CMナレーション

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 仲村秀生さんは、コマーシャルにも数多く出演されています。

 代表作は、なんと言っても「この樹なんの樹気になる樹♪」の日立のCMでしょう。でも、あれのCMナレーションが秀生さんだということを知らない「仲村秀生ファン」、実は案外多いのでは?と思います。↓

  http://movie.mofla.tv/video/watch/ae2ff097bbafa4fc

(昭和48年に始まったこのCM。1代目、・4・5・6代目が秀生さんで、その他は違う方ですね)


 CMナレーションは秒数が短いのと、画面には何の注釈(ナレ—ション:誰それ)も出ないので、「あれ?秀生さんかな?」と思っても確認のしようがなかった、ということがあるかもしれませんね。しかもウィキペディア情報には日立の「大きな樹」についてのコメントはなく、それ以外のCM2つくらいしか書いてないので、あれは書き換えた方がいいんじゃないか、と常々思います…。

  実のところ仲村秀生さんのCMナレーションはびっくりするほどあるんです。全盛期の頃は、街を歩いていればデパートやスーパーの商品売り場にある販促用スピーカーから、ラジオやテレビからも秀生さんの声が聞こえて来ない日はなかった(甥御さん・談)ほどだとか…。
 
 以下の資料は、ご本人からお預かりしたプロフィール(非公開)からの抜粋ですが、どうですか、これ?どのCMの製品も有名どころばかり。
 当時、テレビから映画を録画しても、その間に挟まれてるCMには注意なんぞしなかった自分を呪います……ただ、あの頃の私は「仲村秀生さんの声」といったら島大介の声か力石徹の声、しか認識になかったので、CMのお声に気がついたか、と言うとおそらく怪しいと思われますが(ファン失格だ、つーの)…。ハイバリトンでかなり溌剌と喋っておられることが多いので、島の声よりもかなり高めですね。航路を説明している時の島の声(Part1/14話など)はCMのときのお声に近いかもしれません。




<主なCM作品>

(車)
  ヤナセ/ビュイック、フォルクスワーゲン
  トヨタ/コロナ
  マツダ/ファミリア
  ニッサン/シルビア、レパード、スカイライン、ローレル、セドリック
(酒)
  爛漫、澤の鶴、白鹿、ヘネシー、ホワイト・ホース、メルシャンワイン
(化粧品)
  マックスファクター、サンシルク、オッペン化粧品、フルベール化粧品、
  花王リベーヌ、ミューズ石鹸
(家電)
  東芝エアコン、ナショナルカラーテレビ、日立ハイルミック、日立冷蔵庫、
  ワープロ、日立ローディ、ククレット、日立企業CM
  日立グループCM「大きな樹」
(菓子)
  グリコ、ブルボン、不二家マッキントッシュ(ネスレ)

(飲料)
  不二家ネクター、三ツ矢サイダー、ファンタ、ネスカフェ赤ラベル
(薬)
  中外胃腸薬、中外企業CM、太田胃散、救心、ロート目薬、サンテン目薬
(デパート)
  伊勢丹、高島屋
(その他)
  第一生命、日債銀ワリシン、全日空、サンヨーレインコート、日本中央競馬会、 
  東京電力、関西電力、日本信販、月刊プレイボーイ、毎日新聞、読売新聞、
  東リカーペット、セイコー、自由民主党、社会党…etc.




 さて、その中で、ニッサン・セドリックのCMを聴かせて頂きました。
 各々40秒のラジオCMです。

 1985年収録のCMですから、セドリックY30、日本初のV型6気筒エンジン(VG型)を搭載したセドリックの6代目、マイナーチェンジした時のものでしょうか…。TV、ラジオ両方での展開。TVでは、このCMのキャラクターには先代に引き続き二谷英明さんが起用されていました。
 コピーで必ず使われる商品説明が、これ。↓

「V6エンジン、スーパーソニック・サスペンション、ハイクオリティ・インテリア…純白のセドリック」。

 ここまででも聞き覚えのある人がいるのでは??お父さんとか、旦那さんとかは、きっと高い確率で記憶にあるはず。トヨタのクラウンと、このニッサンのセドリックは、当時の国産最高級車の双璧をなす車種でしたから。クラウンの方は、「いつかはクラウン」ってコピーが記憶にありますネ。
 ニッサン自体の企業キャッチコピーは1985年頃から「もっと楽しく感じるままに 技術の日産です」になったようですが、それも秀生さんだったかな…



