奇跡  恋情(23)




 次元断層内部は、不思議な色の、そそり立つ絶壁に両側を挟まれた、底なしの谷…のようだった。絶壁は微妙に光を発していて、例えるなら北極のオーロラのような色彩だ。明らかに異常な結界に包まれたその内部は、見つめているとついその中へ手を伸ばしたくなって来る。


<…両側の壁に接触するなよ。引き込まれるからな>
 古代が念を押すようにそう言った。おそらく実際は、引き込まれる、というより接触した瞬間に計器異常が起き、下手すれば爆発を起こすだろう。

<……司、レーダーに何か反応はないか>
<…今の所、何もありません>
 海峡の広がりは、出入り口付近が最も狭くなっており、内部は次第に「上下」が広くなって行く。古代の問いかけに、司はレーダーの発信電波の角度を次々と変えながら答えた。
<この幅と深さがあれば、ヤマトは航行可能だな>
<……ポセイドンも分離すればおそらく可能ですね>
 神崎が走査線画像を確認しながら言った。ヤマト程度の大きさの艦艇なら航行可能ということは、…<きりしま>などの駆逐艦も、充分通れるはずだ。司は唇を噛み締めながら、バイザー越しに海峡の伸びる先を凝視した。


(………?)
 一瞬だったが、前方の、海峡の先が見通せなくなるあたりに何か光るものを見たように思い、司は前席の神崎に話しかける。
「…神崎君、今何か前に見えなかった?」
「……え?何か、って…」神崎は何も気付かなかったようだ。
 レーダーにも何も反応はない。古代も坂本も何も言って来ないのだから、やはり自分の見間違いなのもしれない。そう思った瞬間、また前方の光の壁に何か違和感を覚え、司は通信機に向かって声を張り上げた。

<古代艦長……前方、海峡の曲がり角あたりに何かいます>
<何かって、…なんだ?>
<…赤外線、次元、タイムレーダーすべて何も反応はありませんが…前方、かなり広い範囲で…空間に…違和感があります……>
<なんだ、違和感て>
 古代が言いかけたのを、坂本が遮った。<古代艦長、司の勘は当りますからね。司、退避した方がいいかそれとも…?>
<なんだ、女の勘、ってやつか?>
<いや、そんなんじゃなくて…>
 坂本らしくない台詞を聞いて、古代が何か言おうとしたとたん、全員が前方に下から上へ向かって銀色の光が走るのを見た——

<…左へ回避をっ……!>
<うわああああっ!?>
 司の叫び声とほぼ同時に聞こえた悲鳴は神崎の声だった。距離にして数メートルの眼前に、巨大な船の腹が出現したのだ。古代機と坂本機は辛うじて機体をひねり、それをよけたが、神崎と司のタイガーは煽られてバランスを失い、絶壁と謎の船の隙間に滑り落ちて行った。

<司っ、神崎ーーっ!!>
 古代の声が無線の中で甲高くハウリングしながら消えた。

 機体はキリモミ状態にあった——赤ランプのオンパレ—ド、うるさいくらいのアラート音!当然、視界にはバーティゴ(空間識失調)を解消する景色は入らない。司は素早く自らの身体チェックをし、無傷であることをまず確認した。姿勢制御スイッチに手を伸ばす。
「…くっ」——スイッチ
に、手が届かない。前席でも神崎が同様の操作をしているはずだが、横滑りが止まらないということは……神崎君に何かあった?!
「護衛班長!神崎君っ!!?」神崎の返事はない。目まぐるしく回る視界を気力でねじ伏せ、司はやっとのことでパニックボタンを押した。数秒で姿勢制御ノズルが復活する。

 ——助かった……

 操縦桿のコントロールハブを後席にチェンジし、機体のバランスを立て直す。続く2秒でタイガーの損傷箇所を確認する。視界の隅に前席キャノピーに亀裂が入っていることを告げる赤ランプ。手の甲でインパネルの補修コマンドスイッチを叩くと、スプレー状の補修剤が即時にキャノピーの内側から吹き付けられ、小さな亀裂は塞がった。

<——神崎っ、司っ。応答しろ!!>
 古代機からの呼び掛けが入った……良かった、通信機は壊れていない。
<……司です!怪我はありません!ですが、前席キャノピーに傷が入って、神崎班長が負傷したようです……>
 素早く3台のレーダーをチェックするが、次元レーダーにもタイムレーダーにももちろん赤外線レーダーにも何の反応もなかった。


(なんなの、一体あれは……)
 上下の感覚が次第に薄れつつある。三半規管はいまだにバーティゴ状態のままらしい。あろうことか水平ジャイロの針も、不安定にフラフラ揺れたままだ。だが自分たちは確かに上方から「あれ」に煽られて「下」へ落ちた。しかし…「あれ」は明らかに、次元断層の出入り口へと向かっている…

