奇跡  再会(17)




「どうしたの?何か…あったの…?」
 部屋に来ていた雪が、不安げに尋ねた。
 部屋のドアのところで立ち止まった島は、それ以上中へ入って来ようとしなかった。
「あ…ああ。彼女と会って…話しているうちに、突然テレサが…酷い頭痛を訴えて。…倒れちゃったんだ。…でも…ごめん。うまく…説明できん」
 説明…しなくちゃならないんだろうな。でも。




 様子の急変したテレサのために、島は人を呼ぼうと客間を出て廊下の左右を見渡した。だが廊下には誰もいない。無駄に広いフロアを、先ほどタランについて歩いて来た記憶を頼りに走って戻る。
 開けたホールに出ると、衛兵が二人立っていた。
「…あの、副総統は」
「はっ…いかがいたしましたか」
「テレサの様子が…。その、具合が悪そうなんだ。医者はいませんか」
「……では、至急ウォード博士をお呼びします」
 衛兵が踵を返してホールの向こうの扉の中へ消えるのを見送り、島は取るものも取りあえずテレサの客間へと戻った。
 だが、客間の扉を開いて中へ入ろうとしたと同時に、観音開きのその重い扉が中から開き、白いマントの男と2体のアンドロイドがストレッチャーに乗せられたテレサを連れて出て来たのだ。

(ああ、医者かな。良かった…)
 あの衛兵が呼んだにしては、随分早いな。
 そう思わなくもなかったが、ともあれ彼女には手当てが必要だ。
「あの、テレサは…大丈夫なんですか?」
 白衣の男は、無表情に島を一瞥し、すぐに視線を逸らした。ストレッチャーの上のテレサは瞼を閉じて苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。口元には酸素マスクがあてがわれていた。
「…大丈夫です。一時的なものです」
「あの、あなたは」
「……ウォードと申します。彼女の主治医を務めております」
 褐色の肌に癖のある黒髪の男は慇懃にそう名乗った。ストレッチャーに付いて来ようとした島に、畳み掛けるように言い放つ。
「彼女は時折記憶障害を起こします。治療が必要なので、今日のところはお引き取りください」
「えっ…そ…そうですか…」
 付いて来るなと言わんばかりの医師の態度に、成す術もなく島はその場に立ちつくし、ストレッチャーと医師が通路を遠離って行くのをただ見送るしかなかった。



             *     *     *

 

 いいわよ、何も話さなくて。話す気になれたら、教えてくれれば。
 雪がそう言ってくれたので、島は「悪い」とひと言だけ言い残し、宇宙港のドックに停泊しているポセイドンへと戻って来てしまった。

 部屋にいた相原や南部、太田の顔を見れば、古代がテレサのことを話したに違いないと判る。自分がこんな顔をしているのは、何か良くないことがあったのだと、それも判っただろう。彼女が、地球へは行かない、と言った…と知れようものなら、それこそまた……。
 だが、突然苦しみ出した彼女を問い詰めるようなことは出来なかった。仲間達に理由を聞かれても、自分とて答えられないのだ。


 溜め息をつきつつ、上昇するエレベーターの壁に凭れた。
 もう一月ばかりこの船で暮らしているが、最下層から最上階の艦長室へ行くまでには3基のエレベーターを乗り継がなくてはならない。艦底から艦橋へ直通エレベーターのあるヤマトと較べると、やはり不便だなと思う。2番3番艦とのドッキングパートのある最下層からの放射能漏れや火災を想定し、煙突状に上まで通じるものは一切排除されているのだから、それは致し方ないのだが。



「幸せですか…?」

 彼女はそう言った。
 この船での生活。艦長としての任務、…そして、新しい仲間達。幸せでないなどとは思っていないが、満たされない思いは常に抱えていた……それは、君がいなかったせいだ。

 浮かない顔で作戦ホールを横切った島に、当直の隊員たちが敬礼する。
 軽く返礼し、島はそのまま第一艦橋へ向かった。第一艦橋の当直は誰だったか。最低でも2人は残っているはずだった。


「…おや、艦長」
 島を見つけ、はて、という顔をしたのは機関長の渋谷源三だった。「こんな時間にどうされました?」
「…いや、ちょっと上で調べものをね…」と、曖昧に誤摩化す。
「パレスにコンピューター管理の芹沢が行ってませんかね?奴の端末からでもマザーにアクセスできたはずですが?」
「……うん、いや……ちょっとプライベートなことで」
 ああ…そうですか、と渋谷は笑って肩をすくめた。
「機関長も、整備が一段落したら全部閉めて、パレスでゆっくり休んで下さい…」
「ええ。ありがとうございます、艦長」
 にっこり笑うと、渋谷は艦長室へと向う島を見送り、また座席のコンソールパネルに目を落した。



「…機関長?今誰か来ました?」
 第一艦橋の床下には、ハイパー通信用ケーブルやコネクタの集まる一角がある。寄港した時くらいしかその床下の掃除などできないので、しばらく前からその中に潜り込み、アナログな手拭き作業をしていた司だった。