 さて、セリフ全部は載せませんが、各々こんなキャッチコピーで展開していました。全部秀生さんのナレーションですよ。



「素晴らしき人生編」
  選ばれた者だけが持つ美しさ。
  磨かれたものだけが持つ安らぎ。
  素晴らしき人生…そして、セドリック

「時の人編」 
  今、人が見え、時代が見え…頂点が見えて来た。
  時の人に時の技術。ニューセドリック誕生

「人生の喝采編」
  本当のものが見え始めた時、 
  本物のクオリティが欲しくなった。
  今、人生の喝采が聴こえる。ニューセドリック誕生

 文字にすると、このCMが伝えたいメッセージがはっきり見えますね。
(ただ、繰り返しますがこのCMは1985年制作です。<最高級が人生の頂点>というコピーは、今の「背に腹は代えられない」という不景気な世の中からしてみれば「時代錯誤」かもしれません。しかしあくまでもCMは「その時代」の象徴、反映です。1980年代後半〜1990年代にかけて、世の中はバブル景気でしたね。だからこそ、あのキャッチコピーが力を発揮した。それを心に止めて、この続きを読んでください。)

 高級品、一流品、本物…と言われるものは、えてして若者には似合わないものです。若い女の子が高価な宝飾品を着けても大概似合わないし(よく、ウサギがハイヒールを履いたようだ、などと言いますね…)若いお兄さんがクラウンやセドリックに乗っていると、お父さんの車を借りているか、下手すりゃチンピラに見えてしまいます。
 一流、本物、というのは、ある程度年齢と経験を重ねた人間にしか似合わないもの。ですから、このCMを当時の秀生さんが手がけたのはとても納得のいくキャスティングなわけです。1985年ですから、秀生さんは50歳。地歩を固め、人生の喝采を受けるに相応しい場所に昇りつめた時期、とでもいうのでしょうか。もともと、秀生さんのあの力強いバリトンには、うっとりするような品の良さがあります…とにかくホンットに品がいい。ですから、その年齢の彼の声が最高級のものに相応しいのは、まったく自然なことでしょう♪
(ハイ、島大介ファンはここで妄想!・笑。高品質かつ実用的、ラグジュアリーなものを愛用したであろう彼が、そして50代になった時。……いかがっすか?ムッハー、熟年萌え!するっしょっ?!…え?何?50歳の島さんなんてヤだ?…じゃ、じゃあ、島パパでも想像してみたらどうよ…?)w



 ドライブがご趣味でいらした秀生さん。もしかしたら、愛車はセドリックだったのかもしれませんね。いや、案外お幾つになっても真っ赤なスポーツクーペだったかもしれませんが…(笑・なんと後から、ご本人から「マツダの赤いクーペを乗り回してました」と申告が……わはは)



 視聴者の私たちは、商品のイメージを理論的に考えながらTVを見る、などということはしませんが、ぼけ〜〜っと見ているCMには実は無数の強いメッセージが込められています。キャッチコピーには、聴く者の脳裏にその商品に対するイメージを強く構築する力があるので、当然ナレーションにも映像・音楽・CMキャラクターと同格の力量が求められます。聴かせて頂いたのはたまたまラジオのCMですが、セドリック、国産最高級クラスの車のCMですから、ナレーションにもそれだけの質の高さが要求されるのです。
 このCMの制作は電通だそうですから、コピーライターも一流どころだったのだろう、と秀生さんは仰っていました。コピーもトップクオリティのものは「やる方も乗ってやれる」そうです。さもありなん、というところ。つまりこのCMはすべてが「一流」というピースで埋められた、高価なジグソーパズルのようなもの…なのですね。

 言い方を変えれば、コマーシャル、というのは、映像・音楽・CMキャラクター・ナレーション・キャッチコピー、という幾つもの「完成作品」が競演する、いわば小劇場。

 この要素のうち、例えば「音楽」や「キャラクター」だけが一人勝ちしたケース、は非常に多い。CM音楽の爆発的ヒットや、CMデビューしてブレイクした女優、などがその例です。
 ですが、そのように1つだけが記憶に残ったCM、というのが必ずしも成功したCMではないような気がします…「もっとも成功した」CMというのは、本来のCMの働きを全うした作品であるはずです。つまり、すべてがバランス良く絡み合ったCMですね。一つ一つが高い質と力量を持ちながら、すべてが異なる完成品であり、尚かつそれが渾然一体となって一つの作品として錬磨されたもの。それが高品質なCMではないか…と思うわけです。
 それはドラマや映画などでも同じことですけれども、CMは映画やドラマに較べて極端に時間が短い。その中にぎゅっと作品が濃縮されているわけですから、技量が高いか低いかはすぐに露呈してしまう。
 秀生さんの上品なお声とナレーションで綴られたあのセドリックのCMは、ラジオCMでありながら、音楽・コピー・ナレーションの3つが見事に調和した格調高いCMに仕上がっていると思います。丁度、一つの成功例でしょう。
 え?…別に,私はニッサンの回し者じゃぁないですよ?(笑)

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 最後に…。
 セドリック、にまつわる思い出話を。

 私の父、です。父は某東京都立高校の音楽教諭をしていた昭和61年(1986年)3月に、癌で亡くなりました。私が21になった春、ちょうど沈丁花の咲く頃です。

 彼は高校教諭でしたが同時にドイツ語の通訳、アマチュアオーケストラの指揮者、そしてテノール歌手でもありました。多趣味な人で、セスナのパイロットライセンスも持っていましたし、油絵も描いていました。 
 そんな父の愛車が、黒塗りのセドリックだったのです。

