奇跡  恋情(15)




 その後、記憶をある程度取り戻したテレサをデスラーは幾度か見舞い、地球やヤマトの名を出して彼女の超能力の発現を期待したが、それはことごとく徒労に終わった。手厚い看護を受けても、記憶の琴線を弾いても、テレサの能力が甦ることは無かった。
 しかしデスラーは、引き続き例によって彼女に対しきわめて紳士的に振る舞うのだった。毎日美しい花を彼女の病室に送り届けることを欠かさないばかりか、高価なドレスや装身具を贈り、総統府の謁見の間に招いてディナーを共にすることもあった。


 デスラーの、手厚い心遣いの裏に何があるかを、テレサはしばらくして理解した。総統は待っているのだ。彼女の持つ力が再び目覚める時を。そして、その暁には、その力を攻撃力として貸して欲しい。その約束を、是非結んで欲しい、と彼は願うのだった。
 遠い過去、かの彗星の権力者がテレザートにやって来て、自分に同じように乞い願ったことも、彼女はぼんやりと思い出す。
 彼女が苦しみとともに思い出した記憶………自分が、地球のために反物質エネルギーを用いてガトランティスを滅ぼした事実。デスラーはそれを知っていて、地球の盟友としてのガルマン帝星のためにも、その力の片鱗を見せてはくれぬかと彼女に懇願するのだった。


 
 だが、実のところ、テレサの力がどうやっても甦らない訳は別にあった。アレスがテレサの脳に、強力な物理的措置を施していたからである——彼女が何をどう願おうと、サイコキネシスおよび反物質エネルギーを発現しないようにと。
 戻った記憶を消去することも吝かではなかったが、アレスはサイコキネシス復活に関係する部分だけを選び、意図的にニューロンの連結を阻んだ。定期的に治療と称して施される脳へのアクセスはすべて、復活しようとするシナプスを焼き切り、排除するためのものだったのだ。
 彼が医学を修めた彗星帝国ガトランティスは、宇宙最高峰レベルの医療技術を誇る星でもあった。アレスは、自分の持てる技術の全てを注ぎ込み、何重にも彼女の記憶中枢と深層意識にロックをかけたのである。

 それは実質、デスラーへの明らかな反逆行為だったが、アレスは躊躇しなかった。テレサの記憶と深層意識からは、彼女が反物質エネルギーを発する際に膨大なストレスと苦痛が生じることが読み取れる。彼女を反物質兵器としか看做していないデスラーに、清らかなその心が蹂躙されるのを認めるわけにはいかない。愛しい女にそんな苦しみを味わわせたいと思う男がいるだろうか……。



 しばらくして、サイコキネシスですら発現の兆しが見えないことに落胆したタランは、アレスの求めに応じてテレサを総統府から彼の自宅に移動させることを許可した。デスラーも特段それに意義を差し挟むことはなかった……アレスの邸は結局、総統府からそう離れてはいないからだ。もとより、何か変化があればすぐに報告するよう、アレスには厳重に言い渡してある。
 よもや自分の目と鼻の先で反逆行為が行われていようとは、さしものデスラーも察することはできなかった。



 
 テレサがアレスの邸に移動して、数日。
 日に一度、タランからの定期通信が入る。
 その都度、アレスは答える……<反応の回復は見られません>

 見られない、のではない。見せてはならないのだ。タランの話では、ヤマトはあと一月足らずでこのガルマン星にやってくるという。おそらく、総統は最後のチャンスとしてヤマトの乗組員に彼女を会わせることを算段しているだろう。記憶を操作し、超能力を封じるためにアレスはテレサの脳にかなりの負担をかけている。だが、その効果は、ヤマトが来れば間違いなく一時的に低下するか、悪ければ無効になるだろう…。 混濁していた記憶は細部まで一挙に回復し、そして彼女は…彼らと一緒に行きたがるに違いない、…島に、再び会うために。確実に近づく運命の時を目前に、焦れるような嫉妬の念に苛まれる。
 そればかりではない。サイコキネシスが甦れば、反物質エネルギーを呼び出してしまう可能性も有るのだ。


