ヤマト世界のモデルになってる時代考証ってのは、第二次世界大戦辺りの日本、ですからね、さもありなん…てところですが。
「宇宙戦艦ヤマト」シリーズが制作されたのは、1974年〜です。
第二次世界大戦が終わって、30年ちょい、の世界。松本零士の世界観だけでなく、「男のロマン」のジャンルとして「戦死」…「玉砕」ってのがありました。
今でもない訳じゃないよね。夏になるとやる戦争映画みたいの、みんなそれが根底にあるじゃん、悲劇のエレメントとして。ドラマとして「泣きたい」分には快感だもんな、あの要素。
男たちの大和、硫黄島からの手紙、ローレライ…日本映画だけじゃなく洋画でも…。「ヒーロー」の意味するところは全部、共通です。命を賭けて、戦場で戦う…だけじゃなくて、散る。戦って死ぬことはカッコよくて、生き延びたら負け犬、て言う感覚を登場人物たちが持っている。戦争で死ぬことの悲哀、がドラマになってるわけだが、登場人物たちはいたって真面目に玉砕を栄誉だと思って生きてるんですね、劇中では。
ちょっと異色なのがハリソン・フォード主演の「K-19」という映画。これはロシアの原潜K-19の放射能漏れ事故(1961年・冷戦まっ只中の実話)がモデル。ハリソン・フォードが旧ソ連の共産主義体制丸出しの艦長、でリーアム・ニーソン(シンドラーのリスト、でシンドラー役をやった方)が人情派の副長を演じています。
乗組員たちは、原子炉爆発の危機をどうにか防ごうと苦闘します。放射能漏れをボルトとナットと布と冷却水で止めようと、数分交代で原子炉に近寄り、作業をして…何人もが被爆して死んで行く。正直、弾丸が飛び交う戦闘シーンはこの映画には皆無ですが、それより数倍凄惨な戦いです。十数人の犠牲で、地球規模の核爆発を防ごうと戦う姿は砲撃戦より凄いと感じました。(でもさ、あれ…全部政府のアホな方針で出た犠牲だと客観的には分かる。ああ、上から下まで男って。バカばっかり…)
まあ、それはさておき。
そうやって死闘を繰り広げ、やっとこ核爆発事故を免れた乗組員たちは、生き抜いた上、「英雄」としてではなく「愚かな事故を起こした」として艦長共々別の船で本国へ連れ帰られます。偶然通りがかったアメリカの駆逐艦に、機密漏洩の危機を犯してでも乗組員を移乗させ助けようとした艦長は、軍法会議にかけられちゃう始末。
事故を起こしたなら、深海に船を沈め、自爆するという方法をとればまだしも「英雄」だったかもしれない。現に、ソ連の原潜は何隻か乗組員を乗せたまま沈没してます(ソ連がロシアになった2000年にも、クルスクと言う原潜が100名以上の乗組員を乗せたまま沈没)。しかし、K-19の場合は、自分たちのみならず世界を救おうとして放射漏れと戦ったのが、全く評価されなかった。釈放された艦長は、「君たちは真のHIROだ」と元乗組員を評価しますが、この映画自体もさしてヒットしなかった……その訳はやっぱり、戦いの種類がまるで違ったことと,乗組員たちが生き延びてるのだから、という事だったのかもしれない。そこに悲哀を感じさせる作りにもなっていました。なんでじゃろうと思ったら、この映画。監督が女性なんです。実在するこの原潜、K-19の別名は、「The Widow Maker」。乗組員の伴侶をやもめにする船、未亡人製造艦という意味。どうですか、まるでヤマトじゃありませんか……。
あの映画は、女の私が観ると、終始「物悲しい」だけでした。戦闘に係わることも、戦うことも、ちっともカッコ良くない。生き延びることを恥だとする男のバカ極まりない「ロマン」を、徹頭徹尾なじってるんです、「K-19」の監督は。本当のヒーローっていうのは、そんなんじゃない、と。BGMもそんな構成で、颯爽と出撃して行くK-19の出航シーンに流れていた曲がすでにもう、もの凄く哀しかった…。
でもねえ、地球の人口の半分以上が男です。そんな訴えは、エンターテイメントとしてもつまらない…。砲撃戦でドンパチやって死ぬ、どうせならそういう風にカッコよくないとヒーロ—じゃないし、映画もヒットしないんですよね。