<古代艦長、戻ってください!「あれ」より先に、出入り口へ戻って迎撃用意を!!>
<………!!わかった>

 司が何を言わんとしているのか、古代は瞬時に悟ったようだった。 正体の分からない何かが、次元断層から出て来ようとしている。地球やガミラス、その他の宇宙国家にも共通だったレーダーから身を隠した何者かが、艦隊の待機している所へ不意に出現しようとしているのだ。
<艦長、司を待たないんですかっ>坂本の怒号が聞こえる。先輩、案外いいとこあるじゃん……司はにやっとした。
<かまいません!!次元の壁以外何も見えませんが、手探りで戻ります!それより早く、外へ!!>
<よし、無茶するなよ!行くぞ、坂本>
 それを最後に、古代たちとの通信は途絶えた。



 コンソールパネルの一つに、自分と神崎とのバイタルコントロール画面がある。見れば神崎の頭部からの出血は止まり、体温・心拍・呼吸数ともに安定しつつあった。TPR値がグリーンのシグナルを点灯したことを確認すると、司は前席シートとキャノピーの隙間から手を伸ばして、前席のシートベルトに装着されたエアバッグを半開にし、神崎の首をしっかり固定する。

(…温かい…。神崎くん、もうちょっと頑張って)
 ジェットスーツ越しに伝わる神崎の体温。触れた肩がゆっくりと上下に動く…神崎は意識こそないようだったが安定した呼吸を繰り返していた。


 機体のバランスを立て直した司は、次元レーダーの走査線画像を頼りにホバリング状態から「上方」へ向けて移動を開始した。いったいどれだけの距離を滑り落ちたのだろう?大体、この海峡には「底」はあるのだろうか、それとも「底」などなくて「下方」にも通路が延びているのだろうか……。重力制御のないコスモタイガーの機内では水平ジャイロだけが頼りだというのに、肝心のコンパスは狂ったままだ。海峡の幅だけが、走査線画像にうねうねとデジタルな三次元曲線を描いて記録されている…現時点では、それだけが飛行可能な空間を知るための唯一の手段だ。暗闇での計器飛行とも違い、周囲は昼間のような明度を保っており、赤や緑や青といった光の三原色のいわばオーロラ様の光の渦が近くに遠くに見えていた。神崎の怪我の程度が分からないので、あまり揺れの激しい操縦はできないな、と司が思った途端。

(………!!)

 赤外線レーダーに、「あれ」のエンジン噴射口だろうか、突如熱源反応が現れた。その途端、水平ジャイロの針がぴたりと制止し、機能が回復する。コスモレーダーや次元レーダーには依然、反応はない…
「うわ」
 水平軸が左に40度ほど傾いている。すでに自分も、上下の感覚を喪っていたのだ。その熱源反応が見つからなかったら、このまま切り立った絶壁を上下に見たて、「上」か「下」へどんどん進んで行ってしまっていたかもしれなかった。司は慌てて、ジャイロの針に従い機体を水平に戻す。

 熱源反応の規模は艦載機より数十倍大きく、その形は複雑……強いて言うなら十字型である。十文字型の巨大なエンジンノズルを持つ艦艇は、司が知る限り友好宇宙国家のものでは見たことがなかった。肉眼では次元の壁のオーロラの渦以外何も見えないが、明らかにすぐ前方に、大型の艦船が航行しているのだ。こちらに気付いているのかいないのか、謎の艦艇はゆっくりと断層の出入り口の方向へ進んで行く。
 赤外線レーダーに反応する十文字型の熱源を見ていた司は、その十文字が次第に複数に別れて行くのを目にし、凍り付いた。

(あ……ああ!!複数だわ!それも…大きいのが…5隻はいる!艦隊だ…!)


 何も知らずに断層入口付近で待っている船を奇襲しようとするのなら、この場所は絶好の隠れ家だ。
(ただの、通過するだけが目的の、未知の友好国家であれば……)
 祈るような思いでそう願った。古代艦長たちがいち早く断層から脱出して、艦隊に急を知らせてくれていればいいが……!
 あと残る方法はただ一つ、万が一「あれ」が艦隊に向けて攻撃を始めたら、次元断層を出た時、私が「あれ」をすぐ後ろから攻撃することだ。「あれ」が敵性宇宙国家の艦隊であれば、戦闘は避けられない……だが、こちらはたった一機、しかも本隊は何の警戒もしていない……
「島艦長!!」
 聞こえないことは分かっていても、司は無線に島の名を叫ばずにいられなかった。


 タイガーのスピードでは、謎の艦隊に近づきすぎてしまうと判断し、司は、メインエンジンをカットした。惰性で熱源に接近し、コバンザメのように後方のジェットストリームに入れば一定距離を保ったまま付いて行ける……あっちは、こちらに気付いているのだろうか?何も分からないまま、赤外線レーダーにしか映っていない、見えない相手をじっと睨みつけた。



 …と、ふいに十文字型の熱源が弱くなった。錯覚かと思い、司は目を瞬いた。
「えっ……やだっ…」
 突如タイガーの周囲が急にまっ白になる。キャノピーの外に、小さくて細かい雷のような無数の光が走り抜け…、そして次元の壁のオーロラがまるで急激に飛び去るかのように、後方へ消えて行った。
「…な…なに…??!!」


 気が付いた時には、周囲は真っ暗だった。——いや…、コスモタイガーが通常宇宙空間に戻っていたのだ……

 そして、眼前にはそびえ立つような赤黒い巨大戦艦の後部噴射ノズルが5つ、並んでいた……。


 

 

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