洋画アテレコ(2)「黄昏のチャイナ・タウン」

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『黄昏のチャイナ・タウン』1990年


<あらすじ>
 1948年、胡散くさい地震が頻発するロサンゼルス。ある日、私立探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)の元に建設会社B&Bのオーナー、ジェイク・バーマン(ハーヴェイ・カイテル)がやって来る。彼から妻・キティ(メグ・ティリー)の素行調査を依頼されたジェイクは、あるモーテルで彼女の浮気現場を盗聴する。ところがそこに突然バーマンが踏み込み、妻の愛人・ボディーンを射殺してしまう。実はボディーンはバーマンの仕事仲間だったことから、事態は思わぬ方向へと進んでいく。さらに調査を進めていくうちに、この事件の裏には10年前にジェイクが関わったあの悲劇的な事件が絡んでいる事が判り…。
 巨匠ロマン・ポランスキー監督の1974年作品「チャイナタウン」の続編。前作に続き主演を務めるジャック・ニコルソンが監督も兼任する、大人の香り漂うハードボイルド・ミステリー。共演陣も「U-571」のハーヴェイ・カイテル、「12モンキーズ」のマデリーン・ストウ(ボディーンの妻リリアン)ら実力派スターが勢揃いしている。

 私立探偵 ジェイク・ギテス     (ジャック・ニコルソン/仲村秀生)
 依頼人  ジェイク・バーマン    (ハーヴェイ・カイテル/小林勝彦)
 ジェイクの妻 キティ(キャサリン) (メグ・ティリー/勝生真沙子)
 ボディーンの妻リリアン       (マデリーン・ストウ/高島雅羅)

 ほか


 
 ※この映画は、ロマン・ポランスキー監督のフィルム・ノワールにJ・ニコルソンが監督・主演をつとめ、続きを作ったものです。前作を観ていないと話の枝葉が分かりにくいかもしれません。前作の「ここがチャイナ・タウンなんだ」という名文句を引っ張ってか、タイトルは「黄昏のチャイナ・タウン」ですが、原題の「The Two Jakes」のほうが分かり易いと思ったのは私だけでしょうか…。主人公のジェイクと、依頼人であり今回のキーパーソンであるジェイク・バーマン。二人のジェイク、ですものね。



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 個性派俳優ジャック・ニコルソンの、ハードボイルド探偵映画。ニコルソン自身がものすご〜く自分をカッコよく演出しているので、ちょっと地に足の着かない印象がありますが、日本語吹き替えの秀生さんの声が素晴らしく落ち着いていて、そのフワフワした居心地の悪さをバッサリ撃ち落しているので帳消しです(笑)!!
 ストーリーにはハード・ボイルドの要素が満載。孤独なアンチ・ヒーローの中年私立探偵、不可解な暴力事件、登場人物の人間関係に隠された過去の傷、ファム・ファタール的な被害者の元妻。加えて主人公は美しい婚約者を放ったらかしていて、最後には振られてしまうと言うオマケ付き。



 秀生さんは、理知的で『動よりは静』、といった役柄をされることが比較的多いのですが、「だからそういう役でなくちゃ観たくない!」なんてことは全然ありません。

 こういうと「おかしなヤツ」と思われるかもしれませんが……
 実を言うと、秀生さんの「殴られている時の声」が魅力的で好きだったりします…(変ですね、私、変ですね!!わぁあ〜すいません!)もちろん「殴られる演技」なのですが、演技に解剖学まで感じてしまうのは、気のせいでしょうか。

 顔を殴られる時と、腹を殴られる時では、秀生さんの声の演技は違います。

 例えば「あしたのジョー」で、力石の対戦時の演技を見ていると分かり易いのですが、人間は、声の出る口元(顔)を殴られる場合と、腹を殴られる場合とで出る声が
当然違いますよね。
 また、「殴られる」と分かっていてパンチを受ける時に出る声と、無防備に殴られてしまうときの声とはさらに違うものです。この映画の主人公ジェイクも殴られますが、ここでは案外不甲斐なく「殴られてくず折れる」という演技。同じ殴られて出る声でも、これだけ違う演技が意識的に演じ分けられている、それがやはり凄いと感じましたが、…どうでしょうか。


