「……!!」
司は急に強く抱きしめられ、はっと我に返った。「か…艦長!?…なにすん」
背丈の20センチほども高い島が、小柄な司を抱きしめているとどうしても前かがみになる。面食らい突き放そうとしたが、耳元に聞こえる島の息遣いが震え……彼が泣いているのだと思った司はそれを思いとどまった。
「……艦長…?」
「…俺も、この世で一番愛した人を、知らない間に失った」
囁くような声で。苦しそうに…島は言った。
「お前が…どれだけ苦しいか…よくわかる。あれを見た後でも、どこかに生きていると信じたい気持ちもわかる。…わかるんだ……」
「……わかる……?」
司は掠れた声で小さく呟いた。
自分の気持ちなんか、誰にも分からないと思っていた。家族や恋人の、戦死の報告を受ける人間はごまんといる。遺体が戻らないのもごく普通のことだ。肉親が死んだ、そんな出来事はあまりにもありふれていて…、このご時世ではそんなことでいつまでも悲しむのは滑稽だ、とさえ思われているのだ。
島は司の呟きに頷いた。「わかるよ。こんなに辛いなら死んだ方がましだと、俺もずっと思っていた……何を見ても、彼女のことばかり思い出すんだ…。自分が自分の中で…バラバラだった、俺だって……、あの人を…忘れることはできない。遺体さえ…見ていないんだ」
「……彼女」
島艦長のご両親も、健在だときいたことがある。こんな自分の気持ちなどもっとも理解できそうもないタイプの人だと思っていた。幾度もの侵略戦争で、ただの一人も家族が欠けなかったなんて…奇跡的だと羨んだ。
……でも…亡くされたのは、恋人だったんですね……
「…もう、7年も前のことだ。…それでも、ずっと諦めきれなかった。お前なら、…わかるよな」
ヤマトで幾度となく外宇宙への旅に出たとて、あの船が探索したどの宇宙にも、喪ったあの人を見つけることは出来なかった。だが、——それでも。
島の腕をそっと押しやり、司はその顔を見つめた。
「……艦長……」彼女の両目から、ようやくぼろりと涙がこぼれる。
涙を堪えているような島の眼差しが、痛々しい。
「……艦長も、可哀想だったんですね」
「え…」
島は面食らった。そんな風に言われるとは、予想外だったからだ。
「どっちが慰めてるんだか…わからないな」
笑顔とも泣き顔とも付かない妙な表情を浮かべ、司は俯いた。戸惑いと、溢れる想い。堪えていた涙が止めどなくこぼれ落ちた。
そんな司の表情を見ているうちに、思わず心の内が言葉に変わる——
「…俺は…この先永遠に、…死んだ彼女を忘れることは出来ないと思う。…それでも……、俺がお前を好きだと言ったら、信じてくれるか?」
「…?」
一瞬、島が何を言いたいのか、と戸惑う。
好きって、…好き、って。
あたしを、…艦長(あなた)が?
