奇跡  恋情(9)




 ……貧乏くじだな——。

 アレス・ウォードはまたもやそう感じていた。
 テレサの蘇生を任された時も、最初はそう思ったものだ……だが、今度はなんだ、生首じゃないか……


 特殊科学局の実験台の上に乗っているのは、美しい異星人ではなく人工羊水の容器に入った、おぞましい生首であった。この気の毒な生首から情報を引き出せとの、総統の命である。

「……成功率は3割程度ですが、よろしいですか」アレスはタランにそう釘を刺す。私だって、なんでもかんでもできるわけじゃないんだ。まったく、やんごとなきお方の無理難題にはほとほと困惑するばかりだ。
「かまわん。少しでも何か情報が得られればよいのだ」タランは難しい顔でそう言った。
 アレスは了解の印に首肯すると、マジックハンドを使い、羊水の中に逆さに浮かぶ男の生首の切断面から頭頂部に向けて、長くて柔軟性のある金属の細い棒を差し込んで行った。棒の先端には超小型のカメラが内蔵されており、カラーの3D画像で内部の様子が映し出される。モニタを見ていたタランが、うげ、という顔で目を背けた。
「……脳幹に到達します…ここが記憶を司る部分です」アレスはマジックハンドを停止させ、棒の先端についているインプラント端子を脳塊に打ち込んだ。
「モニタに出ます……この男が絶命する瞬間からどこまで遡れるか疑問ですが、辿れるだけ辿ってみましょう。……映像を整理するまでしばらく時間がかかりますが、このままここでご覧になりますか」

 正直、出て来るのは途切れ途切れの映像だろう。意味のある、情報として役立ちそうな画像を編集して総統に見せられるようになるまでに、何時間かかかると思ったので、アレスはタランにそう断わった。
「……ううむ、この首を見ているのが耐えられんな。…よろしい、情報を何か掴むまでお前に一任しよう。従者を残してゆく。何か分かったらすぐに知らせるように」
「仰せの通りに」
 ううむ、気分が悪い、と呟きつつ、タランは医局から出て行った。


(……副総統は激しい戦闘を幾つも越えて来た歴戦の勇者だと思ったが。生首は未だに耐えられないと見える)
 アレスはタランの後ろ姿に最敬礼しつつも心の中でそう考え、無性におかしくなった。まあ、確かに……この首の無念そうな表情と言ったらない。しかも羊水に浸されて逆さに浮かぶその形相は、いかな歴戦の勇者といえど見るに耐えないものに違いない。
(……私はなんとも思わんがな)


 アレス自身は、凄惨な死体を山のように見て来た……それは彼の出身、彗星帝国ガトランティスが行って来た数々の殺戮と蹂躙の産物であった。

 生き物の残骸、とでも表現するのが妥当な、敗残兵や脱獄囚の成れの果て、…血肉の塊。彗星帝国の都市においてそれは、日常的に家庭のモニタで見るものもあれば、街角に捨て置かれ悪臭を放ち、市民の顰蹙を買う物もあった。その肉塊がどこかの星の尊い民の命であったことなど、彼ら彗星帝国人民にとっては何の意味も持たない。彼らは軍に属さずとも、行く先々での殺戮を日々目の当たりにして暮らしていた——ガトランティスの大帝の人心掌握法は、そうした蹂躙の轍を自国民に見せつけ、元首に畏敬の念を植え付けることに始まっていたからだ。そうされることへの恐怖ではなく、国民全体が、自国に逆らう存在を容赦なく滅ぼすことに己の強さや誇りを感じるよう、マインドコントロールされていたのである。

 我が帝国は強い。無惨な死体に哀れみを感じる必要はない。それは帝国の意志に背いて排除された自国の民、その同胞に向けても同様だった。ガトランティスの人々は、幼い頃からそうとは気付かず、冷酷な心を持つよう強烈なマインドコントロールを受けてきたのである。
 しかしながら、アレスは生粋のガトランティス人ではなかった。あのテレザートのテレサにだけは、自分でも抑えようがないほど心を動かされていたし、残酷な生首を前に、こんなものはあの娘に見せたくないなどと心底感じている自分に気がつき、アレスはまた苦笑した。

 



 生首がもたらした情報は、しかし驚くべきものだった。

「……ワープ、ではないというのか?」
「その通りです。既存のワープ航法は一つの次元の時間軸を捩じ曲げて別の次元の時間軸へジャンプ移動するものです。瞬間物質移送は物質を元素レベルに分解し、電送する方法で、これもまた、この敵の移動方法とは違います」
「では何だというのだ…」
 訝るタランに説明するため、アレスは生首から取り出した映像をモニタに映し出した。
「……不鮮明ですが、見えますか…?…画面中央の奥です。人間が何かの装置に括り付けられているのが分かります」
「………?」