 
 このまま、辛い記憶も愛した男のことも。
 …忘れてしまえば、あなたは幸せになれるのだろうに…


      


 

 

 毎日、定時になるとナースアンドロイドがテレサの血圧や体温を計りに部屋を訪れる。

 アレスの邸はとても広かったが、邸内にいるのは彼を別にすれば数体のアンドロイドだけだった。アレスはほぼ毎日、朝から日が落ちるまで総統府に出掛けている。テレサはたった一人で、アンドロイドたちと留守番をするのだった。……独りぼっちで何年も過ごして来た彼女だったから、広い家に一人で待つことは苦痛ではなかったが、自分でも驚いたことに彼女は今、アレスの帰宅を待ちわびるようになっていた。しんとした邸にアレスの靴音が戻って来ると、ほんのりと心が温かくなる。
 ——こんな感情を、私が…誰かに抱くなんて。
 それは、テレサの生きて来た殺伐とした過去からは、想像もできないことだった。




「……ウォード先生」
「ん?」
「……地球は、ここから遠いのでしょうか?」
 アレスが悲し気に微笑んだので、テレサは自分がまた同じ質問をしてしまったのだと気がついた。
「…ごめんなさい。私、前にも同じ質問を…?」
「そうだね。昨日もそう言っていたよ。…そして、私の答えは覚えているかい?」
「………それが…」
 テレサは溜め息をついて申し訳無さそうに頭を振った。身体が回復しつつあっても、細かな時間の感覚や起きた出来事の記憶などが一向に定着しない。なぜ直近の記憶までもがこれほど曖昧なのか、とテレサは苛立ちを覚える。
 アレスにはその理由が分かっていたが、説明することは出来なかった。それは力を封印するための深層意識操作が及ぼす副作用だったからだ。

 ベッドに上体を起こして座る彼女の膝の上には、アレスがリハビリのために渡した絵画のパズルが乗っていた。二人は毎晩、食事を済ませるとこうしてパズルをしたり、音楽を聴いたりしてほんの少しだけ、共に時間を過ごす。アレスは彼女を愛していると自覚してはいたが、だからといって不必要に彼女に接触するようなことはせずにいた。ほんの1時間、こうして微笑み合いながら他愛のない話をする…それがことの外幸せだと気付いたのは、テレサだけではなかった。


 このパズルの元絵は確か、手を繋ぐ小さな二人の子ども…だったような気がする。
ただ手を繋ぐ。それだけの愛の表現でも…満たされることもあるのだな……とアレスは不思議に思う。
 この時間を、まだ壊したくはなかった。
「……地球はこの星から82万光年離れている。だから、私の力ではあなたを地球へ連れて行くことができない。…私は昨日、そう言ったと思う」
 アレスは穏やかに微笑みながら、テレサの膝の上からパズルの台とピースの入った箱を取った。それをかたわらの小さなテーブルへ置き、静かにベッドへ腰かける。
「………82万光年…」

 そうだった。82万光年。遠い。気の遠くなるほど…遠い彼方。
 記憶の奥底にある衝撃的なイメージの正体を、彼女は先頃ついにはっきりと思い出した。…自分は「反物質」という呪われた能力を持つ、破壊の魔女だった。断末魔に呪い叫ぶ幾百万もの人の声、それが甦るたび記憶は三たび酷く混濁する。
 そして…自分がなぜ、そんなことをしてしまったのかもようやく思い出した。

 
 ——島さん——


 私は彼を、助けたかった。
 そのためだけに、あの恐ろしい罪を犯したのだ。
 あの闘いから、どのくらい経っているのかもアレスは教えてくれた。地球時間に直せば約7年と少し。あの時助けたあの人は、無事だったのだろうか…。今でも少しは、私のことを覚えてくれているだろうか……?