「一人で悲しむのは…辛いだろ?…俺が半分、背負ってやるよ…」
聞いて思わず、口が半開きになる。
「艦長、その台詞…すっごく、クサい…」
しかも、すっごい…失礼…。
苦笑が漏れた。
なんだ…笑うことないじゃないか、と島が照れて言うのに、泣き笑いしながら応え。だって。死んだ女を忘れられないけど、好きだ、なんて…。艦長、自分勝手…。
「…そ、そうか…」——すまん。
ふいに島が困ったような顔をしたので、司は勢いよく首を振る。涙が頬に飛び散った。絶望の縁からぐいと引っぱり戻されたような気がした……「いいえ。…嬉しいです。…艦長……島艦長」
泣いてもいい場所を与えられた彼女は、今度こそ島の胸に突っ伏した。島の艦長服の胸元が、その涙で熱く濡れて行く。
しゃくり上げるその背を、島は優しく包んだ。
そうだ、泣かなくちゃ駄目だ。
思い切り泣いて、涙で洗い流せ…
心の中にぽっかりと口を開ける、暗く凍えた空洞を、俺たちは互いに抱えている。当然自分は司の兄の代わりにはならないだろうし、司もテレサの代わりなどではない。だが俺たちは…支え合って行ける——
涙で濡れた顔を上向かせ、戸惑う瞳を捉えて言い聞かせた。
「花倫……好きだ」
花倫は瞼を閉じた。思いがけない幸せに、背筋が痺れたようになる…「艦長…!」
私も、と応える司の言葉を遮るように、島はその唇を自分のそれで塞いだ。
いつか運命の女(ひと)と交わした淡い口付けは、島の記憶の中でようやく、温かな光の粒子となって天空に消えて行った。
……今は、涙の味のする柔らかなこの唇が、俺にとっての現実…
宇宙に旅するかぎり、テレサの記憶は消えないだろう……だが、司は俺の半身として彼女の記憶を受け容れてくれるに違いない——
しかし、その頃。
島のいない間に、衛星ドック<バスカビル>にデスラーからの通信が入り、古代を名指しで呼び出した。そこで古代は、驚くべき報告をデスラーから受けたのである。
「島くん!お疲れさま」
食堂の間に司を連れてやってきた島を見つけた雪が、彼に声をかけた。
「古代君と真田さんが司令室に招かれて行ったわ。あなたも行ったのかと思ってたのに」
「ああ、雪、お疲れさん。これから行くところだ。……君は行かないのか?」
「『生活班長』は呼ばれてないのよ」肩を竦め、雪は苦笑する。
見れば島は、足元のおぼつかない部下の司を支えるようにしていた。
(……この子ね、噂の航海長って……)
なぜ島が、よろよろしている彼女を抱きかかえるようにしてここへ来たのか、雪にはどうも分からなかった。
「どうしたの…大丈夫?…ええと、…あなたは……司さん、でしたよね?」
「は…はい、航海長の司です」赤みがかった金色の髪を後ろで一つにまとめ、黒いバレッタで止めている小柄な姿は、酷く頼りな気に見える。
雪より背の低い彼女は、敬礼しつつ雪を上目遣いに見上げた。鳶色の瞳の中に、日系人と解る黒目がきらきらと光っている……それはまるで、いましがた涙で洗われたかのようだった。目が赤い。
(この子…泣いてたのかしら?…島くんが泣かした?)やだ。そんなはず、ないわ。何かあったのかしら。
「えっと…もう一人で大丈夫ですから、艦長…」
島は心配そうに司を見下ろした。「…医務室へ行くかい?」
司は笑って首を振る。「大丈夫ですってば。ここでご飯、食べてます。お腹、ぺこぺこだし」
雪は、二人の間にある、独特の温かな空気に気がついた。
(…え…何かしら…?この感じ)
食堂には、点検作業を終えた乗組員が残っており、先に休憩上陸した者は大半がすでに仮眠室へ移動していた。ガミラス兵も地球人も入り交じって互いに物珍しげな視線を送りながら、給仕して回るアンドロイドに思い思いのメニューを注文している。島と司の距離がにわかに近くなったことに気付く者は他にいなかった。
島の態度が、明らかに違う。
司は航海班の部下、のはずだが…、雪の目には、まるで二人が恋人同士のように見えた。
(まさか……ね)
「艦長、行ってください。私は大丈夫ですから」
「…そうか」
司に説得されて、島は彼女に軽く手を振ると、食堂から出て行こうとした。雪は食べかけていた食事のトレイを置いたまま、慌てて席を立つとその後を追った。
「ねえ待って…!島くん、…彼女、どうしたの?」
追いついて来た雪に、島は素っ気なく言った。「……うん…艦載機戦がまだ堪えてるんだろ」
「具合が悪いなら、あなたが介抱する必要はないじゃないの?」
…ヴァンダール将軍の招きをおろそかにしてまで。
食堂から司令室へ向う通路に入る。足早に歩く島に着いて行きながら、雪はそう問いかけた。
「ああ、まあそうだけど」島はぶっきらぼうに相槌を打った。そんなこと聞かれたくない、といった風情では、ある。
雪は島と並んで歩きながら、その横顔を盗み見た。
「……ねえ、あたしの勘違いなら笑い飛ばしてくれていいんだけど…」
「なに?」
立ち止まって尋ねた島に、雪はストレートに訊き返す。
「島くん、あの子のこと…好きなんじゃない?」
「なっ…何を急に」
島が慌てて急に顔色を変えたのを、雪が見逃すはずが無かった。
「ほーら!あたしを誤摩化そうったって、そうはいかないわよ……。ねえ、からかったりしないわ。そうだとしたら、素晴らしいことじゃない」
「……君にはかなわないな」参ったな、と頭を掻く。
「白状しなさい!」
「まったく、もう…」
そこで島は、司の身の上、そして次元断層での出来事、<きりしま>の残骸をたった今見て来たから、彼女がまだ心配なのだということを、雪にかいつまんで話した。自分と彼女は、同じように大事な人をなくし、心の同じ場所に空洞を持っている……司となら、それを互いに埋め合うことができるのではないか、と思ったのだ、とも。
「…慰めようと思ったのに、逆に慰められたよ。7年前に恋人が死んだって、そう打ち明けたら」
「……話したの?!」——テレサのことを?!
