洋画アテレコ(1)「The Abyss」

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 2010年公開の大ヒット映画、「アバター」のジェームズ・キャメロン監督作品、1989年制作のアメリカ映画です。日本公開は1990年3月。1991年11月にフジテレビ「ゴールデン洋画劇場」で放送されたときは、主人公のCVは大塚明夫さんでした。

 その後発売されたDVDで、エド・ハリス扮する主役のバージル・ブリッグマン(バッド)の吹替えをされたのが我らが仲村秀生さん。お相手役は、高島雅羅さん(リンジー・ブリッグマン)です。後に1990年公開の本編に30分が付け加えられ、後半のストーリーが大スペクタクルに部分変更された「アビス/完全版」(171分)が発売されました。DVDに含まれるメイキング映像部分で、ジェームズ・キャメロン監督自身がなぜ30分をカットしたのか説明していますが、その賛否については観る人それぞれの印象で違うと思います。今回このレビューで扱うのは、最初に公開された141分の方。主演の秀生さんがお勧めするのもこちらです、とだけ言っておきましょう。



<ストーリー>
 深海油田発掘基地付近の海域で、アメリカの原子力潜水艦が未知の物体との遭遇の末、行方不明となる。海底基地<ディープ・コア>のリーダー、バッドをはじめとする潜水クルーたちは原潜捜索のため、暗黒と水圧が支配する未知の海溝「アビス」へと向かう。
 そこへ、バッドの別居中の妻また<ディープ・コア>設計者/科学者でもあるリンジーと共に、原子力潜水艦に積まれた核弾頭の回収のため、コフィ大尉率いる米海軍特殊部隊“シール”がやって来る。
 ハリケーンの襲来のため海上基地“エクスプローラー”との連絡を絶たれる<ディープ・コア>。その危機的状況に加え20人に1人は適応できず身体に異変を生じるという深海での活動……コフィ大尉は不慣れな環境におけるストレスと重責へのプレッシャーから体調に変化が現れていることを隠し続け、次第に正気を失っていった。大尉は、原潜を沈めたのがソ連の陰謀だと言って譲らない。しかし、真実は海底深くに潜む未知の生物の仕業だったのだ。 
 回収した核弾頭を巡るディープ・コアのクルーたちとコフィ一味との攻防戦…結果、逆上したコフィは海溝の底へ核弾頭を落してしまう。深く沈んだ核弾頭を無力化するため、バッドは人類未踏の深度へと単身潜航する。
 が、そこに待っていたものは、地球外生命体の大都市であった——



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 この「アビス」、実はネット検索をすると「日本語吹替え版」についてはバッド役CVは大塚民夫さん、でしか出て来ないんですよ……なぜなんでしょう。ウィキペディアですらそうなんですけど…。アマゾンなどで商品を検索しても、日本語のCV配役までは出て来ないのです()。
 で、どうして秀生さんが主役の吹替えをされていることを知ったかというと、実は秀生さんのご長女さん(風間美緒さん/現在はセラピストとして沖縄で活動されています)のブログで紹介されていたからなんです。

※ 2010年4月にはウィキペディアにて完全版の配役が加筆されました。ちゃんとバッド役が秀生さんになっています♪(でも、完全版以前に発売されている141分版でもずっと、秀生さんがバッド役でした。日本語の完全版は、かなり後になって同じ配役で部分的に録音されたもので、それを付け足して編集しているのだそうです)

 以下に、美緒さんの了承を得てブログの文章を抜粋。父娘で同じ職掌に就き、互いに評価し合えるなんて…なんて素晴らしいことでしょう!




 ジェームズ・キャメロン監督の「アビス」という作品のDVDでは、私の父(仲村秀生)が主役のエド・ハリスさんを当てているが、やっぱりどうしてもあんな風に演じる声優さんていないものだなと思う。
 父の演技はエド・ハリス本人以上に彼のからだから声があふれているように聞こえる。彼のパッションや筋肉の動きにふさわしい声と台詞まわしが彼の英語の台詞のニュアンスを、それ以上に日本語として表情豊かに聞かせる。
 そういう吹き替えを私はいまだに父以外の演技に見たことがない。

 つまり当て師はハリウッドスターの演技を理解したうえでさらにアテレコのテクニックに長け、自身も同等の魅力ある演技ができていないとなかなかオリジナルに取って代わる感動を与えることはできないわけだ。