戦場でなくても,男の子の心理には、少なからず「ヒーロー」というと戦って勝つか、散るか、っていうのがあるんじゃないだろうか。ない?そう?昨今の草食系男子なら無理なく理解するのかもしんないが(w)。
小学館のマンガで、「結界師」っていうのがあります。
登場人物に、影宮閃ちゃん、って男の子がいる。その子は異能者なのですが、主人公やその周辺の異能者に比べて戦闘能力が劣ります。彼はそれを自覚していて、戦闘に加わるのをやめているのですが、ある日、たまたま弱っちいザコ敵の後を尾けていて、「あいつなら俺でも仕留められる」と考える。でも結果的に、能力の高い同僚にその獲物は持って行かれてしまいます。
で、閃ちゃんは、そのことをすっごく「惨めだ」と感じるんですネ。……
あたしら女にしてみれば、なんでそんな風に思うの?ってところなんですが、そこがオトコのバカチンなトコロで。
戦えずに躊躇した、もしくは手をこまぬいたことを、男って恥じるんですよ……。
でもさ、ヤマト世界にもこの心理が脈々と流れていて。
男たちは生き残ることイコール恥、だと思っている。
「1」の沖田さんは、流石に年長だけあって、「明日のために今日の屈辱に耐えるのが男」って分かってる。でも、その他は全員、守兄と同じです。「明日のために今日の屈辱に耐えても、いつかは玉砕!」って思ってんだよ。
(だから、守兄も藤堂さんを守るため、って大義名分のもとに、あっけなく玉砕しましたよね…)あああ。しかも、一度命を永らえた者ほど、その気持が強いような気までします……ああ、救い様がない…。
女からしてみれば、敵前逃亡しようがどっかにずっと尻尾巻いて隠れていようが、とにかく生き延びて欲しい、死なないで欲しいのに。
男にしてみると、最後まで戦い抜いて死んでった男ってのはカッコよく見えるんでしょうね。男に生まれたからには、そーゆー風に生きたい(逝きたい)わけなんでしょう。それを、「プライド」って言ってみたりする。
「あーもう、なんでそんなに命を粗末に!!」っていう状況にシビレル?のが男。しかし、文字通り命をかけて「命を生み出す」性、女性からするとそんな馬鹿げたことはない。そんなことをさせるために、母ちゃんはあんたを生んだんじゃないよ!!って叱り飛ばしてやりたい。
でも、恐ろしいことに…多分、ヤマト世界の「おかあさんたち」の思考回路も、第二次世界大戦当時の銃後の護りと同じで、出征する息子や夫に万歳を、そんで戦死したら玉砕、英霊、っていってまた万歳してたんかもしれない…。当時と絶対的に違うのは「天皇陛下」の存在の有無のはずなんだが、ヤマト世界ではそれに当たるのが「地球」そのもの。だから余計始末が悪い…。
さて、ここで。
ERIは考えました……
「戦争屋さん」としての我らが副長、島大介の思考回路の中に「いつかは玉砕!」てのは、なかったでしょうか。いや、…程度の違いはあっても、そういう感覚、彼も絶対持ってたのではないかと思われ……。
だから出て来たセリフなんですよ、「島のバカ!」は。
島は、戦って死んで行った仲間達に対してどう思っていたんだろう。尊敬?それ自体はいい。でも、その一人一人の武勇伝を聞く度に、「あ〜〜〜なんでオレ、一人だけ助かっちゃったんだろう…」って自己嫌悪してたんじゃないだろうか。そうも思えて来るのです。
テレサの心理だってよくわからないのだから、助けられたことを恩義に感じる割合よりも「なんで俺だけを助けた」って恨みがましく思う割合の方が多かったかもしれない。そんな酷いことってないよ…とちょっと思うけど、こうやってヤマト世界の時代背景や風潮を考えると、島がそう思っていたとしても不自然ではない、と思えて来る…。
彼の場合、かといってテレサを恨むことも出来ない。辛い立場ですよね。彼女は自分を探して、助けて、手当てまでしてくれたんですから、明らかに好かれていた、ていうのは自覚できただろうし。
しかし。
本編では、仲間だけでなく自分の意志に反して助けられた面子(守兄とか)も、どんどん先に「玉砕」して行っちゃうんです。
土方さん、斉藤、加藤、山本、新米、機関長はじめ、同志96人の武勇伝。
