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「太陽からの風」
1980年6月5日〜 <NHKラジオ>
第1回から第5回まで(各話15分)
原作/アーサー・C・クラーク(ハヤカワ文庫)
翻訳/山高 昭
朗読/仲村秀生
<あらすじ>
宇宙船の設計士として40年活躍し続けたジョン・マートン博士は、太陽の輻射(太陽光圧力)を推進力として利用する「太陽ヨット」のレースに初めて自ら出場する。「太陽ヨット」を操縦する技術を持つのは世界でも一握りの人間だけ。生え抜きの「太陽ヨット」7隻が、月までのレースを繰り広げる。衝突事故あり、リタイアあり。その中で、マートン博士の<ディアーナ号>は緻密なプログラミングのもと首位をキープし続けるが、太陽に思わぬ変化が発生。人生最後の挑戦を中断せざるを得ない事態に、マートン博士はある決意をする——
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さて、「大放浪」「野生の驚異」ときて、今回のこの「太陽からの風」。……豪華絢爛なキャストで創り上げられた「大放浪」、対して「野生の驚異」は秀生さんお1人のナレーションのみ。そして、今回の「太陽からの風」は秀生さん単独でのラジオドラマです(朗読、ではあるけれど…これ、ナレーションでもモノローグでもありませんよね)。こんなすごい作品群を、好きな時に聞くことが出来るなんて、まるで夢のようです。
構成が全部違う、というのも贅沢の極みでしょう。
「役を演じている」もの(大放浪)、「ナレーション」(野生の驚異)、「一人芝居」(太陽からの風)ですからね、単純に分ければ。
まさに「仲村秀生」さんの代表作結集、という感じです。
世に言われているアニメのキャラクター(力石徹・島大介など)も代表作には違いないのですが、アニメのキャラは映像が半分人気を持って行っています。その意味では「仲村秀生」の代表作とは言い切れない部分があるかもしれません…。
ともあれ、「あ〜秀生さんの出番まだかな、あっ出た出たっハイ、みんなシーーーーッ」…という(笑)テレビの見方をしていた中学生時代の私に、これらの数珠の作品を見せて(聴かせて)やりたい。だって、これみんなずっと秀生さんの独壇場ですからね、アニメなんかだと「ちょこっと出ておしまい」ってこともあるんですもの。それに較べたらなんという贅沢でしょうか!
「太陽からの風」。主人公のマートン博士は、おそらく60代の科学者。脇役の、他のヨットの艇長やテレビのリポーターなどはもっと若い人物の声の描写がなされます。ナレーションとマートン博士と、若い艇長などの端役を目まぐるしく切り替えつつ物語は進行……声の役者なら、一人で数役などというのは容易いことなのでしょうが、ふと我に返って考えるとやはり「すごい」の一言です。
そう感じる原因の一つは、多分、私が一時期演劇を志したことがあるからなのかもしれません。
今まですっかり忘れていましたが、私、そういえば中学1年の文化祭と高校2年の文化祭で、有志でラジオドラマを作り、発表したことがありました。
中学1年生のときは、OHPでセル画を作り、「銀河鉄道999」の第一話を上映したんです。松本零士先生の漫画のコマを、マンガ部が全部せっせと拡大してカラーで描き写し、放送部が演出、有志がセリフを録音。私はなんと、ヒロインのメーテル役の声をアテさせてもらいました。放送部が機関車の音や汽笛を集めて来て、コンピューターの声は2人が一緒に声を揃えて無表情にセリフを読んだものを使いました。中学生ながらも、結構良く出来た作品に仕上がった、と言う記憶があります。
文化祭の当日は、なんと夜の7時からテレビでアニメ「銀河鉄道999」の初のオンエアが予定されていました。私たち放送部とマンガ部は、民放のテレビ局と一騎打ちをしたわけです。当然、比較なんか到底出来ないシロモノではありましたが、昼間にテレビに先んじて上映できたことでみんな大満足。翌日の文化祭第2日目には、面白がられてさらに観客が増えたことは言うまでもありません…。
たった一つ、私にとっての誤算は。
メーテル役の池田昌子さんのお声。あんなに低いお声で演じられるとは思わなくて…。私の声はもっと高くて、どちらかと言えば「宇宙戦艦ヤマト」の森雪(麻上洋子さん)の声に近いのです。多分、演技も影響されていたかもしれません。でも、テレビと我々の作品とを見比べてくださった先生方が、「キミのメーテルの方が若くて可愛かった」と言ってくださったのが救いでしょうか…(だって中学1年生ですもんね)。
