奇跡  恋情(8)




 久しぶりの、充実した疲労感だ——。

 ヤマトに乗っていた頃は、古代が無理矢理16時間通しの訓練を組まなくても、こっちは何かあったらぶっ通し16時間どころではなかった。戦闘に次ぐ戦闘、間髪を入れず予定にないワープ。機関が故障したり船体が損傷した場合でも艦のバランスを保つために席を離れられない。他の者がやっと非番に入れても、航海班はそのまま非常体制…ということは常にあった。こんな風に、自動操縦で動く操縦桿を眺めていられる時間は、ヤマトの航海の中では正直、あまりなかった。訓練が計画通りに終了し、後はデータボードのチェックと整理で済むなんて、こんなに楽なことはない。今はゆっくりして、少し早く起きて筋トレでもしよう、と思える余裕があった。

 島はコンソールパネルの上においてあるデータボードに手を伸ばし、もう一度消火班の訓練結果をざっと眺めた。
(……解析は終わり…と。………このデータ上だと、消火班に何名か負傷者が出ていてもおかしくないな。…ちょっとまずい。…明日、ブリーフィングでちゃんと話そう)

 訓練だから、火災、といっても発煙筒を焚くだけだ。多少もたついても、逃げ遅れたり怪我をすることはまずない。しかし、もしも実際の火災であれば僅かな対応の遅れが人員の負傷や死亡につながりかねない。……誰一人、死んだりケガをしたりしないで欲しい、それが島の願いであった。
 艦内の火災は実際、積み荷にも甚大な影響を及ぼす。大型艦の外壁にも使われる硬化テクタイト容器に厳重に保管されている核廃棄物とはいえ、ちょっとでも容器が破損すれば放射能漏れの危険は常にある。戦闘中に危険を犯してでも分離するのは、ドッキング状態で被弾した場合、人員の集まる本艦内部に放射能が飛散する可能性があるからだ。当然小型のコスモクリーナーDも数基、各艦において常時稼働状態にあるが、シグマとラムダに人員が配置されるのは艦隊が目的地についてのち、艦内の残留放射能を完全に除去・清浄してからになる予定だった。



 片品が席に戻り、赤石が交代で非番に入る。航海班の当直交代には、まだあと1時間ほどあった。

「艦長、戻りました」後からカーネルの太い声がした。「……艦長もお休みになってください」
 島は思わず振り返る。
「ちょっと早いんじゃないか?大丈夫かいカーネル、休めたのか?」
「ええ、大丈夫です。…なんでしたら、少し練習しますか?」
「うーん…今は遠慮しとこう。ありがとう」
 苦手分野克服のため、島は出航前からカーネルに柔道の指南役を頼んでおり、時折ジムで特訓を受けていた。ケンカならまだまだ誰にも負ける気はしないが、苦手なのは突っ込んで来る相手の力を殺して受け流す方法だ。柔よく剛を制す、とはよく言ったもので、何でも力任せにねじ伏せればいいというものではない。訓練学校での授業では一通り体術を習ったが、覚えているのは受け身と背負い投げだけ、という体たらくだったのだ。

「じゃあ、遠慮なく休ませてもらうかな。午前10時からのブリーフィングで話すつもりだが、このデータに君も目を通しておいてくれないか。それから、木星宙域はかなり混雑が予想される……大越は充分承知しているはずだが、サポートをよろしく頼むよ」
「分かりました」

 大越が戻るまで、とは思っていたが、カーネルがいるのなら…と、島は席から立ち上がる。190センチを超えるいかつい背格好のカーネルは、迫力や威圧感で言えば、自分よりずっと「艦長らしく見えた」。
 一見強面の猛者に見えるが彼は、実は性格温厚な、妻と子ども達をこよなく愛する理想的な父親だった。彼がこの任に就いたのは、愛する家族を守るためだ、という。カーネルの胸元にはいつも、鈍く光るイコンがあった。日本人にとって十字架のネックレスや聖画像のような類いのものは、あくまでもアクセサリの域を出ないが、欧米人は信心深い者が多い。カーネルもご多分に漏れず、旅の安全や家族の幸福を度々そのイコンに祈っている姿を見かける。カーネルのイコンは聖母マリア像の描かれたカメオの裏に写真が入れられるような造りになっていて、そこには家族の写真が入っていることも、島は知っていた。


(——写真か)
 自動操縦モードになっていることを再度念入りに確認し、カーネルに手を上げる。第一艦橋を去ろうとして、島はふと思い出した……スーツケースの一番奥底にしまいこんだ、愛しい人の写真のことを。そういえば、彼女の写真などこの数ヶ月…まともに見ていなかった。

(ふふ…。あの写真なんて所詮……俺の記憶から作り上げたものに過ぎない。忘れない、と誓ったとは言え……これだけ見ないでいれば、忘れそうになるものだな)
 いっそ、カーネルのようにロケットペンダントでもして、中に彼女の写真を入れて持ち歩いたらどうだ? ポセイドンにいれば、それを持っていても、からかわれる心配はないし。もしくは写真立てにでも飾ろうか。

