奇跡  恋情(19)




 見ると、司令室の床にはレオンが持って来たのか、ガラス細工の美しい花束が散らばっている。ただしそれは、今や花束ではなくただのガラスの破片に成り下がってしまってはいたが。
「レオン中将、これは」

 ルトゥーは床と、お手上げ状態になっているレオンを見比べて溜め息をついた。「なんですか…こんなもので陛下をお慰めしようとしたとか…?」
「うーむ」レオンは頭を掻きながら、しゃがみ込んで床に散らばった破片を集めようとしていた。「……少しは気持ちが和らぐと思ったのじゃが」

 ルトゥーは苦笑した。こんなものでは陛下はもはや慰められん。レオンめ、老いぼれたな……



 司令室の奥のスツールに腰掛けていた小さな人影がクックックと含み笑いをした。その男は白いフードつきのマントを頭から被っており、その顔はフードに隠れてほとんど見えない。フードの下から、しゃがれ声が言った。

「…中将、今の陛下は以前のアロイス様ではない。銃と生きた標的をご用意するくらいでなくては陛下のお慰みにはならんのじゃないかね」
「ハガール…、そんな乱暴な……。わしは、アロイス様がだんだん荒んで行くのが哀しゅうてな。あんな、血に飢えた野獣のような目をした陛下を見るのは、もうたくさんじゃ」
「それなら、中将がこの膠着した状況をとっとと打破して差し上げるのですな」ハガールは、フードの奥から冷笑的な目を覗かせてまた含み笑いをした。
「それが出来んからこうして美しいものでも、と思ったんじゃ。…まったく、あんたは相変わらず血生臭いものが好きじゃな…」



 アロイスが幼い頃からそばにいたレオンには、血走った目をして怒鳴り散らすアロイスが不憫で仕方なかった。彼女の教育係だったレオンは、軍隊のような体力プログラムを組んで与える傍ら、美しいものを愛でる気持ちも失わないようにして来たつもりである。だが、今のこの状況ではアロイスが荒れるのも致し方ない。自分が冷静さを欠いてはどうにもならないので、仕方なくレオンは長い溜め息をつき、破片を集め続けた。

 一方、ハガールはそんなことには一向におかまい無しだった。露骨にそれを態度に出すことはしないが、彼にとって、アロイスはただの落ちぶれた敗残の将にすぎない。彼がこの船に居るのは一重に、彼自身の肉体が脆弱であり自身では移動手段を持たないからであった。当然、戦闘にも彼は加わらず、常にこの司令艦橋で傍観者のように座しているだけだ。

 ルトゥーは片付けをレオンに任せ、アロイスを追って司令室の外へ出た。次元コンパスのそばでは、アロイスが仁王立ちになり、アンドロイドたちが観測しつつ船を進めて行く様をじっと睨みつけていた。


「アロイス陛下」
 呼びかけても、彼女はコンパスを睨みつけたまま微動だにしない。その横顔はやつれたとは言え、いまだ輝くアテナ(闘争神)のようだ。ボラー星人には珍しい、象牙色の肌に燃えるような赤い瞳。腰まで届く豊かなブルネット…時に光線の具合で深紅にも見えるその巻き毛は無造作に一つに束ねられている。その美しい髪には未だ、宮廷脱出の際の炎に焦がされたままの、傷んだ部分が残っていた。


「……ルトゥー。地球の船が…海峡出口にいるぞ」
 コンパスの観測を待たずに、唐突にアロイスがそう言った。
「は?」
「地球の船が来ている。…ご丁寧に、ガミラスへの信号を送っているぞ。…攻撃用意だ。掃討する」
 アロイスはルトゥーの方を見もせずに呟いた。赤い目が、にやりと笑ったような気がした。
「……は…ははっ」
 ルトゥーは即座に司令室に駆け戻った。アロイスには、僅かながら予知能力のようなものがある。海峡の出口は太陽系の端にあるが、そこまではまだ数時間かかるはずだ。だが、<デルマ・ゾラ>の作動準備にかかる時間を考えればすでに行動を起こしても早すぎることはない。