 
 ちょっと話が飛びますが、「宇宙戦艦ヤマト」の「完結編」(1983年公開)、ささきいさおさんが秀生さんの持ち役「島大介」を代役で演じていられた時。
 島大介は最後、腹部を負傷して死ぬのですが、ささきさんの演技だと「島は腹筋に力が入った声で今際のきわに古代と話している」んです。腹をやられてそのせいで死にそうになっているのに、です。こんなことを素人が意見しては失礼なのかもしれませんが…、私にはそう聴こえました。
 しかしその直前、おそらく一ヶ所だけ、秀生さんが別録りで島大介の声を入れている(と思われる)シーンがあります。
 負傷した腹を庇いながら操縦を続け「そうだ、ロケットアンカーだ…」と苦しそうに呟くシーンですが、その時の島大介は「腹に力が入っていない」。腹部を撃ち抜かれたまま操縦しているのだから、それが本来の演技であるはず……
(秀生さんはヤマトの録音の時のことはあまり話してくださいませんが、たった一カ所でも秀生さんがアテておられるのがどこか、とファンは探すものですから、ちょっと引き合いに出してみました。(苦笑)※もしも、上記の台詞が私の勘違いだったらごめんなさい…!!)

 総じてそれらを勝手に「呻き声の演技」なんて呼ばせて頂きます(笑)が、
 顔を殴られる、腹を殴られる、受けとめる、無防備にやられる、ぶつかる(事故なども)、怪我をしている…の呻き声が全部区別されているというのが、とにかく凄い。
 どこを殴られるかで声の出方が違う、しかもぶつかって出る声ともまた違うことを意識されているわけですから、脱帽です!




 さて、もうひとつ、書いておかなくてはならないシーンがあります…もちろん、ヒロインたちとの絡みです。ミステリに関しては、前作との兼ね合いがあるので省きますが…
 被害者の妻リリアンとの絡みは、ハードボイルド物ならではの「主人公の役得」感が否めませんが、前作で関わりのあったイブリン・モウレー(フェイ・ダナウェイ)の娘キャサリンが、実は今回のキーパーソンのバーマンの妻キティであったことを知った後の、ジェイクの演技が秀逸でした…!



 キティもリリアンも、夫との夫婦生活から遠離っていて、そのせいか主人公のジェイクに魅力を感じ彼に迫ってしまう、という筋なのですが、その辺は、徹底的にニコルソンが得をするようになってますね(笑)。ハードボイルドの鉄則、とでも言う展開です。
 リリアンとは「ジェントルマンでいようと思ったが、もうだめだ」と情事になだれ込んでしまうジェイクですが、一方のキティに対しては彼女がずっと探していた曰く付きの女性の娘であったことから、ジェイクは彼女をなだめ、諭して思いとどまらせる。
 そのシーンの演技。
「キャサリン…」
 名前を呼ぶだけの台詞、でも、君を愛しているのだからそんなことはできない、という感情が「声に」溢れている……娘とか、愛し守らなければならない相手に対してだけ聴かせる、とっておきの声。


 …私、何が好きかって、仲村秀生さんのああいう演技、声音が最高に好きなのですよね……。


 秀生さんは、ハードボイルドもアクションもSFもイケルのですが、やっぱりその演技の原点は、ラブ・ロマンスもの、なのです。キティ(キャサリン)に対する声で、それが良く解ります。


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 さて、ラブ・ロマンスものが仲村秀生さんの演技の原点、と勝手に結論付けてしまいましたが、その決定的な証拠を見つけました(笑)!!
 秀生さんが「世界一の映画」と絶賛される作品です。




「天井桟敷の人々」1945年

 原題:Les enfants du Paradis「楽園の子供たち」
 190分/モノクロ  フランス映画
 「犯罪大通り」(Le Boulevard du Crime) と「白い男」(L'Homme Blanc) の2幕構成

 第二次世界大戦中、ヴィシー政権下のフランスで製作された映画。製作期間3年3ヵ月、製作費16億円は、当時としては破格の規模。
 1946年、ヴェネチア国際映画祭で特別賞を受賞。1979年、セザール賞特別名誉賞を受賞。同年フランス映画史上ベストワンに選ばれ、日本でも1980年、キネマ旬報日本公開映画外国映画史上ベストワンに選ばれました。「好いた者同士にゃパリも狭い」「恋なんて簡単よ」といった名台詞を生み出したジャック・プレヴェールの脚本でも知られる名作。


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 とりあえず、まずは「私の感想」を書いてみましょう……

 モノクロ映画です。日本で公開されたのが1952年。…私が生まれる13年も前の作品です。
 では、その魅力は色褪せているでしょうか……観てびっくりしました。
 ネットで読める講評は軒並み「絶賛」ですが、時代を経てさすがに遜色があるだろうと思ったら、えらい間違いです。

