奇跡  恋情(18)




 不気味に膨張する異次元空間に挟まれた、不思議な細い海峡を、5隻の戦艦がゆっくり航行していた。
 先頭は小型の駆逐艦、2隻目に空母タイプの司令船と思しき大型艦……ミサイル艦と駆逐艦2隻がその後に続いている。海峡は所々狭まったり広がったりしているが、流動的に両側の次元の壁が移動しており、接触しないように前進するため艦隊は速度を落とさざるを得ないのだった。


 司令船の舵を取っているのはエッター博士の造った精巧なアンドロイド兵である。とはいえ、所詮は機械……その性能の良さを認めながらも全幅の信頼を置くほどではない、とばかりにルトゥーがその傍らでじっとその操舵を見守っていた。

 ルトゥーは、故ベムラーゼ首相の後を継いだ末娘アロイスの、宰相・将軍ゼルデンの息子だった。彼はアロイスの幼なじみでもあり、またボラー連邦宇宙軍の最高戦略指揮官の一人でもある。
 ルトゥーはまた、ガルマン・ガミラスによる本星侵攻の際に、首相の娘の警護を最後に任された武官であった。燃え落ちる宮廷から、最後まで踏みとどまって戦うと言って聞かなかったアロイスを半ば強引に連れ出し、辛くも逃げおおせたのは彼の功績であるが、その時のことが原因で、現在もアロイスはルトゥーと口を利こうともしない。



 ボラー王家の王また首相であったベムラーゼには、娘が3人いた。だが、姉娘たちはアロイスとは違って武術を嗜むことはせず、父親も娘婿に後を継がせるつもりでいたようだった。だが、姉たちと十以上も年の離れた3番目の娘アロイスは、武術だけではなく政治や経済についても幼い時から並外れた興味を持ち、実際に国是や軍備にすら意見するほどの才幹を表すようになったのだ。
 艦橋で作戦指揮を執るルトゥーと共に、黒いアイパッチで顔の反面を覆った白髪の老戦士レオンがアロイスの傍に控えている。彼もアロイスを幼い頃から知る側近の一人であった。



                 *

 



 老獪な戦士、中将レオンはしばしば思い出す。

 それはもう9年も前のことである……まだベムラーゼ首相閣下が健在であった時分に、幼いアロイス姫と共に過ごした平和な時を——。



 明るい宮廷の中庭の東屋で、算術の宿題をしながら。その年9つになる第三皇女アロイスは傍に控える教育係のレオン中将に耳打ちした。

「父上は、そのうち犬死にするぞ」
「…!滅多なことをおっしゃいますな、姫様」驚き慌てふためいたレオンは、そうアロイスをたしなめた…「姫様はお父上がお嫌いなのですか?」
 だが、アロイスは至極真面目な顔をしてレオンに言い返した。
「そんなわけなかろう。私は父上をお慕いしているからこそ、心配しているのだ」
父親そっくりの深紅の瞳をくるりと回し、アロイスは肩をすぼめる。