驚いた雪に、軽く首を振る。「いや。…詳しくは話していない。「彼女」のことは、まがりなりにも機密だからな。…でも、そのうち…ちゃんと話すつもりだ」
「……本気?」
覗き込むように見上げる雪から目を逸らし、島はさらに頬を赤くしてそっぽを向いた。「君にウソついてどうなるんだ?」
これまでも、島が何人もの女性と付き合っていたことを、雪もよく知っている。ただでさえ、「ヤマト航海長・島大介」に憧れ、積極的なアプロ—チをしかける女性隊員は少なくなかったし、島もそれを疎ましくは思っていないようだった。雪が把握しているだけでも、その数は片手の指では到底足りない。航法科の後輩はもとより、島が客員教授を務める防衛大の学生やら火星基地PXの店員、防衛軍本部の雪の同僚……。ただ、相手の女性が舞い上がっているのに対して島は毎度妙に冷静で、こんな風に彼が顔を赤らめたりするのを見たのは初めてだった。
「それとさ」島は照れくさそうに続けた。「なにより、俺は…あいつの操舵士としての素質に惚れてるんだよ。太田がいないあの船でも、俺は不安になったことがない。……戦友としても、尊敬できる相手だと思っているんだ」
操舵と航法の高度な作業の中で信頼できる司は、島にとって別の意味でも必要な存在だった。彼女になら、任せられる。このままずっと、宇宙と地球を行き来する生活を送るのであれば……。あいつなしの自分はもしかしたら考えられないのかもしれない、とまで思うんだ……と、島はそう打ち明けた。その笑顔には曇りがなく、今まで雪が見た彼のどんな笑顔よりも清々しかった。
「…ふうん…」雪は思案顔で島をじっと見つめた。そして…にっこり笑う。「……よかったわね、島くん。…テレサもきっと、喜ぶと思うわ」
島は雪のその言葉に、一瞬何かを躊躇ったが、深く……頷いた。
「……ん。そうかもな。…ありがとう、雪。ただ、まだ内緒にしといてくれよ?」
「古代くんにも?」
島は「処置なし」と言うように、肩をすくめた。「…駄目だと言ってもいつの間にか伝わっていそうだな」
朗らかに笑い、手を振った島を、雪は嬉しそうに見送った。
(これは…今度こそ本物かも。……あたしがテレサだったら、島くんが幸せでいることが一番、嬉しいもの……)
雪は、幸せをお裾分けしてもらったような気分になって、軽い足取りで食堂の間に戻った。司さんと、ちょっと話でもしようかな。どんな子なのか、あたしが全然知らないのもなんだものね……
食堂の間に戻り、司が座っていたあたりを見渡した。だが、「お腹ぺこぺこ」と言っていた司は、どこにも見当たらなかった。
(…食べ物を持って、仮眠室へ行ったのかもね…。まあ、いいわ)
航海の先は長い。彼女と自分が親密になる時間は、これからまだ幾らでもある。
(もしも彼女と島くんが結婚したら、私たちともお友だちになる訳だし、……色々楽しみが増えそうね♪)
雪は、日本人離れした顔の、小柄な金髪の少女を思い出しながら、浮き浮きした気分でテーブルの間を動くアンドロイドから飲み物のカップをひとつ受け取って、置いたままのトレイのある席へ戻った。
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