奇跡  再会(12)




 艦長服の胸ポケットに入っている写真を、島はそっと取り出す。
 <バスカビル>で提供された仮眠室で横になる気にはなれず、彼は艦に戻って来ていた。



 写真の中で、可憐な花のように微笑む、美しいテレサ。その微笑みは、自分にとってようやく……偶像になりつつあるところだった。
 …2度と叶わないからこその、永遠の恋。愛しさが募っても、触れることはできない青春の幻影……だからこその、偶像。自分が例え誰かと結婚するようなことがあっても、彼女だけは不可触の神聖な存在であり、自分のパートナーとなる女性にはそのことを理解してもらわなくてはならない、と思っていた。
 司花倫は、自分にとって、知らないうちにだんだんと大きな存在になっていた。実際のところ、保管庫で<きりしま>の残骸を見て呆然とする彼女を見るまで、自分のその気持ちにはっきりとは気付かないほどだった。あの時初めて島は、司なら、自分の中の永遠の恋を理解しつつ、それでも一緒に居てくれるのではないかと、……そう感じたのだ。


 だが…。
 幻の恋は、唐突に現実に引き戻された。
 (俺だけが現実に愛しい人と再会する。そうしたら…あいつは、どうするのだろう…?)
 それはあまりにも惨い仕打ちのように思えた。

 もう一度、微笑むテレサの写真に目を落した。胸の奥から、懐かしい思いがこみ上げる。以前は、もう一度彼女に会えるのなら、何を犠牲にしてもいいとまで思っていた。出航前に見た、メモリチップの映像を思い出す……彼女の声、その柔らかな息づかいと光の妖精のような軽やかな手の動き。腕の中に抱きとめた、しなやかな身体…何もかもが、鮮やかに甦る……
 明日の夜には、彼女に会える。古代の言うことが本当なら、彼女は今この瞬間にも、俺が今でも自分を愛していると信じて、再会の時を待っているのだ。…しかし。
 一緒にその哀しみを担ってやると、俺は司に約束した。俺が<きりしま>の残骸の前でああしなければ、司の精神(こころ)は崩壊してしまったかもしれない。



(…俺は、どうしたらいい…)
 お前が好きだ、なんて言っておいて……テレサが生きていました、だから、前言撤回。……そんな真似ができるかよ…。

『……艦長?…そのうち、大事にしていたその人のこと…教えてください…。私で、力になれるのなら、知りたい。艦長が、私を支えてくれたように、私もあなたの力になりたい…』
 そう言って恥ずかしそうに笑った泣き顔が……頭を過る。
 紛れもなく、自分はあの時、司を愛しいと思った。
 ——それは嘘じゃない。……けれど……。



 どうしたいかは、はっきり分かっていた。だが、それではあまりにも身勝手すぎる。どうすべきか、と考えると頭が混乱した。明日の朝、こんな混乱した状態で司とまた、任務に就かなくてはならないのかと思うと酷く気が滅入り、島はまた両手で頭を抱え込んだ。

 




 その夜遅くなってから、テレサの部屋にデスラーからの伝言が届いた。


 ハウスキーパーアンドロイドの手に載せられた、小さなモニタに映っているデスラーは、嬉しそうに短く話した。
『こんばんは、テレサ。ヤマトの古代と連絡がついた。あなたに無断で差し出がましいとは思ったが、古代に…尋ねてみたよ。…島は、今でもあなたのことを深く愛している、と古代は話していた。ヤマトは明日の夜にはこの星へ到着する予定だ。君たちの再会を、私も共に祝おうと思っている』
 モニタの中のデスラーが何を言っているのか、途中からわからなくなった。
 小さなモニタをアンドロイドから受け取ってデスラーの伝言をもう一度再生する。

(まさか……なんということ…)
 膝が震えて、立っていられなかった。
 美しい織り柄の布張りのソファに、くず折れるように腰を下ろし、受け取ったモニタをガラステーブルに無造作に乗せる。
 知らぬ間に涙が頬を伝って流れていた。

(島さんは、今でも……私を……)

 身体が震え、胸が熱くなる。
 けれど、同時に氷の刺を突き立てられるような悪寒が走った。貫くような痛みが頭を襲う。

 破壊の魔女は、彼に愛される資格などない——
 島を想うと同時に甦る、…呪詛を吐く死者の声。

 サイコキネシスの復活を阻む外科的処置のために、脳に負担がかかっている…とアレスは言っていた。この鋭い頭痛はその所為なのだろう。
 テレサはこめかみを押さえつつ、身を縮め痛みに耐えた。
(私はこの星から離れることはできない。アレスの元を離れれば、また私は…殺戮の魔女になってしまう。…島さんが来ても、…もう…前のようには…)

 明るい室内のソファに踞っているテレサの姿を、向かいの総統府の建物の上階にある、灯りの消えた廊下からアレス・ウォードが見つめていた。今しがた、ハウスキーパーアンドロイドが小型の伝言用モニタを彼女の部屋へ携えて行ったのを見た。総統の使う瀟洒な金細工が施されたモニタだったから、おそらく何かヤマトに関係する連絡なのだろう。
 テレサはしばらく、ソファに座って頭を抱えていた。…痛むのだろうか。今まさに、彼女は凄まじい葛藤の渦の中にいるのだ。
 彼女は、島に会うつもりはない、と言った。
 だが、それはどの程度の決意なのだろう。自分への義理立てか?それとも…強がりなのか。



