司は笑った。
「…どうした」と聞きかけて、彼女がおそらく第一艦橋の当直の一人だったのだと合点する。よく見れば、なんだか彼女の制服は妙に薄汚れていた。
「なんだ、随分汚れて」
「あ、これ……床下のケーブルを整理してたんです」司はえへへ、と笑う。頬を染めたその笑顔に、我知らず心が和んだ。よく見ると、赤い頬や顎にも黒い煤がついている。拭ったつもりだろうが、かなりいい加減だ。思わず苦笑がもれる。
「……顔、煙突掃除でもしてたみたいだぞ」
「えっ?!…やだおかしいな、ちゃんと拭いたのに…」司は慌てて、手で顔を半分覆った。ちょっと恨めしそうに島を見上げる。
「…艦長って、笑い上戸ですよね。私のこと見れば笑うんだから」
「そうか?」鼻の頭についている煤の跡を拭いてやろうとして、島はふと思い出した。「俺が貸してやったハンカチはどうした?」
「あ、あー……部屋に」
「まったく」
こんなところで立ち話もなんだ、中に入れよ…と言いかけると、司はさらに真っ赤になって首を振った。
「実はですね、ヤマトのことを聞きたくて」
「…ヤマト?」
「ヤマトに、大浴場があるって渋谷さんから聞いたんですけど」
「……風呂?」
はい、と真面目な顔で司は頷いた。「ここまで汚れるとですね、大っきいお風呂は魅力かな、って」
笑うなと言われたそばから、島はまたもや吹き出しそうになる。
「…気の毒だが、それはイスカンダルへの第一航海の時にあった設備でね、スーパーチャージャーを搭載した時点で大浴場は潰されちゃったんだよ……しかも、あったのは男湯だけさ」
「え〜〜〜なんだあ…!!」
心底残念そうに司は言った。
「まったく…、わざわざそんなことを訊きに、真夜中に男の部屋を訪ねるのは…どうかと思うぞ」悪戯っぽくそういうと、にわかにまた目の前の部下の頬が赤くなった。んもう、と口を尖らせ。それから彼女はにっこり笑った。
「……良かった。渋谷さんが、艦長元気なかった、って言ってたから…。でも、そんな冗談言えるくらいだから…大丈夫ですね」
島は目を丸くした。
…俺を心配して来たのか?
司といると、不思議と心が和む。何を話していても、自然と笑顔になっている自分が居た。それだけではない。宇宙戦士としての共通の何かが、彼女の中にもある、そのことも……居心地が良いと感じる原因だった。
…床下のケーブルの整理にしろ、誰が命じたものでもないのだ。基本的に軍艦はメンテナンスフリーだし、放っておいても整備班が定期的に点検し、必要なら処理するはずだ。だが彼女は自ら、万が一を考えてそうしたいと思ったのだろう。
思い起こせばこんなこともあった——
メイン操舵席まわりの清掃が随分行き届いているなと感じ、整備班の担当者に礼を言ったことがある。だが、整備班はそこまではしていないという。不思議に思ってよく観察していると、自動操縦の合間を見て、司がせっせと手入れをしていたのだ。コンソールパネルやフットバー、スイッチ類は奇麗に拭き上げられ、操縦桿には滑り止めコーティングスプレーが吹き付けてあった。
コスモガンを磨きながら、戦場で生き残るにはまず道具の手入れだぜ、と古代が口癖のように言っていたのを思い出す。ヤマトが幾多の危機を乗り越えて来た要因の一つが、まさにそれだった。最終的に、機械は「人が」使うものなのだ……司はその点でも古代や自分と同じスタンスだった。当然そればかりではないが、島は司に感心したことが他にも幾度もある——
「大丈夫さ。何で元気がないなんて…思ったんだろうな、渋谷さんは」
そう嘯いて、島は微笑んだ。
自然と司の両肩に手が伸びる。
抱きしめるのは、……いけないだろうか。
「だっ、だめですよ……あたし真っ黒なんだから」
慌てて大げさに手を振って後ずさる肩を捕まえ、確かめるようにくるりと後ろから抱きすくめた。
「……艦長」
抱きしめてしまってから、島は後悔した。
俺は……
一体何をやってるんだ……
「……ポセイドンにも、そのうち大浴場作ってくださいね」
身体に回された島の手に自分の手を重ね、司がそう言って笑った。
「……何を言ってる」
——つくづく、ラブシーンの苦手なやつだ。言うに事欠いて、また風呂のことなんか…。
…ここは苦笑するところだろ。
そう思いつつも、島は表情が曇ってしまうのを止められなかった。
すぐに、司を捕まえた腕を放す。
「…着替えて、早く寝ろよ」
「はあい」
赤くなって照れ笑いをしつつ、司は転がるようにエレベーターへ向かった。
「おやすみ」
「おやすみなさぁい…」
島の声に振り向きもせず、無造作に返される声。しかし、その声に含まれる幸福そうな響きは否応無しに伝わった。
俺が愛しているのは、……誰なんだ。
