よく磨かれた白い大理石の床の上を、軽い移動音を立ててアンドロイドたちが動き回る。この邸の主人、アレス・ウォードが勤務から戻る時には、彼らはバルコニーに設けられたエア・カーの発着所に集まり、主を迎える。医療用のアンドロイドは、真っ先に彼にテレサの一日の身体状況をデータとして渡すようプログラミングされていた。
しかしその午後は、アレスはナースアンドロイドの差し出したディスク状のデータを無造作に受け取るなり、それに一瞥もくれず上着の内ポケットに突っ込んだ。足早に屋内へ入る。アレスは、日中、自分の研究室に連絡して来たテレサの声音が強張っているのを察し、焦りを感じていた。
「…聞きたいことが…あります…」
モニタの中の彼女は、たった一言だけそう言うと、それきり俯いて黙ってしまったのだ。
「……分かった。作業が一段落したら…すぐに戻る」アレスは短くそう返し、午後の勤務を辞して来たのだった。
アレスが彼女の部屋へ入ると、テレサは窓辺のテーブルの上に水差しとグラスを2つ用意して、彼を待っていた。ガルマン・ガミラスの午後は長い…2つある小さな太陽は順に昇り、順に沈む。暖かな陽光が窓から柔らかく差し込み、テレサの姿を優しく縁取っていた。
「…お帰りなさい。…お疲れでしょう」
アレスは戸惑う。……怒っているのでは…ないのか? テレサが無言で水差しからグラスに飲み物を注ぐのを、彼は黙って見つめた。
「……ごめんなさい。呼び出したりして」
お仕事の最中だったのでしょう?
…急いでは…いなかったのですけれど…。
そう言いながら、彼女は水差しをそっとテーブルへ置いた。
「……ヤマトは今、この星へ…向かっている…と、デスラーから聞きました。…それは、本当なのですか…?」
アレスはテレサの傍へは行かず、部屋の中央に置かれたソファに腰かけた。その問いに、答える術が見つからない。
盆に載せたグラスを差し出しても、アレスが受け取ろうとしないので、テレサはそれをソファの前に置かれたテーブルに乗せ、自分のために一つを取って、彼の隣に腰かける。
「……ここから地球へは、82万光年ある、だから地球へは行けない…。先生は、そう仰いましたね。でも……」
「…怒っているんだね」
テレサは膝に置いたグラスに目を落した。
「………いいえ」
その言葉に、アレスはテレサを見た。テレサは少し俯いていて、その横顔からは何も読み取れない。グラスを持つ白い指も、震えているわけではなかった。
「あなたが…何も教えてくださらなかった理由は、…わかります…」
初めて…テレサの声が震えた。
ずっと、傍にいて欲しい。それは、ずっと想い続けてきたあの人を、忘れて欲しいということだったのですね。だから……この星へヤマトが来ることを、私に教えることが“できなかった”。
アレスはいたたまれず、ソファから立ち上がった。
「…アレス」
テレサが、そう彼を呼んだ。「…待って。話を…聞いて」
「どうして?…私は言ったはずだ。すまなかった、…と」
なぜ今さら、私を名前で呼ぶ?…罪滅ぼしのつもりなのか…?アレスはテレサの顔を見られないでいた。
テレサは手に持っていたグラスをテーブルの上の盆に戻した。その手を、傍らに立つウォードの手に伸ばし、そっと握る。
「……テレサ」
「謝らなくてはならないのは、私なの」
振り向くと、テレサはアレスの手を握り、懇願するように彼を見上げていた。
「私の中に、今でも……どうしても忘れられない人がいます」
「分かっている、…だから」
「違うの」
何が違うんだ?…もう、よそう、とアレスが言いかけた時。
「忘れられなくても…それでも、赦してください。私…」テレサは急に立ち上がり、アレスに抱き縋った…「……ずっと……あなたのそばに…いますから」
あなたのそばに、…いますから。
彼を忘れられないことを……赦してくれますか…?