 生首の持ち主は、司令船とおぼしき巨大な船の中で、何か特異な装置に拘留された人間を凝視していたようだった。 この男自身は、幾度か他の人間から呼び掛けられた言葉からして『エッター』という名の科学者のようだ。『エッター』は、機械工学に明るいかわりに生物に関することはまるで苦手らしく、目の前で行われている何かの人体実験に対して、嫌悪に近い感情を抱いているのが脳波から観察された。流れる程度にしか残っていない他の記憶に較べ、その映像はしっかり数分間残っている。彼はかなりしげしげとその光景を眺めており、心にひどく衝撃を残したものらしいと判断できた。
「人間を繋いでいるあれは、…一種の増幅装置だと推測されます」
「増幅装置?」
「はい。おそらく、繋がれている人間の脳波を増幅し、何かに利用しているのだろうと。ただ、あの装置…既知のボラー文明機器とも相容れない特徴を持っているようです」
「ボラーの機器ではない、というのか」
「確かなことは私にも解りかねます。ですが、後方の装置は…一種の航法システムに繋がっているようにも見えませんか」
 拡大された画面をよく見れば、哀れな虜囚が繋がれている謎の機器の背後に、コンパスと思しきパネルの配置された航法装置のようなものがある。

「——あの装置に付いて、何かあたりがついているのか?」
 アレスは、過去に一度、理論構成を試みたことのある仮説を話した。

「……実現可能だとは思いませんでしたが……、人間の思念波を動力として使う航法システムではないかと」
「思念波?…それは、こう…何かを思う力のことか?」
「左様でございます。時間を飛び越える理論と基本的には同じですが、到達する場所の正確な座標が分かっていれば、単に時間を飛び越えるよりも人間の思考の方がはるかに早く移動することが可能です。ワープ航法では航路上に障害物がある場合、それを通り抜けることはできませんが、思念波を利用する方法であれば障害物があろうとなかろうと関係ありません」

 ただしこれは…、過去に自分が仮説を立てて挫折したように、通常の人間の思念波ではまるで役に立たない。
 特別に強く、ぶれることのない、一定方向の欲求を持つ人間の思念波のみが有効なのだ。…しかし、そんな人間などいるはずがない。例えば何かを願ったとしても、人間というものは諸々の都合でその思いを捨てたり、新しいものへ関心が向いたりするものだ。
「他の欲求すべてを捨て去るほど強く一つの事柄を願うのは、一時的に正気を失っているか、精神状態がすでに破綻している場合に限られます。しかし、何らかの原因で非常に強い一定の願望を持ち続けるようなことも稀にみられる……例えば、捕虜が自国へ帰りたいと願う場合などがあげられるでしょう」
「なるほど」タランは即座に頷いた。かつて自分と、敬愛する総統が一日千秋の思いを保ち祖国再建の悲願を達成したことを思えば、理解できないことではない。
「そうした何らかの一定の願望を持った人間の意識を増幅させ、エネルギー源として利用するのが思念波による航法…しかしこれは、いわば、テレポーテーションに近いものです」
「しかし、艦隊を思うさま操れるとなると、恐ろしく強い思念波であろうな」
「…その通りです…、通常の人間ではあり得ません。大脳皮質への改造手術やエンドルフィンなどの連続投与は必須でしょう。ですから、すでにもうこの人間の生命すら危うい状態なのではないかと私は推測します。そのために、彼らはさらに突発的な攻撃をしかけて来る。ゲリラ的な移動を一年近く続けさせているわけですから、動力源となる人間は精神力においても体力においてももうそろそろ限界と見るべきでしょう。……彼らの行動には、焦りが見られるのではありませんか?」
「ふむ…確かにそうだ」


 動力源として思念波を搾り取っている人間の生命が危ういからこそ、彼らは無茶な攻撃を仕掛けて来る。言われてみればそうである。そして、反物質の力を秘めた小惑星を持ち去ろうとしていたのは、新たな移動のためのエネルギー源として、死にかけている人間の代わりにそれを利用するつもりだったのだと考えれば、合点がいく。

「……お前の仮説通り、これがテレポーテーションである場合、対応策は何かあるか?」
「至極、簡単なことですが」
「簡単だと?申してみよ」
「全艦隊を本星へ帰投させ、敵の攻撃対象を可能な限り少なくするのです。彼らの出現ポイントの予測ができない以上、無駄に艦隊を展開して的(まと)を増やしても意味がありません。攻撃されても痛手のないダミー艦を代わりに散開し、敵の移動の動力源となる人間を完全に疲弊させてしまえばよいのです。燃料のなくなった船は鉄くずも同然です」アレスはそこで、タランの方へ向き直った。「……ただし、この作戦は大ガミラスとしては甚だ屈辱的なものかもしれません。いわば逃げ回って相手を消耗させるだけの作戦ですから」

 タランの渋い顔を見ずとも、この提案は果敢な戦士には受け入れ難い、消極的な作戦だろうとアレスは感じた。だが、この方法が今最も賢い選択であることは間違いない。
「いずれにせよ、この攻撃方法を防ぐ手段は今のところまったくないと言っていいでしょう。実体化する数秒の間に砲撃し、すぐに消えてしまうのでは予測防御も追撃もできませんから」
「…うーむ…。やはりデコイを置いて消耗させる作戦を取るしかないのか…」
 タランは悔しそうに呻いた。

「…反物質エネルギーを我が軍が手に入れさえすれば、すべて解決するものを」

 



 

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