ここにいる自分と、テレサを抱きながら泣いた自分とが、まるで別の世界の人間のようだ。
——かつて自分自身を…これほどまでに信用できないと感じたことはなかった。
「…テレサ…」
アレスは総統府地下32階の医局内特殊医療室にテレサを運び込んだ。
<ドール>の治療が行われていたその場所には、今、別の装置が置かれている。
「…アレス…ごめんなさい…私」
ストレッチャーに横たわるテレサは弱々しく言った。横になったままの瞳から涙が流れ、枕を濡らしている。彼女はベッドサイドにかがむアレスの視線を避けるように、身を縮めた。彼女に応える言葉もなく、アレスはそっとその背をなぜた。
「…どうして泣くの」
テレサは答えない。
島さん…。
あの人と、また…お別れしなくてはならないのなら。
私……死んでしまった方がいい——
「ごめんなさい……」
アレスは、そう呟いたテレサをじっと見下ろす。
美しい人……
最初から、分かっていた。
——この人はあの男を、強く恋いこがれていると……分かっていたのだ……。
「アレス…お願い。……彼の記憶を、完全に消してください。何も思い出さなければ…島さんのことを…すべて忘れてしまえば……こんなに辛くない」
「そんなことは…できない」
「…私は… ここに居ると…決めたのです。彼を愛したために殺戮者となった記憶ごと、…葬ってください…その方が…」
皆まで言いきれず、背中を丸めて号泣する姿に、アレスは心を決めた。
「…分かった。あなたの記憶を、もう一度だけ…操作する。だが、これが最後だ。もうすでにあなたの脳は酷くダメージを受けているからね…。ただ…これだけは言わせてくれ」
アレスはベッドサイドにかがんで、テレサの涙に濡れた頬をそっと拭った。「あなたは…殺戮者ではない。あの帝国の末裔として、あなたに言いたい。あなたのしたことは…間違っていないよ。数十万のガトランティスの民を屠ったことで、あなたは数十億の地球人類、そしておそらく他の宇宙の生命全体を救ったのだ」
「……アレス…」
テレサは悲し気に微笑んだ。
「ありがとう…アレス。あなたがそう言ってくれるだけで…救われます。でも、あの力が潜在している限り、私は…島さんと地球へは…行けないのです。……彼の記憶を…消してください」
そう言う彼女の瞳から、大粒の涙が二つ、三つと溢れる。「あなたがいてくれれば、…それで…私は」
アレスは頷いて立ち上がった。
私はあなたを護るための闘いに勝利する。デスラーすら欺き通す。
自己満足か……? それでもいい。…もはやこうするしか、あなたを護り続ける術は…ないのだから。
無数の電極の付いたインプラントケーブルを数本、仰臥するテレサの額とこめかみに当てる。
これ以上余計なことは、何も言うまい。
そう心に決め、アレスは精一杯笑顔を作った。
(……お別れだ)
テレサは黙ったまま、両の目からぽろぽろと涙をこぼしていた。
「テレサ、そんなに泣かないで。あなたはきっと、…幸せになれる」
アレスはテレサの背中に腕を回し、抱き起こした。「これが最後だ。許してくれ…」
「アレス……?」
涙で濡れたテレサの唇に、アレスは口付けた。
背に回されたテレサの手が、一瞬…彼を抱きしめる。
装置が作動した。
アレスに抱かれたままのテレサの身体が、ほんの少し痙攣し、直後に彼女は意識を失った。脳への電気信号が、選ばれた幾つかのニューロンを焼き切る。
強引に、奪ってしまえば良かったのかもしれない。カゴの中の小鳥のように、空を見せずに閉じ込めておけば良かったのかもしれない……脳や心臓が司る心の動きなど、自分の技術を持ってすればいくらでも操作することは可能だった。島という男の記憶など、削除することは雑作もないことだった。
だが、同時にそうしなかったことへの誇りが、アレスにはあった。
「……さようなら」
消した記憶は、あなたが白色彗星を殲滅したという事実…そして、ここで私と過ごした最後の数ヶ月の出来事……。
この瞬間、私、アレス・ウォードがあなたを愛した記憶も、消えてなくなったのだ。
私は、自分の領域から命を賭けてあなたを護る……
今も、…そしてこれからも未来永劫——
テレサの頬に落ちてしまった自分の涙を、アレスはそっと指で拭った。
<ドール>。
——幸せになれ——
作動し続ける装置を静かにチェックし、アレスはテレサの傍を離れた。
医局のあるその階の別室に向かう。そこには、テレサの持つ桁外れのサイコキネシスと、反物質エネルギーさえも封印出来る性能を備えた、小さなコンテナがほぼ完成の形で置かれていた。
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