——この世のものとも思えない恐ろしげな声が聞こえる——
……それがどうやら、自分の喉から発せられていると朧げに分かってきたので、司和也は叫ぶのを止めた。
ツカサ・カズヤ。それが自分の名前だと、気がついたのはどのくらい前だっただろうか——。
「ツカサ……イシキがモドったか」
どうにか理解できるようになった、どこか異国の言葉。
喋っているのは、——いや、喋るというにはあまりにも小さな声だった——驚くほど近くに顔を寄せている赤い服の老人だった。老人の顔は半分が真っ黒だ。いや、和也にそう見えるだけで実は、それは戦闘で失った片目をサポートするための、黒い機械仕掛けのアイパッチである。この老人は、幾多の大戦を闘い抜いて来た名のある武将だった。——和也はそんなことは知らなかったが。
「……水を…ください」
和也は掠れた声でそう呟いた。
もう何日も何も食べていなかった。繋がれている手枷足枷はやせ衰えた彼の手足にとってはすでに緩く、一振りすれば今にも外れそうだ。だが、そうなっても尚、この縛めに彼を繋いだ人物は和也を解放しようとはしない。その人物——ハガールと呼ばれていた——は、時々やって来て「装置」の調子を見る程度で、和也には一言も話しかけることはない。ハガールは実に不気味で奇妙な男で、頭からつま先まで白い布をすっぽり被っているように見えるのだ(白いフードつきのマントが、彼にはそう見えていた)。
「…ミ・ずだな」
老人は頷くと、和也の側を離れて水を調達しに行った。和也はその真っ赤な後ろ姿をじっと見つめた。老人の足元から、周囲に目を向ける。
無機質な、それでいて生臭い印象の赤い床に、同じ色の壁。壁は高く高く上に聳えていて、そのてっぺんは和也には見ることができなかった。
ほんの数日に一回、和也はこのように正気に戻るのだった。頭の中をのぞかれて、冷たい金属の触手で大事な物をもぎ取られる感覚——「装置」が動き始める度に和也はまた正気を失い、叫び始める。
老人も、哀れな和也のために縛めを解くことはしなかった。ただ彼のために水を持って来たり、時には身体を拭いたりといったことしかしない。実を言えば、食べ物は首の付け根の中心静脈に刺さっている管から栄養として送られてはいた。同じように和也の身体には何本もの管が取り付けられていて、栄養摂取も排泄もすべて、それで済むようにされていたのだ。半身を横にした状態で、生臭い色をした壁に枷で括り付けられ、さらに和也は気付いていなかったが脳と脊髄には直接、電極が埋め込まれていた——実験などではない。和也が繋がれているその装置は、思念波をエネルギー源として変換し動力源とする、実用化された兵器であった。
「……ミ・ずだ」
老人——レオン・ブルスゴーは戻って来ると冷たい金属の容器に入った水を和也の口にあてがった。実際のところ、彼がここに…まるでそれしか能力の無い牢番のように虜のツカサの元でじっとしているのは、彼の武勇伝を知る者たちにしてみれば不条理この上ない事実だった。しかし、祖国ボラー連邦がガルマン・ガミラスによって踏みにじられ、残る艦が首相の娘によって率いられているこの艦隊——たったの5隻——のみとなってしまった今は、そんな過去の功績など無に等しい。レオンは祖国の再建などとうに諦めていた。だが、ずっと心にかけて見守ってきた首相の娘…アロイス・ベムラーゼの傍を離れることは出来なかったのだ。
*
数年前、幻の戦闘国家シャルバートから地球が譲り受けた、太陽制御のためのハイドロ・コスモジェン砲をめぐり、彼女の父親——ボラー連邦の首相ベムラーゼはガルマン・ガミラス大帝星の総統デスラーと相見え、そして敗れ去った。その後、突如最高権力を失ったボラー連邦はその同盟惑星国家を次々に失い、その本星はガルマン帝国軍の攻撃を受け壊滅した。かつてボラー連邦と呼ばれた銀河系中心部の広大な領域は、現在はガルマン・ガミラス帝星圏、と呼ばれている。ただし…その広大な星域も、銀河の交差によって現在はほぼ消滅していた。
レオン自身が武将として最も活躍した20年前には、銀河系中心部においてボラー連邦は繁栄の極みにあった。ガミラス人の祖先とされるガルマン星はボラーの属国であり、ガミラス帝国はまだマゼラン星雲の小さな一宇宙国家に過ぎなかった……だが、7年前にかなたの外宇宙から飛来した彗星帝国ガトランティスのおかげで、ガミラス帝国の勢力は爆発的に増加した。総統デスラーは、ガトランティスの急な滅亡に乗じてその植民地を次々に解放し、すべてをガルマンの属国に変えて行ったのである。
