奇跡  恋情(11)




 一緒に食うか、と言われて仕方なく。司は島の向かいの席に腰かけていた。
 いいところに来た、ホットコーヒーをもう一杯サーバーからもらってきてくれないか、と言われ。逆らえずにその通りにした末、まあ座れと促され。今彼女の目の前では、サンドイッチを片手に島が作業を続けているところだった。

 皿の隣に広げているデータボードが2つ、液晶画面をチカチカと点滅させデータの集積を行っている。
「航海班のデータと工作班の昨日の消火作業データだ」司の視線に気付いて、島はそう説明した。「パッと見じゃわからんだろう。ブリーフィングでちゃんと説明するから安心しろ」
「あ、…はい」
 島の手にしているカップから、コーヒーの良い香りが流れて来る。司はオレンジジュースをトレイに乗せてきていたが、コーヒーもいいな、とちょっと思った。それにしても……。
 一体どうしたというのだろう。心臓がいつもの3割増の早さで拍動している!…すっぴんの顔も、きっとかなり赤くなっているに違いない……


(やだな……もうっ……どうかしてるよ…)
 どうしてこんなことになるんだろう!!早くここから逃げ出したい…… 


 居心地の悪そうな部下をしげしげと見。島が済まなさそうに言った。
「…悪いな、気詰りだったか?」
「えっ?は……いえ、そんなことは」
 気持ちとは裏腹に、妙なお愛想が口をつく。
「はは、なんで艦長のくせに平の兵隊と飯なんか食ってるんだ、って顔してるな。どうも一人で食べてても…味気なくてさ」
「はあ…そう…ですか」
「ヤマトでは古代とよく食堂で作戦立てたもんだよ。最初は作戦室でああだこうだやってるんだが、結局まとまらなくて腹が減ってな、食堂でその続き、なんてことがよくあった」
「食堂で…」……って。


 春まで乗り組んでいたカリスト基地所属の大型戦艦アルテミスでは、副長以上の高級士官が一般食堂で食事をしているところなど見たことが無かった。まして、作戦を食堂で、だなんて……。司は、ヤマトの艦長古代進と副長の島が、食堂でああでもないこうでもないと言いながら作戦を立てている様子が想像できず、目を白黒させた。

 向かい合ってこうして見ると、そんな風に笑う島は正直ごく普通の青年だった。あの宇宙戦艦ヤマトの航海長、そして副長…そんなスーパースターのような経歴が、本来のその姿を妙な具合に歪めていたのだろうか。無論、彼の操艦技術にはやはり学ぶところが非常に大きく、艦長としての才幹も、噂で聞くよりはるかに卓越している。妙な先入観さえなければ、真実惚れ込んで着いて行ける先達だっただろう。自分は単にその虚飾のベールに嫌悪を感じていただけなのかもしれない。かといって、今さら大越のように愛想良く振る舞う気にはなれず、司は不意にまた居心地が悪くなる。

 そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、島はコーヒーをまた一口飲んで訊いた。
「2月の演習、お前は木星連合艦隊にいたんだったかな…?」
「え…あ……はい、そうです」司は無人機動艦隊に逆襲されて大敗を帰した
、土星・木星連合艦隊に配置されていたのだ。
「そうか…忘れていたよ」
 小ワープ直後の火星無人機動艦隊の出迎えに、最初に疑問を持ち、イルミネータ—の打ち上げを具申したのは司だ。アンノウンが敵か味方か、を客観的に判断したわけではない…彼女は大越の態度が妙に冷静なことに気付いただけだったのだ。
「あれは無人艦隊だ、と言わなかったのは…なぜだい?途中から判っていただろう?」
 えっ?それは。…だって。
「……艦長が、言うなって顔してましたから」
「は…?」
 司は、大越の態度に不審なものを見た途端、艦長席の島を振り返ったのだ。その時、島は完全にアイコンタクトを拒否した……ように見えた。
 つまり、「黙っていろ」と言う合図だと、そう理解したのだ。
「だから…片品君にイルミネーターを上げてみたら、って言ったんですよ。私がネタをバラしちゃったら、訓練にならないじゃないですか」
「そうか、ははは…」
 島は参った、と言わんばかりに声を立てて笑い始める。

(何よ……気を遣ったのに)……また笑う!!
 真面目にしていても笑われる。コケても笑われる……何なのよ、もう!!