 演技の真髄を体系立てて教え、なおかつぶつかって競い合い磨かれていくくらいの教育、育成の場が確立されていないことは日本の表現芸術においては致命的だとやはり思う。
 
 80年代に野田秀樹さんが30歳くらいのとき
「イギリスなんかでミュージカルを見ていると圧倒的に思うことは
日本では天才が出てきてもそれは突然変異で終わってしまうけど
むこうでは、すごいのが出てきてこれはすごい!なんて言ってると
またそれ以上のが出てくる。どんどん出てくる。そういう基盤がもうすでにある。」
なんて言っていたのをよく思い出す。
 日本ではそういうのが期待できるのはやっぱり歌舞伎界くらいなんじゃないかと思う。
 幾世にわたるDNAの、目覚めと気づきと鍛錬の壮大な記憶。
 すばらしい演技ってそういうのが絶対に必要なものなのだ。

(以上/一部を抜粋)

 



 何だか、これ以上の感想はないような気がします。言いたいことは全部言われてしまったような。
『ハリウッドスターの演技を理解した上で、さらにアテレコのテクニックに長け、自身も同等の魅力ある演技が出来』『オリジナルに取って代わる感動を与える』ことができる、という点で『仲村秀生の演技』以上のものを観たことがない——…それが美緒さんのご感想です。素晴らしい賛辞…!
 強いて付け加えるなら。秀生さんの声を持ったハリウッド俳優は、ことごとくファン(というか私?)のハートを射止めてしまいます、とそれも言いたい!(ああ、ミーハーな意見でぶち壊しだ……美緒さん、ゴメンなさい〜)

 


  
 さて、「The Abyss」。私自身の感想としてはこの作品、どうだったのか。

 まず、主人公のバッド(バージル・ブリッグマン)ですが、扮するのは「アポロ13」などでもおなじみのエド・ハリス。この方も比較的社会派の作品・知的な役柄の多い俳優さんですが、今回はどちらかというとワイルドな役まわりです。劇中、悪役との格闘シーンもありますし、常に体力資本、といった筋立てになっていますから。
 「アポロ」13でもそうでしたが、エド・ハリスは「逆境での精神的底力」というのを演じるのが上手な役者さんだと思いますね。
 その彼の英語の演技を、見事に日本語で演じているのが秀生さんです。ただの荒くれ者ではなく「理性的なタフガイ」というキャラが、相変わらず秀生さんの個性とドンピシャなんですよね。

 人望の厚い海底基地のリーダー。仲間のクルーたちからは絶大な支持を受けている。しかし別居中の妻との仲はこじれ、上手く意志を伝えることが出来ない…ワイルドさの中にそんなお茶目な一面のあるバッド。妻リンジー役の高島雅羅さんがまた、憎たらしい勝ち気な演技で光っていました。
 劇中、最初は妻とのやり取りの中で突き当たってばかりいるバッドですが、後半、妻自身の提案で「彼女を溺れさせて水中を運ぶ」という選択をせざるをえなくなるシーンがあります。自分を故意に溺死させ、数分後に蘇生させればいい、という妻の提案に戸惑うバッド…土壇場でやはり恐怖にたじろぐリンジー。潜水服は一つしかなく、泳ぎが上手いのはバッドです…極限の選択とはいえ…溺れていく妻を抱きしめて耐える夫の演技は凄い、のひと言に尽きました。
 その後、彼女を蘇生させるまでの間に見せる慟哭も胸に詰まります……演技とは、「感覚の再現」であるとどこかで読んだ記憶がありますが、愛する人の死に直面したパートナーの感覚の再現、なんて…。
 エド・ハリスの、それこそ自分の息つぎも忘れてしまったような断腸の叫び。
それを見事に日本語で再現した秀生さんの演技…エドが本当に涙を迸らせつつ叫んでいたのと同様、秀生さんも泣きながら叫んでいましたね…。

 結局、どうにか妻のリンジーは蘇生しますが今度は夫のバッドが命を賭けることに。
 この物語のクライマックスは、液体呼吸をしながら深海へと潜り、核弾頭を無力化するバッドの決死のミッション。前人未踏の深度への潜水は、片道切符を覚悟してのもの。ここでは残念ながら、声の演技はエド・ハリス、秀生さんともありませんが、ラストで生還したバッドとリンジーの言葉に、すべてが託されています。 love you,wife…という劇中の通信での「文字」も良いですが、最後の一言、互いに名前を呼び合うラストシーンがとても素晴らしかった。