地球侵攻に失敗したガトランティスの生き残りたちは統制を失い、無数の植民星は混乱に陥った。その機に乗じ、デスラーの部下たちは次々と植民星へ乗り込み、その星の住民たちとともに蜂起し統治権を奪還した。礼節を重んじ、各植民星のかつての支配者に敬意を表し人民を丁重に扱うデスラーの外交手腕は人心を驚くほど深く掌握した。ガトランティスの支配から解放された人々はデスラーを救いの神と讃え、服従を誓った。今や、銀河系中心部からアンドロメダ・マゼラン星系に渡る、想像を絶する広大な宇宙において、デスラーとその帝国ガルマン・ガミラスは伝説の覇者となっていたのである。
その強大な国家を前に、ちりぢりになったボラーの民は個々に活路を切り拓くしかなかった。ある者はガルマン星に服従を誓い下級市民の生活を手に入れ、ある者は武器を捨てて投降したが、政府の重鎮や軍の最高幹部らは、ほぼすべてが処刑の憂き目を見た。首相の末娘、まだ11歳の少女だったアロイスは温情を受け、いわゆる遠島、辺境惑星への島流しに処されたが、彼女があどけない表情の下に猛虎のような復讐心をたぎらせていることを見抜いた者はいなかった——アロイスだけは、ボラーの再建を諦めていなかったのである。だが彼女の呼び掛けに応じ、地下に潜む抵抗勢力、レジスタンスとしてボラーの名の下に集ったのは、ほんの数名に過ぎなかった。
アロイスのたった一つの勝算は、共に遠島に処された科学者のハガールの頭脳だった——彼の狂気じみた発明の一つ、思念波を使ったテレポーテーション装置、<デルマ・ゾラ>。それにより、二人は脱出手段の無いはずの小惑星から逃走することに成功する。その手引きをしたのはもちろん、アロイスの父親代わりをしていた将軍レオンであった。
ハガールは、どこから連れてきたのか明かさなかったが、一人の異星人を伴っていた。その男は記憶を失っており、ハガールは何年も前から彼を養いながら、ある生体実験を続けていたのだ。その男が、10年近く前に異次元に迷い込んだ銀河系辺境惑星、地球の戦士だったということはハガール以外誰も知らなかった——その男、ツカサ・カズヤ自身が、正気に戻るほんの僅かな時間にレオンにそう明かすまでは。
ハガールは、男の思念波ベクトルを一方向に向かわせるため、非常識な量の薬物を投与しており、アロイスがハガールの連れているその男に出会った時には、彼は廃人寸前だった。だが、「帰りたい」という意識が異常に強かったこともあり、ごく稀に男は正気に戻る。理論上、欲望のぶれない人間などこの世に存在するはずが無かった…だが、その男の思いは桁外れに強かった。
ツカサの思念波によって実用可能になった<デルマ・ゾラ>を切札に、アロイス、レオン、ハガールは残党に蜂起を呼びかける。集結したのは13名、奪還できたのはボラー星の第8番衛星に眠っていた王族専用の長距離巡洋艦と、ミサイル護衛艦5隻、駆逐艦が4隻の、たった10隻だった。不足していた人材は、アンドロイド工学者エッターの機械人形…アンドロイドたちで補った。
彼らがゲリラ的なレジスタンスを開始して1年。今や、ハガールの<デルマ・ゾラ>とツカサ・カズヤの思念波のおかげで、アロイスの艦隊はガルマン本星をも恐怖に陥れることに成功していたのである——。
<デルマ・ゾラ>によって艦隊は障害物や距離の長短に縛られず、どんなに接近不可能と言われた宙域にも侵攻することが出来る。目標の座標へ跳躍し、実体化する時間はほんの数秒から数分…敵がこちらを認識するかしないかのうちに砲撃は終了し、相手は木っ端微塵になっている…そして、蜃気楼のように再び跳躍して消えてしまえば追撃されることもない。そうして幾多のガミラス艦隊を彼らは葬って来た。
アロイスの悲願達成の日は近いかに思われた……だがここへ来て、<デルマ・ゾラ>の動力源である司和也の精神力、体力が尽きつつあることが判明し、アロイスは焦りを見せるようになっていたのだった。
*
「…あの小惑星を手に入れることができていたら、お前は解放されたかもしれんのにな…」
レオンは和也を哀れみながらそう言った。「小惑星」とは、テレサの身体を包んでいたテレザリアムの残骸を差している。だがもちろん、レオンは、くだんの小惑星内部にテレザートのテレサが居たことなど知らない。