「いや、すまん。ありがとう。おかげで恥をかかないで済んだ」
「いえ…別に」
 口を尖らせ、不服そうな司に島はそう謝った。「まあ、そう怒るな。お前は腕も確かだし、判断力も抜群だ。頼りにしてるよ」
「!!」
 笑われたと思えば、褒められ。
 キツネにつままれたみたいな面持ちで、司は黙り込んだ。

 島の手元にあるデータボードの解析は順に完了しているようだった。彼が認証コードで完了登録コマンドを送ると、中央コンピュータ室から照合完了のシグナルが帰って来る。先ほどからそれを実に十数回、島は繰り返していた。これは島の配慮なのか、こうしてテーブルの上にデータボードを並べて集積を行っていると、艦長と航海長が航路についてただ何かを検討しているかのように見えるだろう。自分と島とが向かい合って席に着いていることの不自然さが無理なく解消されている…。
 大きく開いた窓外には、ゆっくりと土星が見えてきていた。

「……アルテミスは今頃、銀河系中央方面か」
 島がまた、訊くともなしにそう言った。「……風渡野艦長は息災だろうか」
 司はサラダを突つく手を止め、聞き返す。
「?…艦長、風渡野教官…とお知り合いだったんですか?」
 戦艦アルテミスは司の前職だった。風渡野正(ふっとのただし)、アルテミスの艦長は司の航法科の教官でもあった。風渡野教官(せんせい)、と言った司に、島はにこりと笑いかけた。
「…風渡野さんは、航法科の教官でな…短かったけど俺も世話になったんだよ」
「ほんとですか」

 それは初耳だった。結構なお年だとは思っていたが、やはりガミラス戦役以前から教官をしておられたのだ。50代の手堅い教官クラスは、ガトランティス戦でほとんどが喪われてしまっていた。現在でも残るのは、当時教官として学校を離れられなかった者や体調を崩していた者だけである。そういえば、風渡野は右手が上腕のところから義肢だった…ガミラス戦で大怪我をしたのだと言っていた。司がアルテミスを去る時、風渡野がしきりに「島の役に立って来い」と言っていたのを思い出す。

 そうか……風渡野艦長の、教え子だったんだ、島艦長も。

 この新造艦ポセイドンの乗組員の人選は、各基地の司令からの推薦が元になっている。風渡野は彼女の航法士としての才能や、操舵手としての腕前を、地球屈指の大型艦パイロット、島大介の下で活かしてほしいと思っていたのだろう。カリスト基地司令に司を推したのが、そもそも彼だったのに違いない。


 ——二人ともに、風渡野教官の教え子だったなんて。


 自分と「島大介」の奇妙な共通点を見いだして、司はほんの少しまた島に親近感を覚える。


 
「そういえば司は、航法科の前に飛行科にいたんだっけな。いつか訊こうと思ってたんだが…それはどうしてなんだ?」
 サンドイッチをすっかり平らげて、多分3杯目のコーヒーをゆっくり啜りながら、思い出したように島が言った。
「ええと……それって、そんなにおかしいことですか…?」
 司はごっくん、と口の中のものを飲みこんでから、困ったようにそう答える。
「いや、おかしいとは思わないが、正直珍しいぜ。せっかく誰もが憧れるファイター乗りになったのに、どうして大型に転向した?怪我でもしたのか?」
「……大型の方が、カッコいいから…です」
 司は軽く首を振りながら答える。…変な答え方。自分にだってそれは解ってる…
「カッコいい、って…カッコよさではファイター乗りの方が」島はくすっと笑った。「…まあ、そりゃあお前がカリストで12万t級に乗っていたから言える台詞だぜ。大型っていっても、そんじょそこらの戦艦や輸送艦とは格が違うからな。でも、周りからもったいない、って言われたことはないか?」
「はあ、何度か…」