 とにかく、台詞がすごい。まだ一度観ただけなので、記憶に残っているのは一幕・二幕に共通のキーワードとして出て来るガランスの「恋なんて簡単よ」なのですが、それぞれの登場人物の台詞がとてもよく練られていて、とてもセンスがいい。まるで宝石箱のようにお洒落で粋な台詞が散りばめられていて、うーん、と唸ってしまいました。文章を書く上でもお手本にしたい台詞回しが満載です。


 ストーリーは、平たく言えばラブ・ストーリーなのですが…ラブ・ロマンスの本場?フランスの恋愛ものです。公開当時は、時代の最先端を行くお洒落なラブ・ロマンスだったことでしょう。いや、今の時代でもあんなに「粋な女」「純愛に生きる男」って、日本にはいなさそうです。
 190分の長尺にも関わらず恋の行方に目が離せません。粋な名台詞で有名なこの映画ですが、主人公のひとり、バチストったら、なんと「無言劇」の花形なんです。しかしさすがに、無言の彼の『表情の演技』には参りました。5年もの歳月をたった数秒の悲しそうな表情で表すクライマックス。この役者さんはヒロイン・ガランスとの出会いの最初から、パントマイムが素晴らしい。

 対比するように登場する台詞劇俳優志望のフレデリック・ルメートルですが、彼は台詞がとても多くて、しかも饒舌。典型的なパリの色男です。秀生さんが『声を当てるとしたら』この役、かもしれませんね。(でも、秀生さんが役者として『演じたい』のはバチストでは?…そんな気がします)

 唯一の悪役、ラスネールが一番、感情移入がしにくかった。何考えてるんだろう、この男。終始そんな感じ。でも、それがこの人物の持つ役割なのでしょう。この人も、ひねくれてますがガランスを好きなんですよね…。不思議な人です。

 一番分かり易くて、一番可哀想なのがモントレ—伯爵。ガランスに対して、きっと「これを言ったらきっと彼女もイチコロだろう」と彼が信じて疑わなかった告白の台詞は、あっけなく撃沈されてしまいます……最後まで報われず、しまいにはラスネールに殺されてしまう。

 この4人が男性キャラクターの軸。



 さて、彼らがみんなして好いているのがヒロインのガランス(garance)。フランス語で、「茜」。花の名前です。沈んだ赤…茜色。画面が白黒なのでわからないのが残念ですが、きっとガランスは茜色を身に着けていたことでしょう。
 奔放で、孤独な身の上にも関わらず笑いを忘れない陽気な女性。知的な会話を楽しみたくて、色恋抜きで付き合えるラスネール(彼は代書屋さんをやっていますが裏では悪辣な稼業にも手を染めている)のところに遊びに来ますが、彼女の仕事は犯罪大通りのストリッパーです…
 あのガランス役の女優アレッティは、撮影当時なんと47歳だったそうですね!!驚きです。彼女の場合はきっと内面から出て来る魅力、というものが加味されているのでしょう。中身が大事、の典型かもしれません。
 彼女に心底参ってしまうのが、犯罪大通りのフェルナンビュール座の無言劇俳優、バチスト。で、間の悪い事に彼には座長の娘ナタリーが恋をしています。

 このもう一人のヒロイン、ナタリーは一見、分かり易い「恋のライバル」的な女性みたいな気がしますが…ああ、ちょっと私には妙な既視感がつきまとってしまいました(若かりし頃の自分みたいで…苦笑)。

 私はこんなにバチストを思っているのだから、きっと私たちは結ばれる。

 そうでなくてはならないの!

 …そんな狂信的なまでの一方的な愛情表現が、怖いくらいです…



 余談ですが、洋画のヒロインは昔から、フランスだろうがアメリカだろうが「とにかく強い!」。
「あなたは黙ってて!!」と愛する人にもビシッと釘を刺して、言いたいことを言うんです。…実際に交際している自分の恋人があの強さだったら、日本人男性としては音を上げそうではありませんか?
 でも、秀生さんがあの映画をご覧になったのは日本での初公開時、だとすれば秀生さんはまだ10代(17歳?)でいらしたわけですが、現代の若い男性でも「あんな強い女はちょっと」と思うだろうヒロインたちです。それを、どう感じられたのでしょうか…
 私にとってフランスの小説で一番馴染みが深いのは「椿姫」(『La Dame aux camelias』アレクサンドル・デュマ・フェス/1848年)なのですが、あれのヒロイン、マルグリット・ゴーティエもしなやかな強さを持っています。美しくて奔放に恋をしますが、本当に愛した相手とは結ばれず、凛として去って行く。ガランスのヒロイン像は100年前の「椿姫」を踏襲しているように見えます。彼女たちはフランス大衆文学史上における愛される女性像、と言えるのかもしれません…フランスの男性は、ああいう女性がスキなんでしょうね(笑)。