メーテルの台詞も、松本先生のマンガのままなので、機関車の動力などの説明が難しく、あわや「噛みそう!」と何度も思いましたが、不思議と難しい言い回しのところの方が噛まないものです。
「太陽からの風」も聴くと分かりますが、このお話、妙に言い回しが難しい。一文が長いんです。秀生さん曰く、なんとこの朗読には台本がなくて、ハヤカワの文庫本を手渡されてそれを読んだのだとか……。それもなんだかすごいことですよね。
高校2年生のときの文化祭では、もうちょっと進化して台本は独自に書き起こしたものが使われました。当時よくあった、いわゆるラジメーション、というやつです。
「ルパン3世」のスピンオフドラマを3年生が書き下ろし、有志が録音。雨の中の靴音や、波の音、草原に吹く風の音などは全部手作り。さすがに銃声なんかはそのまま何かから引っ張って来たらしいですが、高校生ですから完成度もずっと高かったですね。
ストーリーはともかく(笑)私が演らせて頂いたのはなんと「峰不二子」役と、ナレーション。部分部分で「似てる!」(不二子役の増山江威子さんに)と好評だったんですよ(笑)。
だからわかるんですね…「ルパァ〜ン」としなを作って叫んだ直後に、ナレーションの声に切り替える、というのがどれだけ大変か(笑)。いえいえ、秀生さんみたいな神様のような役者さんの演技とは、比較など死んでも出来ませんが…。何度か、不二子からナレーションへの移行が上手く出来ず、録音監督をやっていた放送部の先輩から「ここNが不二子のままだから録り直し」などと言われ、周りのキャストもウンザリ、なんてこともありました…。しまいには、セリフのトチリがないんだからそのままで行っちゃえば、なんて言い出すメンバーもいたのですが、なんだかみんなして完成度にこだわって作っていましたねえ。…良い思い出です。
「太陽からの風」だけでなく、「大放浪」もナレーションと役とが交互にくるシーンが多くあります。一体、どんな風にやっていらしたのか、お聞きしたいところです。心の中で役とナレーションへの切り替えを強烈に意識するのでしょうが、その度合いたるやどれほどのものなのでしょうか。必勝法はあるのかしら、とか。秀生さんは、舞台で一人芝居をされたこともあるとお聞きしました。役のスイッチの切り替えをどんな風にされていたのか、それもとても気になります。
なんだか演劇の勉強みたいになってしまいましたが、ぼけーっと聴いているのとあれこれ想像しながら聴いているのとでは醍醐味が違います。私の場合は、秀生さんのお声一声一声に表現し難い魅力を感じつつ(聴いているだけで幸せです、少女の頃に若返ります。なんかどんどんエストロゲンとか出ているみたいですっ)さらにこんな横っちょに逸れたことまで考えながら聴いているので、随分と盛りだくさんなんですよ(笑)。しかも、物語は脳裏に映像を浮上させます。絵が出て来るのも、一つの楽しみなのです。
ところで、映像が出て来る…という話なのでちょっと言及しますが、ラジオでは聴覚に頼るしかないのでこの「太陽からの風」の主人公ジョン・マートン博士が60代、というのも想像で補う他ありません。ところが、文中彼の外見の描写はほぼないのです…。このマートン博士というキャラクター、その年齢にして一世一代の勝負を賭けようとする姿勢がとても印象的です。
演じる秀生さんは(1980年6月、ですから)当時45歳、でいらしたわけですね。実年齢よりも若い役を演じることが多かった秀生さんですが、60代のマートン博士と他のキャラクタとの「年齢の演じ分け」がさすがに見事です。ビジュアルについての文章での説明を一切省き、声や口調だけで人物の年齢を分からせる技術は、生半可なものではないでしょう。
博士の大学での講義のシーンなどでは、マートン博士の手振りや癖までもが推測できそうな口調(演技)でした。そうやって老齢の学者の性格付けをされているのが良く解ります。演技をされながら演出もされていたわけですね。
さて、60代で勝負…、と言うのが20代の頃にはまったく解せなかった私ですが、自分が今40代になって改めて、何かに勝負を挑むのに60代ならまるで遅くないのかもしれないと感じることがあります。
…というより。健康であるなら、何歳になっても何かに挑戦し続けることは可能なのだと、秀生さん演じるマートン博士を見て(聴いて)いて思いました。
秀生さん。
この「太陽からの風」を聴かせてくださったのは、どうしてだったのですか……?
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