耳を疑った。
何を言ってるんだ。
彼女に目を合わせることなく、アレスは窓の外に目をやった。庭園には、月の光に反射してやわらかな光を放つ夜光性植物が植えられている。陽の高い今は、それらはただの灌木の茂みに過ぎないが、夜には美しいイルミネーションとして目を楽しませてくれる。この灌木は、総統府の庭園からテレサのために特別に譲り受けたものだった。
自分の他には誰もいないこの邸の庭に植樹をしようと思ったのは…ほかでもない、彼女をここへ迎え入れるためだった。自分独りなら、家などどれだけ殺風景でもアレスはかまわなかった。だが、庭木の他に邸内の装飾や什器なども、彼女のためにアレスは特別にあつらえた…独りで過ごすテレサが寂しくないよう、くつろぐことができるようにと。
ヤマトの到来とともに、彼女はいなくなる。自分一人だった時には感じることもなかった孤独を、アレスはすでに予感していた。彼女の居た証が残るこの空間を、一体どうしたらいいのだろう…?そんなことまで、考えていたのだ。
……だが、……彼女は今、…何と言った?
アレスは視線を戻し…自分に縋り付いているテレサを見つめた。
「…ヤマトは…親衛艦隊と一緒に…次元断層に入り、地球時間で3日後、ガルマン時間では2日と2時間後にはここへ…到着する。おそらくあなたの愛する人も共に」
「彼が…ここへ来ても」テレサは呟くように言った。「私は…どこへも…行きません」
アレスは改めてテレサの肩を掴み、険しい表情でその顔を覗き込んだ。
何を馬鹿な。自分が何を言っているのか、分かっているのか…?
「テレサ」
彼女の言葉を否定するような文句が、次々と思い浮かんだ。だが、…それらはすべて…言葉にする前に雲散霧消してしまった。「…テレサ」
アレスは彼女の折れそうな身体を胸にしっかりと抱きしめた。
(あなたが、「島」を忘れることができなくても、私は…それでもかまわない。…なぜなら、今までもずっと…そうだったからだ)
「……ここに…いてくれる、と言った…?」
「…はい」
まっすぐ自分を見つめ、そう言ったテレサの頬には笑みが浮かんでいた。おもむろにアレスの胸にもう一度そっと頬を寄せる…
…私は、地球へは…行けない。
どれだけ島さんを愛していても、私は彼の星で生きる資格がない。
——だから…これでいい。
アレスの抱擁に首筋が瘧のように痺れて来る。それは恋でもなく拒絶でもなかった。今は辛くても、いつか…これで良かったと思える日が、かならず…来る。
「…アレス」
テレサは呟いた。…島さん、と言う代わりに…。
はるばる銀河系まで地球艦隊を出迎えに来た親衛隊隊長ヴァンダールは、デスラーの懐刀とも言うべき忠実かつ勇猛な男だった。ガルマン星人の父母を持つ彼は、ヤマトに対してまったく腹蔵がない。10年前のガミラス本星攻撃の際辛くも生き延びた一部の本土住民のように、デスラーの気まぐれとも言うべきヤマト贔屓を理解できない国民も未だ存在する一方、ヴァンダールのようなガルマン星出身者は、ヤマトに対して特段苦々しい思いを持たない者が多かった。
「…それで、デスラーは無事なのか、ヴァンダール提督?」古代はメインパネルいっぱいに映し出された青銅色の肌の、その鋭い目つきの男に話しかけた。
<総統はご無事だ。ガルマン本星の防衛網はまだ正常に機能しているので、総統府及び主要な都市や宇宙港は安全である。ただ、例のボラー艦隊はまこと神出鬼没というべきか…通常移動不可能な距離をまったく予想外に移動するので、厳戒体制を解けない状態なのだ>
メインパネルの中のヴァンダールは、苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。
「……ヴァンダール提督。通常移動不可能な距離とは…どのくらいをいうのでしょうか?」真田が興味を引かれてそう尋ねる。