 司令室ではまだレオンがガラスの欠片を集めていた。
「レオン中将!<デルマ・ゾラ>の作動準備を」
「……なんじゃと」
「陛下の命令だ。ツカサを起こせ」
「……無茶だ。前回のダメージからまだ回復していない」
「……レオン」
 ルトゥーは押し殺した声で凄んだ。「…ガルマンが地球へ援軍を頼んだ…、それはお主も知っていよう。地球人の先鋒がガルマンと合流する前に、ここで叩くのだ。ツカサのことなど、考えている場合か」
 ルトゥーはレオンが、地球人に対する攻撃にツカサを使いたくないとぼやいていたことを忘れてはいなかった。だが虜囚への感傷などもってのほかだ。ツカサはあくまでも生きた動力源であり、その感情など慮ってやる必要はない。何度も言うように、陛下の命や悲願と、虜のそれとは天と地ほども格が違うのだ。

「では私がやろう」ハガールがゆらりと立ち上がった。「腰抜けの中将殿にはご無理と見えるからな」
「よせ……、まだ無理だ、ハガール、よしてくれ!!」
 レオンは狼狽えつつ、ハガールに懇願した。ルトゥーは、ハガールを追って飛び出そうとするレオンを乱暴に押しとどめる。「レオン、何度も言わせるな!陛下の命令は絶対だ!」
 言い捨ててレオンをその場に突き放すと、ルトゥーも捕虜の拘束してある牢へ向かうハガールを追った。



 ツカサの疲労は極限に達していた……、もう3日以上流動食も受け付けない。ハガールは1日置きに得体の知れないカンフル剤のようなものを彼の身体に打っていたが、点滴で命を繋いでいるような瀕死の病人に、精神攻撃を続けるだけの気力があるとは思えなかった。無理をさせれば本当に、命が危ういだろう。レオンは再三、ルトゥーの背中に懇願する。
「ルトゥー、陛下もお前も、本当に祖国再建を願うのなら今は堪えるべきだ!!ツカサを失ったら、<デルマ・ゾラ>は2度と動かんだろう!!ハガール!思いとどまってくれ…」

 追いすがって来るレオンを振り返るようにして、ハガールがしゃがれ声でゆっくりと言った。
「では、……ツカサに、地球の船がそばにいることを教えよう」
「何じゃと」
 白いフードの下の皺だらけの唇が、愉快そうに歪んだ。
「…死にそうな病人だろうが、それを教えれば多少でも気力が回復しよう。…あの虜は、まことに素晴らしい身体機能を持っている。ずばぬけた生命力だ…それに加えてGKアンプルの効果が予想以上に続いていると見える」
「ハガール!!」
 そんな残酷なことを、レオンは認める気にはなれなかった。確かにハガールの言うように、地球の船がそばに来ていることを教えればツカサの精神は持ち直すかもしれない……だが、持ち直した所で何をさせるかと言えば、その祖国の船への攻撃である……。



 いくら我々が祖国再建の悲願を達成するために万難を排する思いで居たとて。
 あの、ツカサのあっぱれなまでの、故国を思う気持ち——、それを。
 陛下は、ハガールは、なぜわからないのか!?
 あの、高尚なまでの…美しいまでの、故郷を思うツカサの気持ちが……!?


(ツカサを生物学的動力源としてのみ見ているハガールには、レオンの心情はわかるまい……)ルトゥーは二人の間に立ってそう考えた。ハガールの残忍さは理解しかねることもあったが、状況を考えればその判断も致し方ないものだ。無論、レオンの気持ちも大方のところ理解できる。が、自分も幾度もレオンに言ったように、今最優先で考えるべきは捕虜の命ではなくアロイス陛下、そして我々全員の悲願達成なのだ。

 立ち尽くすレオンを尻目に、<デルマ・ゾラ>の航法装置にツカサを繋ぐためハガールとルトゥーは牢に向かった。レオンはうち震える両の拳を隠しもせず、ある決意をして再びその後を追った。

 

 

 

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