 しかし、そんなことを考えても虚しくなるだけだった。
 7年という時の経過、そして…82万光年の隔たり。
 今でも……彼を、愛しく思う。しかし、同時にその命を救うことと引き換えに自分が犯した大罪を思うと、この身の生すら厭わしく感じてしまうのだった。

 それならばいっそこのまま……彼への愛とともに、その記憶を封印してしまえ…、とテレサは思う。今、自分の身体には例の呪わしい力はもう感じない。呪いは解かれたのだ、とアレスが言ってくれた時、テレサはいるはずのない「神」に、感謝した。何の能力も無いただの女として、この遠い異国の地で、もう一度やり直すことができる…。私の呪わしい過去も、恐ろしい罪もすべて承知で包んでくれる、このひと——ウォード先生と。


 アレスが自分を愛しく想ってくれていることを、テレサも正直、嬉しく感じていた。そして、彼女がそれを受け容れることを、無理強いせずにいてくれることも。
 手にしたパズルのピースに目を落す。
 小さな指先が二つ…繋がれている絵の描かれた、小片。
 僅かに、彼女の瞳が潤む。
(……島さん…私、生きているのよ。やっと……戦いのない、…平和な時を)


 …甦る想い。
 繋いだ手と手。
 ……碧の宮殿で眠る、あの人の手に伝わる、自分の涙……。


 彼の時間と私の時間とは、最後まで…交わることはなかった。あの時は彼が、そして今は私が…互いにこの世に存在しない者になってしまった。間違いなくあの人は、「テレサは死んだ」と思っているに違いない。
 す、と彼女の目の前にアレスの手が差し出された。「…そのピースは?」

 箱にしまおうか、それとも…絵にはめ込もうか?
 半分ほど埋めてあるパズルは、しかしまだ、そのピースをはめ込むまでには完成していなかった。
 繋いだ手と手も……。
 テレサは、微笑んでそれをアレスに渡した。「箱に」
 ——そう、記憶の…宝箱に。その他の記憶の断片とともに……。


 我知らず悲し気な表情を浮かべていたのに違いない。アレスが心配そうに彼女の肩を抱いた。
「気分が悪い?」
「いいえ」そう言ったつもりだったが、声にならなかった。抱かれた肩が、熱かった。縋ってしまえばいい…この人の胸に。…例え、これが愛と呼べなくても……
「テレサ」
 驚いたアレスの声にも、テレサは耳を塞いだ。孤独と寂寥に、いつまでもたった独りで耐えて行くことなど、…できない、と思った。
 テレサはアレスの胸に顔を押し付ける。
「…テレサ」



 今ここで。彼女を抱いてしまえば。…そうすることに、何の躊躇いがあるのだ?
 ——アレスは幾度もそう自問した。
 しかしおそらく、自分はそうすることで酷く後悔するに違いない……


 これまで何度も、アレスは背中に視線を受けて振り返った。そこに彼が見るのは決まって、切ない目をしたテレサだった。
(誰を…見ている…?)
 アレスと島では、背格好もまるで違う。がっしりした体つきの島に較べ、アレスは全体的にスレンダーで華奢なプロポーションである。だが、否応なく彼の黒髪が、島を想い出させるのだろう。
 テレサは、自分に抱かれることもおそらく拒まないだろう。だが、彼女の心にはあの男が住んだままだ。…ヤマトの、島大介。彼女の抜け殻を手に入れても、心はまだ……手に入らない。


「…傍に…いるから」
 それだけ言って、胸の中のテレサの背を優しく撫でる。
 抱かない。…まだ、それは…できない。
 アレスの胸に顔を押し付けていたテレサが顔を上げ、アレスを見つめた。その潤んだ瞳に、目眩がする。それでも…。アレスはこの静かな時間を壊すまい、と心に銘じた。

 

 

 

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