 いつも思うことですが、秀生さんのお声聴きたさに見始める映画やドラマなのに、いつの間にかそれをすっかり忘れてしまうことがあります。それはどういうことなのか…といいますとね…
 すっかりその作品世界に魅了され、取り込まれてしまうからなのです。この俳優さんが秀生さんのお声、だという認識は頭の中に常にあって、私はそれを意識して見ているはずなのですが、いつの間にか心はそのことを忘れて物語の世界に引き込まれてしまう。つまり、それだけ秀生さんの演技がオリジナルに肉薄している、もしくはオリジナルの俳優の演技をも凌駕しているから、としか思えません。美緒さんの言葉を借りれば、それが「オリジナルに取って代わる」という現象なのでしょうね。
 しかしそもそもアテレコというのは、そういう風に感動を観る人に与えられるものでなくてはならないはず…。そこのところが、当て師としての役者の真の技量だと思いませんか?



<洋画のアテレコ>

 さてこの映画。「アバター」などから見ると興業成績そのものは下回りますが、SFXが出始めた頃の作品としては非常に先駆的な映像で、深海の様子をCG で表現したことや地球外生命体の描写などの評価は非常に高かったと記憶しています。
 映像、シナリオ、特殊効果などさすがはジェームズ・キャメロン、というのはさておき…(私自身は実は、このキャメロン監督の元妻キャスリン・ビグロー監督の作品の方が好きなんです。「K-19」「ハート・ロッカー」いいですよ〜〜)皆さんは「洋画のアテレコ」って正確にはどのように行うのか、ご存じですか?

 私、アニメのアテレコのやり方は大体分かっていたつもりですが、洋画の吹替えのことはあまり知りませんでした。ある書籍で田島令子さんが初めて洋画のアテレコをされたときの苦労話を読んで、初めて知ったんですね、その詳細を。

 洋画、ですからモトの台詞は全部英語(外国語)です。アテレコをする役者さんは、片耳にイヤホン(レシーバー)を付けて英語の台詞を聴き、もう片方の耳からは共演者の声を受ける。手には台本。右利きなら左手に台本を持って、右手でページをめくるわけです。そうしながら、画面の俳優の呼吸に合わせてブレスをし、日本語のセリフを喋るんです。
 秀生さんからお聞きしましたが、主役は大体、スタジオの左端に位置するそうです。左耳に英語のセリフの流れるイヤホンを付け、右利きなので左手で台本を持って右手でめくる、右耳からは他の役者さんの声を受けつつ共に演技。
 
 ………これ、スゴくないですか??

 昔、エレクトーンを習っていた時、ピアノの弾けない友人に「……右手と左手の動きが違う上に、左足でも鍵盤を弾いて、その上右足は音量調節のペダルを踏むわけだ。しかもその上、マイクに向かって歌う……!?なにそれ、ほとんどビックリ人間芸だよね」と言われたことがありますが(笑)。確かに、シンセサイザーを使って演奏しつつ歌う場合、未経験の人から見たら「スゴい芸」に見えるのかもしれません。
 ですが、このアテレコというものも大概凄まじく特殊な技術ですよね…。五体と五感すべてを駆使しなければ満足な演技はできない、とすぐにわかりますもの。
 映画の吹替えの場合、日本語と英語を同時に聴くことはできないですが、テレビの「二カ国語放送」だとそれが手に取るようにわかります。



 再び引き合いに出しますが…
「外科医ギャノン」はテレビの二カ国語放送でした。テレビの主音声は英語、副音声は日本語なので、モノラルにはなりますが副音声で聞けば日本語で見られるわけです……しかし、そこを敢えて二カ国語の二重放送で聴いてみますと。