<フム、例えば……。あなた方は、地球からこの銀河系辺境までどのくらいの時間で移動できるものなのかね>
「……どんなに急いでも、5日から10日間は…」5日と10日ではえらい違いだが、真田は地球とガミラスの艦艇の機動力の差を考慮して、やや曖昧に答えた。もちろん、太陽系内には障害物となる惑星が多数点在する。一直線にしか進めないワープは、障害物があれば幾度かに分けて行わなければならない。そういった意味で、太陽系内においてワープで移動できる距離は限られているのだ。当然、惑星の位置など条件次第で所要時間も変化して来る。
<我々も似たようなものだ。だが、彼らは、80万光年を一瞬で飛び越える。障害物があろうがなかろうが無関係なのだ>
「な…何だって!?」古代も真田も、もちろん同時に通信を交わしている島らポセイドンのクルーたちも、皆が一様に仰天して声を漏らした。
<彼らの移動手段はワープではない。我が軍の瞬間物質移送システムにも似ているが、そうであれば次元レーダーには必ず反応がある。しかし、それがないことを思えば、あれは…むしろテレポーテーション、に近いと私は考える。しかし、あの規模の艦艇を移動させるテレポーテーションなど……荒唐無稽と言わざるをえん>
テレポーテーション、と聞いて、島だけでなく他の旧ヤマト乗組員はあることを思い出したが、もちろんそれは誰も口に出さなかった。
<当初、奴らが余りにもかけ離れた場所に現れるために、敵の総数を確定することが出来なかった。まさか50万光年離れた場所に、数時間で同じ艦隊が出現するとは誰も思うまい。兵たちがボラーの亡霊に恐れを為したのも致し方なかったのだ。だが、奴らは事実、何万光年であろうが移動する。……たった数隻の敵艦に、ここまで我が帝国圏が脅かされるとは…。我らにとって、尋常でない状況なのが、お分かり頂けるか>ヴァンダールは厳しい表情でそう続けた。
古代たちヤマトの旧乗組員は、たった1隻でガミラス本星を破滅に追い込んだ過去を持つ…たった数隻の艦艇で、大国を打ち破ることが不可能ではないことを先に証明したのは自分たちだ。だが、それが彼らにとっていかほどの屈辱であったのか。同胞として攻撃を受ける側に立って見ると、その無念さや口惜しさが嫌というほど伝わってくる。かなり複雑な気持ちで、古代はヴァンダールの報告を聞き続けた。それは、真田も島も、同様であった。
ともあれ、異様なのはボラー艦艇の移動方法である。
明らかにそれは、通常のワープではない。何を動力源にした、どのような理論によるものなのか——
「しかし、先ほど見たボラー艦のフォルムから察すると、5年前のものとさほど変わらない構造のように思えたのですが……」真田が考え込む。
<そうだ。艦艇そのものには、さしたる改造は行われていない…それは、我が軍が何度も検証している。わからないのは、一体何を動力源にして空間転移しているのかということだ>
ヴァンダールは悔しそうに鼻を鳴らしたが、目下の最優先事項を思い出したのか、小さな溜め息とともに話題を変えた。
<ともあれ、奴らがまた雲隠れしてしまった以上、私も与えられた任務を遂行するまでだ。現在、私の部下たちが次元断層内を再度探査哨戒している。マゼラン星雲圏までの回廊に異常がなければ、早速出発しようと思う。……島艦隊司令、状況はどうかね>ヴァンダールはポセイドンにつながるモニタに呼びかけた。艦隊司令の島が、先ほどの戦闘で分離した艦艇を動かすはずの航海士が負傷したと言っていたので、状況を聞くためだった。
<提督、負傷した操縦士については、心配ありません。格艦艇を点検後、すぐに出発できます>
<承知した>
島の言葉に、ヴァンダールは軽く手を上げて頷いた。
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