奇跡  再会(15)




「古代、島、真田。よく来てくれた。私たちの友情に……乾杯しよう」
 デスラーがそう言って「乾杯」をしてから、半時ほど経っていた。もちろん、超宇宙大国の元首との謁見だから、「儀式的なこと」はきちんと端折らずにするべきだ。島は比較的冷静に、地球防衛軍の特殊輸送艦隊司令としての責務を果たしていた。

 会食の席はまるで地球の中世ヨーロッパの円卓のようだった。金細工の施された12枝の燭台が円卓の周囲に置かれ、柔らかな青い炎の光に部屋全体が心地よく包まれていた。円卓の上には珍しい食べ物がきらびやかに並んでいる。厳戒体制だということを忘れさせるほどのその贅沢な品揃えに3人は感嘆の声を漏らした。デスラーに招かれる部屋はどこも、常に足音を吸収する毛足の長い真紅の絨毯だ。それは以前から変わらなかったが、今回は総統府の建物のそこここに、この星の元住民の文明なのか、美しい彫り物が施され、更に不思議な雰囲気を醸し出していた。


 
「…古代、そういえば…」デスラーは古代に目を移してゆっくりと言った。「君の美しい恋人は元気か?」
「ええ。今回も一緒に来ています」
「…今では彼女は、古代の細君なんですよ、総統」
 真田の説明に、古代が照れ笑いをしている。

 その声に、島は唐突に我に返った。どうしてこんな話題が語られているのだろう?というくらいに、その前後の話が耳に入っていなかった。
「そうか…それは失礼をした。君たちと共にここへ招くべきであった。…あとで挨拶をさせて頂こう。ところで…島」
 デスラーの目がこちらを真っ直ぐに見ているのに気付いて、どきりとする。
「…はい」
「古代から、聞いているか?」
「……テレザートのテレサが…こちらにいるということですね」

 島は複雑な心境で彼女の名を口にした。胸の鼓動が否応無しに早くなる。早く彼女に逢わせて欲しい、と言うのは簡単だが、艦隊司令としてそういう性急な態度は取れない。しかしそうは思いながら、ずっと上の空だった自分に驚き、焦る。だがその反面……感情に整理が付けられず、再会の瞬間を引き延ばしたいと願うもう一人の自分がいるのだった。
「その通りだ。テレサは…非常に奥ゆかしい女性でな。君とのことを話してくれるまでに、長い時間がかかった。最も、彼女は当初、仮死状態で発見されたので記憶自体がかなり曖昧であった。我々がどうやって彼女を救助したか、詳しく説明をしようと思うのだが——」
 そこでデスラーは一度言葉を切った。
「それよりも先に、島。…まず彼女に…会ってくれないかね?」
「えっ……」
「実はこんな社交辞令は後回しにして、一刻も早く君を彼女に逢わせたいとは思っていたのだよ」
「……わかりました」
 妙に冷静な島を、古代は嬉しそうに見ていた。冷静に見えるだけで、島は実はひどく戸惑っているのだということも、古代は知っている。無理もない。この航海に出発する前には考えてもみなかったことが、今、起きようとしているのだから。
「島」
 満面の笑みを浮かべ、古代は親友に向かって頷いた。
 島が迷うように視線を投げると、真田も感無量といった表情で、同じように頷いている。
「……タラン、島艦長をテレサの部屋へ案内してくれたまえ」
「はっ」
 タランに促されて島は立ち上がると、デスラー、そして古代と真田に向かって一礼する。古代がこっそり親指を立てて片目を瞑ってみせた。島は目を伏せて微笑み、タランに招かれるままに部屋を出た。



「こちらでございます」
 美しい彫刻の施された重い扉を開き、タランは恭しく島を招き入れた。そのままの位置で深く礼をするタランに軽く頭を下げ、島は部屋の中へ入る。背後から、タランがゆっくりと扉を閉じた。

 


 
 真紅の絨毯に、美しい金細工の装飾を施された什器が並ぶ室内。銀色の縫い取りの施された、純白のカーテンの引かれた部屋の奥に、ドレスを着た人影が現れた。
 両手を胸の前で握りあわせていたその人が、手を口元に持って行き……息を飲んだのが分かった。膝が崩れそうになるのを堪えながら、島はその場に立ち尽くす。
「…島さん」
 それは、夢の中で何度も聞いた声だった。
 今の今まで、…古代にこの話を聞かされても、デスラーに何と言われても、非現実的な感覚が拭えなかった。テレサが生きているなんて、それはいつの間にか夢にしか見ない光景になっていて、決して現実にはなりえなかったはずだ。しかし今、目の前には確かに、彼女がいた。