「結局、父上はシャルバートの王女を流刑にしたのだろう?…私ならこの本星に止め置いて手駒にするぞ。囚人を辺境に流すのもいい加減にした方が良い。…必ず反感を買うのだ、力では人をいつまでもねじ伏せることは出来ん」
 レオンは目を瞬いた。10にも満たない娘の意見など、尊大な首相ベムラーゼが聞き入れるはずなどない…だが、レオンにはアロイスの意見が至極まっとうなものに聞こえたのだ。
「恐怖は伝染する。父上はそれを利用し兵や民をコントロ—ルすれば良いと考えておられるが、それは間違いだ。お前とてそう思うだろう…レオン?」
 不安そうにアロイスはそう問い掛けた。父の失策に伴う危険を、この幼い姫君は酷く心配している…。その肩に揺れるブルネットの巻き毛が、彼女をひどく大人びて見せた。
「絶望と恐怖の底から人民を這い上がらせるのは、希望だ。希望を持つ限り、囚人たちはまた決起するぞ。力で彼らをねじ伏せるより、シャルバートの王女をファンタムから保護し、奴らの希望を我らが手厚く迎える方が懸命だとは思わないか」
 …ほう…さすれば何が起きると申されるのですか?
 アロイスはくるりと赤い瞳を回し、にこりと笑った。
「同盟を結び…力の均衡を保つ」私なら、そうする。
 …そのために、我ら同胞の同盟惑星をひとつ、犠牲にしなくてはなるまいがな。
「……姫様」
 レオンの背筋に軽く戦慄が走る。シャルバートと同盟を結ぶ…と。しかも、父ベムラーゼの失策を挽回するため、連邦国家の一つにその罪を被せ、成敗する…今までシャルバートに対し行って来た弾劾の数々は、元首を差し置いたその一国家の独断であったと示すために。

「そうして彼らと仲良く、この宇宙を制覇するのだ…そしてそのうち、私が奴らの寝首をかき…シャルバートごと、このボラー連邦全体を頂く…」
 小悪魔のようにそう言って、アロイスはまた瞳をキラリと輝かせた。
「…ひ、姫様…!!」そ、それはクーデターの画策ではありませぬか……!!
「冗談だ、レオン」慌てた爺を見やり、あははは、とアロイスはさも可笑しそうに笑う。
「お前は本当に忠義だな。父上は良い部下を持ったものだ。…私もお前が大好きだ」
「姫様……」
「レオン、お前は私が国を継ぐ時、かならず国務大臣に召し抱えてやる。将軍なんか止めて、いっしょに国を統べよう、な?」
「!?姫様、またそのようなお戯れを…」
「そんな、困った顔をするな!好きな者に褒美を与えて何が悪い」
 屈託なく笑い、自分をぎゅっと抱きしめた幼いアロイスに、レオンはえも言われぬ愛しさを感じたのだった。歴戦の強者(つわもの)である自分すら、この小さき姫君にはまこと、いいように翻弄される…。だが、この賢さ、聡明さはどうだ。レオンはこの小さな王女に常に敬服せずにはおれなかった。

 そしてまた彼女は、類い稀な用兵家としての素質をも持っていた。
 ベムラーゼがアロイスの15の誕生日に与えた若者の一個師団は、一年と経たないうちにボラー連邦軍の中でも群を抜く精鋭部隊に成長した。
 しかも、アロイス自身にも軍隊で行われる以上の戦闘訓練が日常の体力向上プログラムとして与えられていたのだ。彼女は、若者たちやレオンと共に宇宙を駆け巡り、強く賢く成長した……その父ベムラーゼが、彼女の懸念した通り、本星から遠く離れた銀河系の辺境で無念の死を遂げたという一報が入る、その日に至るまで。



 ボラー連邦元首ベムラーゼの艦隊は、ガルマン・ガミラスとその手先、銀河系辺境の惑星地球に所属する船、ヤマトに撃滅された。シャルバートはその王女、ルダを保護した地球人に伝説の武器を与え、ベムラーゼは不遇の死を遂げた。
 その後、急遽アロイスが首相の任に付いた。ボラー星に於いて、「首相」とは民主制度における国家の代表ではない。地球の王制とほぼ変わらない世襲制度に基づいた、独裁国家元首の呼称であった。だが、ベムラーゼの配下にあった古参の参謀たちはアロイスの意見など歯牙にもかけなかった…たかだか16・7の小娘に、戦況の何が解るというのか。年若き姫君には、形だけ後継者の座についておられれば良いのだ、——と。
 しかし統率力を失った連邦政府及び連邦軍はガルマン帝国の侵攻に相対することが出来ず、彼らは辺境諸国からじわじわと始まった戦闘にことごとく敗退し、1年と経たずに連邦全体が崩壊した。