 ゲスト役(レギュラーではない、一話のみの客演。特に新人さんと思しき若い声)の役者さんは、大体が英語の台詞より0.5秒くらい遅れて発声するんですね。英語のセリフを耳にしてから、自分のセリフを喋っているのが良く解ります。
 ところがですよ、主演のギャノン役の秀生さんの場合、なんと主演俳優と発声がほぼ同時。見事にシンクロしているんです。まさにベテランの職人芸…。
 セリフと言うのは、先に息を吸ってからでないと当たり前ですが喋ることが出来ません。画面の中の俳優も、当然ですがブレス(呼吸)をしているわけです。画面の中の俳優さんと、その「呼吸」がピッタリ合っていなければ、同時に発声することは不可能です。長い間、同じ俳優の喋り方を観察していれば慣れて来る、とは言いますが……。
 それにしても驚いたのは、「主演俳優が背中を向けて電話しているのに対して寸分の狂いもなく同時に声をアテて」いらしたシーン。主演のチャド・エベレットの呼吸のリズムまでを完璧に体得していて合わせているとしか思えないのです。その上、オリジナルの英語のセリフと同じか、それ以上の感動を日本語にして聴かせなければならない、つまりそこで秀生さんご自身の演技力が発揮される。
 うーん、もうただただ驚嘆、というほかはありません。新人だと「台詞をタイミングに合わせて喋るので精一杯」というのは良く解ります。



 「声のスターのすべて〜TV洋画の人気者」 (1979年/近代映画社) という書籍の中で、秀生さんご自身も仰っているのですが、
『アテレコって不思議なジャンルだと思うんですよね。TVができて自然と生まれて現在に至っているわけですが…とにかくやっていて面白いんですよ。(中略)うまくいった時なんか、よく競馬で言われる人馬一体と同じようにアテる俳優とピタリ一致して、まるで画面の向こうから自分が喋っているかのような気がして快感を覚えますね。心理的なもの、技術的なものなどいろんなものを使って組み立てて行くものだから、忍者のような仕事というか、アテレコはかなり高級なゲームじゃないかという気がするんです』(P.170より抜粋)

 外科医ギャノン役のチャド・エベレットは、発声する前に無音で口を開けることがあります…多分本人は、無意識にそういうクセのある演技をするんです。私も、見ていてそれには気がつきました。秀生さんはそれもちゃんと分かっていてアテていらっしゃる。しかしそれにしたって、台本を見ながらそんな画面の細かいところまで……!?とひたすら感心するばかりです。呼吸までシンクロする、というのが秀生さん曰く、「忍者のような」「人馬一体」の所作なのだ、と言う訳ですね。

 他にも、「サンセット大通り」のウィリアム・ホールデン、個性派俳優マーロン・ブランド「蛇皮の服を着た男」(これは観たかったなあ…!!マーロン・ブランドが若い!!しかも秀生さんの声ですよ?想像しただけでドキドキものです)、「愛の狩人」のジャック・ニコルソン、「NOBODY’S FOOL」のポール・ニューマン…等々の劇場用映画、「エディの素敵なパパ」のビル・ビクスビー、「陽気なネルソン」のリッキー・ネルソンなどのTVシリーズ…秀生さんの洋画のアテレコ作品は枚挙にいとまがありません。

 ちょっと悔しいと思うのは、「持ち役制」のこと。
 例えば、チャールトン・ヘストンなら納谷悟郎さん、クリント・イーストウッドなら(故)山田康雄さん、というように、アテる洋画の俳優が当時はイメージで決められていたのだとか。そのほとんどが決まってしまったあとの時期に秀生さんはアテレコを始められたため、持ち役と言うのがありませんでした。自由にキャラクターを演出できるという柔軟性はあるし「誰にでもなれる」という無限の可能性は潜在していますが、やっぱり代表となる吹替えの俳優さんが居たら良かったのに、とは私もちょっぴり思います。
(でも、実は秀生さん…あの「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルの吹替えを演ったこともおありなんですよ……レット・バトラーですよ!?実はワタクシ、昔からレット・バトラーがすごくスキで……。秀生さんのレット・バトラー!!間違いなく卒倒ものですよ!! いや〜〜〜一度で良いから観てみたかったです……。但し、これはJALの機内映画だったということなので、多分もう記録としては残っていないのかもしれませんね…)


 アニメから仲村秀生さんのファンになった私ですが、気がつくと秀生さんの演じるどの俳優さんを見ても目がハートになってしまっています(笑)。物語の最中はぐっと引き込まれていてすっかり秀生さんのことを忘れてしまいますが(ごめんなさいっ!!)お話が終ると、ちゃんと元に戻るんですよ。

 改めて思うのですが、どの俳優さんをアテておられても…。
 そのお声が、私は大★好きですッ!!


                            2010年3月22日

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