 突然……時が急激に遡るような錯覚に捕われる。その声は以前と変わらず、甘く切なく耳に響く。彼女の身体はサイコキネシスの光を放ってはいなかったし、纏っているドレスも青色ではなく、花嫁のような白だった…だが、そこに立っているのは間違いなく彼女だ。



 テレサは両手を頬に当て、目の前の奇跡に涙を流していた。
 二人ともが思った——幻ではない。
 感情が溢れ、涙で視界が霞む。
 半ば駆け寄るように傍までやってきた島が両手を拡げ、自分を抱いた——


「………!」
 抱きしめられたら、絶望してしまうだろうと思っていた。アレスを選んだ自分に、納得していたつもりだった。…それなのに……。
 この温かくて広い胸を、私は憶えている。
 両手をその背に回す。厚い胸板は逞しく、包み込まれるようだった。…何度も島の胸に頬をすり寄せ、彼の名を呼んでいる自分に気付く——



 その声を聞きながら、島は気が遠くなるのではないかと思った。
 ……夢なら永遠に覚めないでくれ、そう叫びたい衝動がこみ上げる。
「テレサ…、本当に…君なんだね?」
 そう呟くのが精一杯だった。
 彼女は顔を上げ、嬉しそうに頷いた。

 

 記憶が矢のようにフラッシュバックする。


 あの碧の宮殿で、私も行きます、と言った彼女の顔……それが目の前の笑顔と重なった。以前よりもほんの少しやつれているのは、彼女が乗り越えて来た過酷な時間の所為だろうか。
 島は、その華奢な身体を確かめるように抱きながら、ぽつりと呟いた。
「……会いたかった…」
「島さん…」言いたいことは山の様にあった。だが、彼の名を口にするだけで気持ちが溢れ、それ以上テレサも、何も言えない。
 抱きしめていた腕を解き、島はテレサの顔をもう一度、信じられないといった面持ちで見つめた。美しいブロンドの髪、白皙の肌、柔らかな曲線を描く奇麗な眉、吸い込まれそうな碧の瞳…、愛らしい鼻梁に桜色の唇。抱いている彼女の肩は、おそらく記憶にあるよりもかなり痩せていたし、金色の髪も以前よりずっと短くなっていたが、抱き止めた時の腰の細さや感触を、島の腕は覚えていた。



 ——幻じゃない…本当に、彼女だ。



 色々な思いがこみ上げて来て、涙を堪えきれない。自分でも驚いたことに、長い間堰止められていた感情が理性の壁を破って迸り出てしまい、心ならずも嗚咽を止められなくなっていた。テレサの身体をかきしだき、島は泣いた。



 抱かれながら、テレサは全身の力が抜けて行くように感じた……彼の温かな、広い胸。傷を負って、抱きしめることも叶わなかった大好きな島さんの胸に今、私は抱かれている。
 ……急激に、記憶が過去に溯る……
 救助して最初に見たときは、酷い外傷と火傷のために、彼の身体は触れるのも躊躇われるほどだった。冷たくなって行くその身体に懸命に手を尽くし、ようやくその命を取り留めた時には、2度とこの胸に抱かれることはない、…と諦めたのだった。

 自分の身体が、彼の身体に溶け合ってしまいそうだった。
 目を閉じたその脳裏に広がる、碧の宮殿——互いの体温と熱い抱擁に、二人ともがテレザリアムを見た。
 不思議な温かさの立ち上る、蒼い部屋。
 床に転がったヘルメットから聞こえる古代の声……それが遠くに消えたと思った瞬間、テレサは目を開けた。

 目の前には、懐かしい黒髪の彼が…泣いていた。
「顔を…見せて…」
 テレサは愛おしげに両手で島の頬を挟み、じっと見つめる。
「…元気になってくれたのですね…」
(そうか…そういえば)
 目覚めないままの自分を古代と雪に託して、彼女は最後の闘いに向かったのだと古代からは聞いた。…ただ、そう「聞いただけ」だったから、島の中ではその時間がちぐはぐな記憶としてしか存在しない。彼女はずっと、俺を心配してくれていたんだ…。島は、頷くと再度テレサを強く抱きしめた。
「君のおかげだ…。ありがとう…」

 白色彗星戦から帰還したときの島は、爆風に煽られたために上体の前面に広く第3度の火傷を負っており、右大胸筋には何かの破片が深く刺さった形跡があったが、すべてが充分な処置を受けた後だった、と佐渡からは聞いた。その傷痕は今でも、うっすら残っている。そして、輸血の後が見られた…とも。自分が命を取り留めたのはすべて、彼女の施した手当てのおかげだったのだ。
 彼女に訊きたいことは山のようにあったはずだった。



 戦いを拒んだ君が、戦ってくれたのはなぜだ?
 俺一人を助けたいためだったのか?
 俺が、ただ一人君に救われた俺が…苦しまないとでも思ったのか……?
 そして……
 君は、俺を…愛していたのか…?