 アロイスの育てた、神速を誇る宇宙騎兵の一個師団も、早い時期に最前線へと送られ、すでに玉砕していた。数ヶ月と経たぬうちに本星のパレスも爆撃を受け、アロイスの二人の姉も、最初の首都爆撃の際に命を落とした。アロイスのすぐ上の姉の婚約者であったルトゥーが、とっさにアロイスを抱きかかえて地下待避壕に飛び込まなければ、そこでボラー王家の血は途絶えていたことだろう。

 アロイスとルトゥーを手引きして、敵の手が及ばない、ボラー星第8番衛星へと導いたのは、レオンだった。
 第8番惑星は陵墓——王家の墓地である。神聖なその星には、さすがにデスラーも攻撃の手を伸ばさなかったのだ。第8番衛星には王家の従者たちが戦乱の開始より秘匿してきた大型司令船が隠されていた。実際のところ、その司令船がそこに隠された目的は、戦いではなく…王家の縁の者たちの棺を積んで、新天地に向かい…その亡骸を平和な大地に葬ることであった。
 その場所でアロイスとレオン、そしてルトゥーは、命からがら本星を逃げ出して来たという、得体の知れない科学者たちに出会ったのだった。ひとりは人形のように無表情な異星人の男を連れた老科学者ハガール、そしてもう一人がアンドロイド工学者エッターであった。



                *



 宿敵ガミラスには、この1年で多大なダメージを与えて来た。たった数隻で、ここまで戦えたのはハガールの発明…<デルマ・ゾラ>のおかげであり、同時に幾らでも替えの効くエッターのアンドロイド兵たちのおかげでもある。

 ハガールという人物に幾許かの疑問、そして疑心を抱かないわけではない。レオンもルトゥーも、明らかにボラー連邦のどの属国の民でもない彼の容姿、不気味な言動に不信感を持たないわけではなかった。だが、あの軍姫アロイス陛下が、ハガールに全幅の信頼を寄せているのは疑い様のない事実なのだ。
 しかもハガールは、驚くべきことに彼独自の探査ネットワーク、とも言える通信手段を持っていた。この司令船の通信機器を用いることなく、彼は様々な情報をどこからか得て来る。それ自体、冷静に考えれば酷く理不尽なことではあるが、それがこの一年、艦隊をたゆまぬ勝利へと導いて来たのもまた事実だった。今となっては、ハガールの情報ネットワークの正体よりも、それが艦隊の活路を確実に拓いている事実にこそ眼を向けるべきだ。ルトゥーはそう結論付け、胸に燻る疑問を押し殺し続けたのだった。

 此の度も、ハガールが発見したガミラスの連絡艇を尾けてこの次元断層内部に進入したおかげで、ガミラスから地球への通信を傍受することになった……連絡艇は破壊したが地球側はそのことを知らない。ここに潜んでいれば、何も知らずにガミラスへと向かう地球の船を急襲することが可能だった。

 アロイスはしかし、この狭い海峡に潜んでじっと勝機を伺うことにほとほと嫌気が差しているようだ。ここで待つのが今考え得る最良の策だと理解はしていても、その苛立ちは目に見えて酷くなっていた。

 ガシャーーーン……!!!

(……陛下だな)
 ルトゥーは溜め息をついた。気の荒いアロイスは、食事が気に入らないと言っては皿をひっくり返し、アンドロイドが通路を塞いだと言っては彼らをなぎ倒して歩いていたからだ。


「……陛下、どうなさいました」ルトゥーが辛抱強くそう言いながら、アロイスのいる司令室へ足を踏み入れた途端——。
 赤みを帯びたブルネットの巻き毛が、流れるようにさあっとルトゥーの横を通り過ぎて行った。赤い軍服に身を包み、黒い革手袋を無造作に掴んだ華奢なアロイスが司令室から飛び出してくる所だった。

 

 

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