<デルマ・ゾラ>の動力源としてツカサの代わりに反物質が利用できる、とハガールが判断したので、偶然発見したその小惑星を回収しようとしたのだが、反物質を含んだその小惑星は非常に質量が大きく、牽引している最中にガルマン艦隊に発見され、横取りされてしまった。
レオンは、皇女アロイスが幼い時からずっと彼女を見守って来た。アロイスが望むことは、何でも叶えてやりたいと思い、付き従って来た。だが、アロイスの悲願を達成するために心を蝕まれているこの異星人を見ていると、無性に哀しくなる……この男、ツカサの悲願と愛しいアロイスの悲願とは、どこか似ている、…いや、むしろ同じなのではないか、とさえ思うのだ。
アロイスの片腕として共に悲願達成の日を夢みる若き戦略指揮官、ルトゥーが非難するように、確かに「陛下とこの男とでは、命の価値が違う」のだろう。だが、日に日に衰弱しつつあるツカサが正気に戻る度口にする「地球」そして「カリン」という言葉。故郷に帰りたいのは我々皆が同じ思いではないか……捕虜だろうと国家の主君だろうと。ツカサの思念波を搾り取り、復讐に利用し、その上に祖国を再建するのは、何かが間違っている、とレオンは感じていた。
(滅びゆく運命を従容として受け入れよというのは、陛下には…できぬ相談であろうがな……)
レオンは、ツカサが気の毒でならなかった。
特に、アロイスはツカサがガルマン帝国の盟友星・地球の出身だと知って以来、ことさらツカサに辛くあたっている。
ガミラスの犬、地球。地球人など死ぬより辛い目に遭えばいい。アロイスがそう思っていることはレオンにも分かっていた。今ツカサが辛うじて命をつないでいるのは、レオンがハガールに、動力源としてのツカサを失うのは作戦上致命的だと進言しているからに他ならない。
昨日、ミサイル艦が1隻拿捕され、唯一乗り組んでいた生身の人間……エッター博士が自害した。被弾した艦隊は、しばらくは異次元航行を続けて息を潜めているしかない。せめてその間は、ツカサを休ませてやりたかった。
「……ツカサ。…カリンというのは、何だい」レオンは水をごくりごくりと飲み干す和也に訊ねるともなくそう聞いた。
「……妹」
「イモうト?」
レオンが繰り返すと、和也は頷いた。「たったひとりの、妹」
和也の半分壊れた脳に、妹と過ごした幼い日が甦る。父も母もなく、二人だけで生きて来た日々。「……地球に、いる」
「そうか」
レオンはこの年になるまで、こんな感情を持ったことが無かった。戦うことがすべて、敵を打ち砕くことだけが生き甲斐だった……果敢な武将として、敵の心情やその家族への思いなど、欠片たりとも頭に上ったことは無かった。だが今は、今目の前にいる、身体も心も蝕まれた気の毒な若者を、どうにかしてその故郷に返してやりたいと思うのだ……
(老婆心…とでもいうのかな)
自分も焼きが回ったなと苦笑する。
「……元気だといいな。イモうと」
「元気だよ、カリン」
励ましたつもりだったが、逆にしっかりした笑顔でそう返された。和也は、妹が元気で暮らしていることに何の疑いも持っていないようだった。
(地球はあのガミラスの同盟国として、奇特なポジションにいるからな)
今や地球は、波動エンジンやハイドロ・コスモジェン砲など、異星の科学の粋を集めた文明を誇っている。アンドロメダでも悪名の高い白色彗星帝国を破り、二重銀河の果てに位置する暗黒星団帝星を壊滅させ、幻の戦闘国家として名高いシャルバート星の恩恵を受けたという名だたる星だ。この度も、デスラーは厳戒体制の中、地球に使いを出して援助を要請したことが分かっている……ガミラスの連絡艇を奇襲攻撃で破壊したルトゥーから、そう報告を受けた。
もうあまり時間が無い。地球がガミラスと組み、戦線を展開し出したとすれば、何が起こるかわかったものではなかった。アロイスは、地球からの応援部隊がガミラス帝国軍と合流する前にそれを叩くつもりだ。
(……地球の船に接触するというのに……お前を帰してやることも出来ないばかりか……攻撃の手助けをさせることになろうとは…)
レオンは額に手を当て、和也に背を向けた。
5隻は異次元海流の中を、地球の船を目指して冥王星方面へとゆっくり進んでいった。
(14)へ 「奇跡」Contentsへ