 いくら考えても答えの出ない疑問を抱え、眠れぬ夜を幾夜過ごしただろう。自分一人が救われたことを悔やみ、この人を恨んだことさえあったのだ。だが今「なぜ?」と聞くのは余りにも愚かなことに思えた。長い間燻って来た思いはすべて霧消した。何年間もこんなくだらないことばかり考えていた自分が悔しい—

 島はテレサの滑るような亜麻色の髪をそっとなでていたが、しかしその後の言葉が出て来なかった。彼女を目の前にしているのに、一体何を話せば良いのか分からない。ただ、この腕の中にある彼女の身体が、夢から覚めた時のように急に消えてしまわないことを祈るばかりだった。



「……地球は今、…平和なのですか?」
 テレサが囁くように尋ねた。
「…ああ」
 それも…君のおかげだ。
 良かった…、とテレサは再び島の胸に頬を擦り寄せる。
「ヤマトは今でも…健在なのですね。…古代さんと雪さんは」
「…うん、二人とも元気だ。一緒に来ているよ」
 その言葉に、またにっこりと微笑むテレサがたまらなく愛らしい。
「島さんの船…」
「…見たの?」
 はい。…大きな…船ですね。島さんは、艦隊司令なのだと、デスラーから聞きました。
 ——ポセイドン、ていうんだ。ヤマトの3倍も大きいんだよ。地球から放射性核廃棄物を輸送して来たんだ。ここではそれを資源として利用できるそうだから……
 テレサの方から質問してくれた所為で、島はそれに応える形で徐々に口を開いて行った。あの彗星帝国との戦いのあと、地球は三たび強大な敵と戦い、それを乗り越えて来た。だが自分がそれを生き延び、ここに居るのもすべて…きみのおかげなんだ…と。

「…島さんは、幸せですか?」
 しばしの沈黙の後。テレサがぽつりとそう問うた。
 自分を見上げる美しい碧眼に、蕩けそうになる。
「…ああ」
 自分は…幸せだろうか。だが島はそう己に問うた。今この瞬間がそうでないと言ったらそれは嘘だ、と思う。だが…刹那ではなく、彼女は…日々を訊いているのだろう。

 ふと、現実を思い浮かべる。
 船を操り、積み荷を運び、宇宙を旅する毎日。その中で…幸せ、と言ったら。
 テレサの問いにうまく答えられず、島は開いた唇を閉じた。思い起こしたのは、有能な部下の顔……。泳いでしまった視線をテレサに戻すと、彼女は切ない目をして自分を見上げていた。
「……君は?テレサ、君は幸せなのかい?」
 卑怯だなと思う。どう応えれば良いのか分からなくて、同じ質問を投げ返す。
「……私は、幸せです」彼女は躊躇いなくそう応えた。島の胸に再び顔を埋め、テレサは一息に言った。「…この星で、とても良くして頂いて…家もあるの。世話をしてくださる人も」
 身体を少し離すと、全身を見せるように両手を拡げた。「…このドレスも、デスラーがくださったのよ」

 美しいドレスだった。端々に銀色の刺繍が施された純白のそれは、まるでウエディングドレスのようだ。古代と雪の結婚式を思い出し、島はふと自分と並ぶテレサの姿を脳裏に描く。「……奇麗だ」
 思ったより、デスラーは細やかな男なんだな、と思う。
 うふふ、とテレサは微笑んだ。美しく咲き誇る、華麗な花のようだった。
「あなたのポセイドンと…ヤマトは、あとどのくらいこの星にいらっしゃるの…?」
「…え?」スケジュールは大幅に前倒しになっているが、予定では滞在は10日間、だった。
「……そうですか。…ではその間は…何度かこうして、会えますね」
 嬉しそうに話すテレサの言葉に、島は違和感を覚えた。



 その間は…?
 何度か…って……



「私たち、こんな風にゆっくり話すのは、…初めてですものね」
 一方的にテレサの口数が多くなっている。笑いながらそう言うテレサの視線が困惑したようにあちこちを彷徨った。
「テレサ?」島はテレサの両肩を掴み、自分の方へと振り向かせる。「……どういうことだ…?」
 覗き込む島の目を避けるように、テレサは目を伏せた。
「君は…ここにずっといるつもりなのか」
 両肩を掴まれ、身動き出来ない。言葉にして答えるのは、あまりに辛い………


 だが、こくりと頷くテレサに、島は呆然とした。

 

 

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