 さてこの映画、誰に感情移入して観るかによって、面白みが変わります。言い換えれば、男性4人、女性2人の視点から楽しめるわけです。…もう一人付け加えるとすれば、通して最初から登場する古着屋のおっさん・ジェリコ。彼もずっと追って行くと面白い。一人、彼だけがずっと真実を言い当てているような感じがします……終始、バチストは「お前は嫌いだ!」といって彼を避けますが、それはジェリコが一番正しいんじゃないか、と彼が薄々思っているから…なのでしょうか。

 私は例によって、ナタリーから目が離せませんでした。最初から「あああ、そんな愛し方じゃ、バチストはあなたになびかないよ…」と思いましたが、それは今の私だから言えること。かつて、自分もナタリーみたいだったことがあるからです。
『こんなにあなたのことを思っているのだから、きっとあなたは私を愛するようになるはず!!』 
 その気持ちは分からなくはないですが、これは絶対に失敗する愛し方です……古今東西、これで成功した恋愛は多分、どこにもないのでは。

 このタイプの思い込みの恐ろしいところは、「恋している本人はまったく失敗だと思っていないこと」です。スキスキスキ!!という気持ちは純粋ですから、それをぶつけられた相手は戸惑いつつもそれほど嫌な気はしません。でも、単に憎からず思うだけである場合が多いので、本気になるほどではない、のです。
 案の定、バチストもナタリーを憎からず思っていますが、ガランスとの出会いにナタリーのことは途端にどこかに吹っ飛んでしまう…。

 第一幕の終わり、あらぬ嫌疑をかけられたガランスは、モントレー伯爵の名刺を出して、自分にかけられた疑いを晴らすことで(おそらく)自分からバチストのもとを去ります。その間、第二幕までの間に、ナタリーはようやくバチストを射止めるのですが、ガランスがお忍びの伯爵夫人として帰って来ると、子どもまで居るにもかかわらず、彼は飛び出して行ってしまう。
 ここクライマックスではすでに、ナタリーは完全なる脇役です…バチストとガランスの二人に大概の人たちは感情移入するでしょうから、置いて行かれるナタリーに心を痛める観客は少ないのかもしれません…子どもを使ってガランスを追い払おうとするところなど、ナタリーのやり方は一見フェアではないように見えますが、あの脚本を書いた人はスゴく良く彼女の心理が分かっているなあ、と思いました。
 なんだか情けないのですが、私にはナタリーの行動の理由も彼女の気持ちも分かります。どうしていいのか分からなくて、彼女にはああすることしか出来ないのです。

 ひとつ、ナタリーにとって「救い」となっただろうことは、「バチストが嘘を吐かなかったこと」ですね…

 ナタリーとの間に子どもまでいるけれど、ずっとガランスを忘れることが出来なかったバチスト。
 詰め寄るナタリーに、バチストは言葉では答えない。嘘もつきません。謝るわけでもない。ただ、悲しそうな顔で黙っているだけ。


 ……アレをやられたら、もう引き下がるしかないです……。


 だから、私もナタリーを我知らず応援しながらも、彼女を捨てて行くバチストをなじることが出来ませんでした。
 秀逸な脚本も素晴らしいですが、ここがあのバチストを演じたジャン・ルイ・バローという役者さんのスゴいところでしたね…。そこまで全編を彩って来た瀟洒な台詞の数々も、あの無言の表情ひとつに一挙に霞んでしまうのですから。




 さて、一人で勝手にあれこれ呟いてみましたが、秀生さんもお気に入りのこの映画…、もう50回は観られたそうな、いやもっと多いかも?とのことです。一見の価値有り、私もそう思いますよ!現在ある様々な恋愛ドラマの基本、原点がこの映画にはあります。
「大放浪」や「ギャノン」で聴かせてくださるロマンティックな台詞回し、その原点が実は、おそらくバチストのあの「
表情」、だったのではないかしら…?と私は勝手に思いましたが、そうすると。

 ……やはり、仲村秀生さんが「声優」「当て師」としてのみ活躍されたことは、すごく勿体なかったなあ!と思う次第。ロマンスを演じている時の秀生さんの表情は、どこにも出て来ません。ですが、あのお声に表れる優しさや情の深さといったものを、きっとその表情にも溢れんばかりに出して演じておられたのでしょうね。

 スタジオの中で、マイクに向かって見せるだけだった秀生さんの表情の演技。見てみたかったな……と、ふと…思いました。

 

 

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