 司はそれきりしばらく黙ってオレンジジュースをちびちび飲んでいたが、溜め息をついて話し始めた。……艦長、私にこの話をさせたかったんだ。笑ったり褒めたりしてさ…なんだ、上手く乗せられちゃったな。言いたくはなかったけど、ま、しょうがない…
「本当のことを言っても、信じてもらえそうにないですけど」司は上目遣いにちらりと島を見、ほとんど空になった皿に視線を落す。「…月面基地の城ヶ崎司令が詳しく知ってますが、…私、実験動物にされそうになったんです」 
 思い出せば、不愉快この上ない。司は伏せた視線をさらに横ざまに床へ投げた。
「…実験動物?」
 意外な言葉に、島は眉をひそめる。
「…なんでも、身体能力が高い人専用の戦闘機を開発するんだ、って言われて。…そのデータ収集に協力しろって…」


 司の基礎体力が成人女性の平均を大きく上回ることには、島も気付いていた。防衛軍内では様々な研究が行われている。新型艦載機の開発、既存の機体の改良…。特殊な身体能力を持つパイロット用ファイターなら、すでに何通りか開発されていてもおかしくない。

「……何だか褒められたような気になって、安請け合いした私もバカだったんですけど」
「普通のテス・パイとは違うのか?」コスモ・ゼロも、古代がテスト・パイロットを務めた機種だ。
「全然違います!!」司は色をなして抗議した。「毎日毎日、データのためだけにハードな訓練をやって、基地に帰れば色んな装置に繋がれて検査検査。…説明もなしで、殆ど軟禁状態だったんです。先輩たちのように、戦艦に乗り組むことも許されなくて。…あれじゃ何のためにファイター乗りになったんだか」

 さすがに体調を崩した彼女は、半ば月面基地を逃げ出すように地球へ戻った。極秘開発途上にあったらしい新型の戦闘機は、そのまま日の目を見ずに月面基地に眠っているのだと言う。事情を察した城ヶ崎司令は、航法科転属への推薦状を快く書いてくれたそうだ。
「……そうか。……加藤や坂本は、知っているのか?」
「いいえ。…転属する時に、口外しないと言う条件でしたから。…先輩たちは…知りません。訓練はティコの観測所でやっていましたし、そこにまる一月、私…缶詰でしたから」
「…裏側か」
 無人機動艦隊の発令所がティコ・クレーターの上空にあるが、まさかその下でそんなことが行われていたとは。



 防衛軍内において、機密を扱える立場にいる自分すら知り得ない暗黒の深みが、一握りの政治家たちの手で隠蔽され存在し続ける……それは、今回のトライデントプロジェクトそのものについても言えることだった。
 おそらく、その極秘開発の戦闘機については、連邦政府内での水面下の権力争いだの、政党同士のせめぎ合いだのが根っこにあるのだろうが、どれも表に出て来ることはない。島だとて、異星人のDNAを体内に秘匿している身である……佐渡の庇護や藤堂の情報操作などがなければ、…それが公に知られるところとなっていれば、彼自身、実験動物扱いを受けないとも限らなかった。

「…辛かったな」
「もう済んだことです。それで別に何か、お咎めを受けたわけでもないし、転属もすんなり通りましたし」
 司は苦笑しながら溜め息をついた。
「それはともかく。兄が……大型艦の航海長だったので、その影響もあるんです。…私には大型の方がもともと向いてたんじゃないでしょうか」
「…お兄さん?」

 覗き込むように訊ねる島の視線をかわしながら、司は答えた。
「ミサイル駆逐艦<きりしま>の操舵手でした」

 

 

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