 そんなことを思いながら、苦笑する。実を言えば誰もいない艦長室に戻っても、その写真をわざわざスーツケースから出して眺める、という行為そのものに躊躇いを感じるのだった。まして、写真立てだなんて。 
 そんなことをして、平然としていられるわけがない。
 ……だから、これまでも無理矢理記憶から閉め出して、何もなかったかのような振りをずっとしてきたのじゃなかったか。


 艦長室に戻ると、どっと眠気が襲って来た。だが、…罪滅ぼしのつもりで、写真を出して見る気になった。忘れようとしていたことを、彼女に謝るつもりで。
 ベッドの下に押し込んであるスーツケースを引き出し、ちょっと躊躇ってから開ける。下敷きの中に作り込んである書類入れのファスナーを引く。パスポートや種々の証明書の間に、分厚い白い封筒が挟まっていた——
 自分で自分が可笑しくなる。……彼女の写真、一体俺は何枚作ったんだ? 封筒には、パッと見ても10枚以上のセンサーフォトが入っていた。 

 その中の一枚を、引っ張り出してみる。
 写真の中のテレサは、にっこりと笑っていた。これは……ヤマトの艦内で最後に見た、あの微笑みに違いなかった。あの後,彼女は何も告げずに船から降りてしまったのだけれど、それを知らずにいた自分は天にも昇る気持ちだったのだ……。
 島にとってはこの微笑みが、愛するテレサの顔を見た、最後の記憶だった。

 艦長室のデスクチェアに深く腰かけながら、島は写真を見つめ…指でその微笑みをそっとなぞる。
(……僕の、艦隊司令としての初めての航海を、見守っていてくれるかい…)
 これじゃあ、カーネルのイコンみたいだ、と本当に思い、また苦笑する。そして、こんな風に、整理された気持ちで彼女の写真を見ている自分に、少し驚いた。

 

 ……これで良いんだ。きみは、やっぱり女神だよ……航海の安全を導いてくれる、僕の…女神。


 デスクの上に写真を伏せ、室内着に着替え始める。シャワーは、目覚めてからでもいい、くたくただ…… そして、写真を取ってベッドにごろりと横になった。
「……おやすみ、テレサ」
 胸に写真を抱いたまま、島は眠りに落ちた。


 



「総統!!」
 タランの慌ただしい様子にちょっと苛立ちながらデスラーは無愛想に返事をした。「なんだ、タラン」

 デスラーはお気に入りのジャングル風呂に入っている最中で、よほどの事がない限り、その楽しみを邪魔するなと言っておいたはずだった。
「おくつろぎの所、申し訳ありません!急ぎご報告する必要のある案件がございます」
「……テレサが目覚めたのか?」
「は、いえ…それはまだですが…。例の敵艦の一隻を拿捕することに成功いたしました」
「それは本当か」入浴を邪魔するに足る用件と言うわけだな……よし。
 デスラーはにやりと笑い、ザバリと浴槽から立ち上がった。素早く小姓たちが近寄ってきて、彼の身体に流れる水滴を拭き取り、バスローブを着せかける。
「ゴルデオン将軍の艦隊が現在拿捕・曳航して本星に向かっている所でございます」
 タランがかしこまって、従者に持たせたプロジェクタの画像を見せた。
「………これは…」
「お察しの通り。これはボラー連邦の艦船です」


 …ベムラーゼめ、死してなお私の邪魔をするつもりか。
 ち、と舌打ちする。


 タランが映像の角度を変えた。「こやつは消えようとしていた最後の一隻で、上手い具合に牽引ビームが艦腹に当たりまして、そのまま捕えることができたようです」
「新しいワープか」
「この船の乗組員を尋問すれば、何もかもはっきりいたします」
「ふむ…」
 デスラーは広い浴室から脱衣所へと歩を進める。小姓たちがその間に彼に総統のトレードマークである軍服を着せ、マントを装着していく。 
 謁見の間に通じる通路で、後から別の従者が走って追いついて来た。
「…タラン副総統!」
「何事か!」タランは振り返り、念のため腰につけている銃剣の束に手をかけた。
「申し上げます!ただいま、ゴルデオン将軍より通信が入りました!敵艦の乗組員は一名を除いて全員アンドロイドだったとのことです!」
「何…?」
 デスラーはゆっくりと振り返った。
「人間は一人、乗っていたのだな?」タランが従者に念を押す。「…であれば尋問には充分だ」
「いえ、それが……」従者は躊躇ったがすぐに続けた。「人間の乗組員はアンドロイドの頭脳中枢を破壊し、すべてのデータを消去したのち自害したとのことです」
「なんということだ……!」タランは頭を抱えた。だが、デスラーはすこぶる冷静だった。生きていようが死んでいようが、人間を確保したのであれば問題ない。
「…タラン、自害した者の脳髄から情報を引き出す方法があろう。ウォードを呼べ」
「は……、科学局のアレス・ウォードでございますか」
「そうだ。急げ。ゴルデオンには自害した人間の首を人工羊水に浸して早急に持ち帰れと伝えろ」
「はっ!承知いたしました!」

 タランは報告を持ってきた従者とともに、慌ただしく走り去って行った。

 

 

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