 アレスは、涙を流す<ドール>を医局で初めて見た時のことを思い出した。脳波を言語へとエンコードする解析機器にかければ、<ドール>が何を言いたかったのか、すぐに解っただろう。

 己が故郷と、其処に息づく数十億の人間を殺めた…という、凄絶な記憶を持つ<ドール>。

 その苦しみを、ささやかでも共に担おうとしたのが、島という男だった。記憶を操作して行く途上で、<ドール>……テレサの島への慕情は、嫌というほど幾度も発露した。テレサが心の奥底で、己自身よりも愛し、守ろうとしたのが彼だった。
(本当は……あなたを、あなたの本来望む形で…あの男のもとへ行かせるのが一番…良いのかもしれない。私では…あなたを救えないのかもしれない…)
 
 医局の装置の前で。
 自分の邸で…。
 ガトランティスの技術の粋を集め、眠る彼女の脳にアクセスしながら、アレスは何度も躊躇った。
 銀色の端子を無数に繋いだ透明なインプラントケーブルをテレサの額にそっと当て、スイッチを入れる。電気的信号は彼女の脳内を駆け巡り、サイコキネシスを呼び出す脳内のニューロンを探知し相互につながるシナプスを遮断する…

 アレスは幾度か、凄絶な苦悩を誘発する記憶のすべてを…地球と、島に関することもすべて、彼女の中から消去してしまおうとしたことがあった。だが、その作業は常に、強い念波に中断された。彼女の感情は島を忘れることを拒み、微弱な電波を発してアレスの記憶操作を阻んだ。


(……島さん)


 切ない呼び声に、いっそすべてを元に戻し、彼女をその男に会わせてやろうと何度思ったことか……。
 今の彼女は、心のうちで激しい葛藤を繰り返しながら、島を忘れその傷をどうにか自分に埋めてもらおうと考えている。しかしそのために記憶ばかりか、身体にも無理が生じ始めていた。現に今の彼女の身体状況は酷く脆い。常に感情は飽和状態にあり、何もかもが不安定過ぎる。このまま一体、どれほどの期間…あの身体がそれに耐えられるのだろう。

 ……アレスはいたたまれなくなった。
 いっそのこと。
 ヤマトが来たら、反物質制御装置と共に彼女を地球へ行かせてしまおうか。島と共にいられるのであれば…彼女はとりあえず苦しみの一つから解放されるには違いない。…だが、彼女は…地球で本当に幸せになれるのだろうか。島は本当に、彼女を幸せにできるのだろうか?
 ——そう考えると、アレスには答えが出せなかった。
 少なくとも、現在……自分がどうしたいかを選んでいるのはテレサ自身なのだ。
 
 ずっと、ここにいます。あなたのそばに

 彼女は、そう言ったじゃないか。
 アレスは切ない眼差しで、向かいの建物にいるテレサの姿を見つめた。
(私はあなたを、愛している。…もしもあなたが、島と共に地球へ行きたいと望むなら……それも、吝かではないんだ)
 
 あなたを苦しめる何者とでも。
 そう、この星の総統とであろうと……私は闘おう。
 あなたが望むのなら………あなたを失う苦しみとも、闘うつもりだ。
 
 アレスは切ない思いでテレサの姿を見つめ続けた。

 



 



 地球標準時間、26時。
 ポセイドン艦内に残る者、補給用ドック<バスカビル>の仮眠室で手足を伸ばす者……様々な夜が更けて行く。

 灯りを消して、枕を抱え、司は仮眠室のベッドの中で毛布に包まり踞っていた。


 (………「好きだ」……って、言った…よね、艦長)


 実は、はっきり思い出せなかった。
 そのあと、島が躊躇いがちに唇を重ねて来たのも、今となっては夢でも見ていたのじゃないかとさえ思う。指で、そっと自分の唇をなでてみた。自分がこんなに、あの人を好きだったなんて、いまだに信じられない。あたしは「島大介」のファンじゃない、そんなんじゃない…と口癖のように言っていたのは、好きな気持の裏返し…だったんだろうか?
 <きりしま>の名の付いた鋼鈑が脳裏に焼き付いていたが、それを見た時の絶望感や痛みが、島の抱擁と口付けと、その言葉とで確実に和らいでいた。

(お兄ちゃんは……やっぱりもう、いないんだ)
 それはどう考えても、多分……真実なのだろう。
 古代参謀のように、どこかで生きているという希望は、もう…持てないのだろう……、そう思うとまた止めどなく涙が溢れてくる。でも。
『俺が一緒に、お前の哀しみを…背負ってやる』
 艦長は、そう言ってくれた。艦長も、この世で一番愛した人を亡くした。その人が死んだからって、忘れてしまうことなんかできないってこと、艦長は知っている。死んじゃいたいと、何度も思った。艦長も、そうだった、って言ってた……。泣いていいんだ、って言ってくれた。そして一緒に、泣いてくれた……。

 ——艦長がいれば、あたしは…生きていける、心まで死なないで済む……。

「……島艦長……」
 司は枕をぎゅっと抱きしめた。
 艦長が好き。大好き。愛してる。
 夢を見てるみたいだったけど、あれって………本当に起きたことだよね? 
 哀しみと絶望が、薄れて行くのを感じた。
 泣きながら微笑んで、司はころりと横になり、もう一度呟く……
「……島艦長……」
 目を閉じてもう一度。
 島艦長……、大好きです…ありがとう……。

 

 

13)へ          「奇跡」Contents