守兄も、平九郎を守って玉砕。たった2歳のサーシャまで。
古代と雪は、「2」ラストで覚悟の上で玉砕を思いとどまった。だから、あの二人は(雪を古代が道連れにしなかったことは島としては喜ぶべきことかもしんないが、それは別次元かな)ある意味すごい精神的に強いのかもしんない。(あと、主人公だから…)
そういうのを聞くにつけ、自分っていつまで「生き恥さらしてんだろう」って島が思うようになっても、…不思議じゃないかもな、って。
で、その戦争屋さんとしての思考回路でいくと、「完結編」での彼の死に様は、まさに「玉砕」なんですよ。
(ああこれ、自分でも書いてて救い様がないなあ、と思うよ…)
島が僻みっぽい男だ、なんて全く思わない。でも、当然「3」で見せたように,普通の嫉妬心や劣等感は持っている。自分は航海班で、身体張って死んでなんぼの戦闘班や騎兵隊とは違う、それだって分かっていたはずですが。それでも、「悔しかった」のは確かだろうな…って思うんですね。それが、「完結編」での無茶につながった…んだと、思えなくはない…。
右横っ腹撃ち抜かれたけど、歩けるんだから、って第一艦橋に戻り。全員が天井のパネルと前方を凝視せざるを得ない状況で、呻き声一つ上げずに艦を操作した。
自分が死んじゃっても、艦の戦闘行動にもう支障は出ないだろう、と思ったのはいつだったんでしょうか、副長?とりあえずヤマトを浮かしたから、あとはアナライザーでも大丈夫だって…?
あなたの脳内に、「これで玉砕」って思いが浮かんだのは、どの時点だったんでしょうね……?
「君を最初に見つけたのは、古代じゃなく俺だもんなぁ…」
泣かないでくれよ、これで俺も生き恥さらして生きていかずに済むんだよ。わかんないかなあ、古代、雪。
雪に幸せになって欲しい、それだけが心残りだぞ、と。だって、自分は「この時点で本望」…玉砕すること…思いを遂げたようなものだから。
そして、心の中でテレサに何かを思っていたとすれば。
「助けてくれたのに…ごめん」だったろうな。最後までキミの心をわかってやれなかった、って詫びていたかもしれません。それはきっと、父母や次郎に対する気持ちと同じで。帰れなくて、ごめん、と。
それでも、英雄として玉砕した自分を誇りに思って欲しいと、「戦争屋さん」の彼は同時に考えていたでしょう…。
しかも「ヤマトはいいなあ…。お袋の腕に抱かれているみたいだ」だなんて。これでようやく玉砕だと思ってるからなのか、幸せそうでしたね…島。まるで、古代を連れ帰ってCTの座席で息絶えていた、加藤三郎みたいな顔して。
………ああ、もう(泣)!!!
島のバカ!! そんなんで幸せそうな顔すんな!!
バカバカバカ、バカチン(大泣)!!
武勇伝がなんぼのもんよ!死んだって英雄なんかじゃないんだよ!
お袋は喜ばないよ、抱っこしてなんかやんないよ(号泣)!!
* * *
………制作者サイドのストーリーの持って行き方に、ずっと不満だったERIですが…。「あの時代背景に生きた島大介という漢」の心情を慮って熟考(すんな、熟考…)してみた結果。
完結編で描かれた島の死に様は、制作者サイドの島への「武士の情け」だったんだ…と理解できました。
そうあっさり認めるんか…自分?
「島くん殺すことない!!」って怒ってたのは、どうなったんだよ?
でもねえ…
多分、島の見せ場作った…とか、命が失われる場面で涙を誘う仕掛け、というより。ずっと考えて来てさ…。大和魂、とか神風、とかっていうのを思い出すと。…やっぱ。英雄としていつかは玉砕!…そのチャンスを島にもくれた分、制作者サイドはキャラに愛情持っててくれたんかな。て…感じるのだな。
自分で自分が哀しすぎるう…。
ERIのバカ!!バカバカバカ!!……
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※この項目は,書きかけです。
またちょっとしたら、気が変わって書き直すかもしんないです。
凹んだ人、ゴメンなさい。
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