 床のパネルをひとつ外してどけた穴の中から、ひょっこり顔だけ出した司の鼻の頭に煤がついている。渋谷は思わずはっは、と笑った。
「艦長が戻って来られたんだ。なんでも調べものをするってな…」
「艦長が?」
 そういえば、この宇宙港に入った途端、デスラーからの呼び出しを受けて島は出て行ったのだった。それがどうしてこんな夜中に戻って来たのかしら?
「…今、上にいるの…?」
「そうだよ。…しかし、なんだか元気がなさそうだったな」
「…ふうん…」
 渋谷はつんつん、と指差した。「鼻の頭。煤がついとるぞ」
 司は「あ」と言いながら、右の袖で鼻の頭を拭った。
「はっはっは」渋谷がさもおかしそうにまた笑う。「鏡を見てごらん」
「ん?」司は床下から這い出し、キャノピーに顔を映してみた。
 宇宙港の外れに停泊するポセイドンの周囲は、しんとした夜の静寂に覆われている。その暗い窓の中に、自分の顔が浮かび上がった。

 ………「ぎゃ!」
 拭ったはずの鼻の頭は異常がないが、頬にまるでひげを生やしたように黒々とした線が数本、走っている。
「袖についてたんだ〜〜、なにこれ、油だぁ…」
 袖を確かめ嘆く司に渋谷はやれやれ、と肩を竦める。「洗っといで。いや…着替えた方がいいんじゃないかね」
 ちぇ、と舌打ちして、司は腰に手を当てた。
「全部片付けちゃったら、お風呂に入りますから。…いいや、もう…汚れついでだ、徹底的にやっちゃいますよ」
「風呂かあ、風呂はいいなあ。ヤマトには大浴場があるって聞いとるぞ。一体何で、ヤマトより大きなポセイドンに大浴場がないんだ?」
 そうぶつくさ言う渋谷を後目に、司は笑いながらもう一度床下へ潜り込んだ。


 ケーブルやコネクタは、いざという時のために奇麗に束ね、誰が見ても一目で修理・交換ができるようにしておきたい。アナログな作業だが、万が一の時のためにこうした地道な手入れを、誰かがする必要がある。これほど大きな、それも完全機械制御の艦船でも、たった一つの部品やケーブルの不具合がとんでもないアクシデントを引き起こすことがあるのだ。束ねたケーブルにタグをつけ直しながら、司は大きな声で言った。
「そうだー、じゃあ当直が終ったら、一緒にヤマトへ行ってみましょうよ〜?大浴場、貸してくれるかもしれませんよ!?」
「航海長、背中流してくれるのかい?」
 そらうれしいねえ、とふざける渋谷に、司はまたぴょこんと顔を出して言い返す。
「そんじゃ、一本つけなくっちゃねえ!」
 他人が聞いたらセクハラすれすれの冗談も、司にとっては屁でもない。渋谷とはまるで父娘のような間柄になっていたから、本気で湯船で一杯、を連想する。
「がはははは!参ったね、そら天国ダア」渋谷は楽しそうに笑った。


 手作業に戻りながら、司は島のことを考えた。ほんと、こんな時間に。一体どうして戻って来たんだろう…? 元気ないって、何かあったのかな……?
 どうしよう。行ってみようかな……でも。
「ううー」独りでに顔が赤くなる。二人っきりで話すチャンスなんて、ほとんどないのだ。でも、夜だよ? いいのかな……でも。
(会いたい。艦長に…会いたいな…)
 また、チューしてくれたりして。
「ぎゃああん…」独りで妙な呻き声を上げる。
 けれど、八割方、心を決めた。しかしケーブルの整理が終るまで、もうちょっと考えようか…、などとも思う………

 床下の隙間は、小柄な彼女だからこそ這い回れる空間だった。通信用と、マザーに直通のケーブルを列べ、シグマとラムダにつながる操縦系統のケーブルをその向こうに置く。予備のケーブルも隅に置いてある。一見してどの束がどこのものか、誰にでもすぐ判るかどうかを確かめるために全体を見回す。まくり上げた両腕についた煤や埃もボロ雑巾でついでに拭き取り、司は両手をパンパンとはたいた。「…うん、よし」

 床下から這い出て、床のパネルを元に戻す。
「……機関長、あたし着替えてきますけど。ホントに行きます??ヤマトのお風呂」
 渋谷は目を丸くし、わはははとまた笑った。「行きたいのはお前さんなんだろ?」わしはまだこれから機関室に顔を出さなきゃならんからな、残念だが。
「しかし航海長…、あんた、女にしとくのは本当にもったいないよ」
 ケーブルの整理や手入れは、誰に頼まれたのでもなく彼女が必要だと感じてやり出したことだった。艦載機であれ宇宙艦であれ、生き延びるためにはこうした機器の整備は必要不可欠だ。ことに細かい部品の手入れを怠れば、戦場で生き延びる確立は大幅に低下する。尾翼をやられ、キャノピーを破損したコスモタイガーで、奇跡的に無傷の生還を果たしたのは、偶然の産物ではないだろう。任された機器を120%使いこなすための努力を、この若い女航海長は常に怠らないのだな…、と渋谷は感心しているのだった。
「……渋谷さん?それは、セークーハーラ」
 司は口を尖らせた。「あたしは女に生まれて良かったと思ってるんですからねー」
「おやおや…そりゃ失礼」
 頭を掻きながら、渋谷はそう言った。……確かに、航海長はこのままでも、類い稀な人材であることに変わりはない。
「じゃ、お先に」
 司は渋谷に手を振った。
 渋谷がまたもや、つんつんつん、と指差した。3ヶ所。
 はいはい、分かりましたよう……司は顔を申し訳程度にこすり、笑いながら第一艦橋を後にした。

 

 

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