 教諭の仕事に加え、音楽活動に忙しくてほとんど家に寄り付かなかった父。私が7歳の時父母は離婚したので、実は彼の顔も声も、あまり記憶にありません。ですが、広くて丸い額と黒ブチの眼鏡、その「歌声」は覚えています。そして、「子どもには最初から高いものを与えなくちゃだめだ」「品が良くないとだめだ」とよく言っていた、と母から聞きました。
 ただ、では父親として彼は立派な人物だったのかと言うとそんなことはなく。結局、父は女性を何人も作って家を出て行き、母は7つの私と4つの妹を連れて郷里へ戻りました。音楽家、芸術家は沢山の恋愛をして芸の肥やしにするものだ、という父の持論が、同じオーケストラでソプラノを歌っていた母にはどうしても許容できなかったのだと後から聞き。多感な10代の私はよく知りもしない父に、憤りを感じたりもしました。

 けれど、自分が絵や文章の世界に足を突っ込んでみて、初めて父の言っていたことが段々と理解できるようになってきたのです。

 子どもには最初から質の良いものを与えるべきだ。
 女の子は「可愛い」ことより、「品がいい」ことの方が大事だ。
 どんな経験も芸事の肥やしになる。閉じこもっていては駄目だ。

 母は、そんな父の持論が娘たちに悪影響を及ぼすと思ったのか、ことあるごとに私や妹が父に会うのを妨害しました。会いに行ってくれるなと、泣かれたこともあります。父の写真も,家にはありません…母が,全部処分してしまったからです。でも結局、私はそんな母を不憫に思い、母を守ってやりたいと感じ、母のために父を嫌いだと思うようになりました。

 最後に父と会ったのは、末期の癌で彼が病院のベッドに伏せていた時でした。父は腫瘍の摘出手術後だったのですが、実は開腹した時、あまりの病巣の大きさに担当医が摘出を諦めたのだと聞いていました。ですから当初は、父を慰めてやろうと思って病院へ赴いたのです。
 ところが、やせ衰えた父の枕元には母よりも10歳も若い後妻がいました。初めて会う、母の仇です。それを見て、優しい言葉などかけられたものでしょうか…。

「大手術だったんだぞ」と怒ったように言った父に、私はカッとなり、言ってはいけない言葉を投げつけてしまったのです。
「それはね、ガンが大き過ぎて取っちゃったら死んじゃうからなんだよ!パパはもう助からないんだよ!」
 慌てた伯父や伯母に病室からつまみ出され、酷い娘だ、人でなしだ、となじられました。癌という病名の告知も,まだ父にはされていなかったのです。



 どんな理由があっても、本当に親を嫌いになる子どもなんて、いません。

 私はもちろん、言ったそばから猛烈に後悔し、父に謝りたいと思いましたが結局それは、永久に叶わぬ願いとなってしまいました。伯父・伯母、そして後妻のいない時間を見計らい、母の家の庭に咲く沈丁花の枝を切り丁寧に包んで、もう一度父の病室を訪ねたのですが…
 やっぱりそこには、後妻がいました。
 彼女にだけはどうしても頭を下げたくなかった私は、花束をナースステーションに預けて、名前も告げずに帰りました。

 3月。その後しばらくして、父は亡くなりました。沈丁花の花束を持って来てくれた子がいたけれど、誰だったのかわからない…と、亡くなる数日前の深夜、母にこっそり電話をしてきて言ったそうです。
「あいつ(私のこと)に謝っておいてくれ」…とも。
 歩くこともままならなかったはずなのに、夜中の3時頃、病院のロビーまで出てかけた電話だったのだとか…。

 母を守りたい一心で父に牙をむいていた私です。でも、父と同じ芸術畑に進んだ私は、母に言わせると父にそっくりだった…ろくに会ってもいないのに、あなたはお父さんと同じことを言うね、と母や祖母に幾度も言われました。
 本当は、母を裏切ったから父を恨んでいたわけではないのかもしれません。
 そばにいて欲しい時に、居てくれなかった。父親らしいことをしてくれなかった、ということに、怒っていたのかもしれません。有り体に言えば、「思慕の情の裏返し」という奴でしょうか。

 父は幾らかの財産と、借金と、黒いセドリックを残して逝きました。
享年47歳です。やっとセドリックが似合う年齢になったのに、もう2度と彼はあの車には乗れない……。

 モデルチェンジをしても、セドリックが走っているのを見る度、実は私、父を思い出すのです。

 

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 CMっていうのは、こんな風に「切り取られた過去の記憶」を甦らせる力がありますよね……秀生さんのセドリックのCMを聴いて、いつになくメランコリックになっちゃったERIでした——。

 

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